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第1章 初めに

不幸は、ひとりではやってこない。

群れをなしてやってくる。

(ハムレット)

 そこは、色も無く、音もなく、物理的な境界線もない世界であった。空間がどこまでも永遠に広がっているようであり、また時間というものが存在していないような場であった。その空間のところどころには、少し歪んだ球体の限定された小さな空間が無数にあり、それらが相互に作用しているようだった。それら球体の小さな空間は、それ自体が何等かの意識を持っているようであるが、物理的な形はなく、音も発せず、色もない実体であった。ただ、それらの無数の実体は、相互に意思疎通をしているようであるが、それは音や物理的な記号による意思疎通ではなく、相互間を行きかう波によって意思疎通をしているようである。よって、物理的に遠く離れた他の実体とも、容易に意思疎通ができるようである。彼らは、彼ら自身がどこに存在し、なぜその場に存在しているのかわからなかった。また、いつからそこに存在しているのかさえもわからなかった。


 彼らには、われわれ人間の世界で言うところの、歴史というものが存在しなかった。彼らは、高度な知性を備えた実体ではあるが、それを生命と呼んでよいのかわからない。人間が持つ、生命に関する定義に当てはまる部分もあるが、当てはまらない部分も多い。そもそも、性別や年齢というものがあるかさえもわからない。意思と知性を持ちながら、実体としては空間の揺らぎとして存在し、物理的なエネルギーを吸収している様子もない。周辺の温度は冷たいものの、あまりそれに影響されている様子はなかった。彼らは、その意思と知性を働かせるためには、なにかしらのエネルギーを必要とするはずではあるが、それは人類にとってはまだ未知のエネルギーのようである。ただ、そのエネルギーは彼らの周辺に薄く、そして満遍なく存在しており、いくら吸収しても尽きることはないようだった。よって、彼らにとってエネルギーというものは、特別意識するようなものではなかった。彼らの認識では、それは無限に存在しているものとされていた。そのエネルギーにも、物理的な実体は無く、その知的な実体とエネルギー体との区別も曖昧なものである。ただ、当然彼らの中では、それらは明確に区別されるものであり、実際に全く別物であるという認識である。


 そもそも、人間界でも、知的実体である人間と、人間がエネルギーと呼び消費している数多くの物質とは明確な区分がある。人間の動力源となっている、炭水化物と人間は別物であるという事実と同じである。ただ、炭水化物の成分は、人間の体の成分の部分を構成していることから、完全な物理的な分離は出来ないが、人間による認識としては別の存在である。彼らも、彼ら自身とエネルギー体とは別存在として認識しているが、われわれ人類の目線では、それらの区分ははっきりと認識されないであろう。


 彼らにも社会があるようだった。また、それぞれの実体がいわゆるミッションのようなものを持っており、それぞれの実体が離合集散を繰り返して、何かの活動を進めているようだった。ただ、そこには争いはなく、また時空の次元も多次元にて構成されているようである。そもそも、その世界をどう理解し、解釈すればよいのか人類には不可能にさえ思える。人間が持つ五感をフルに研ぎ澄ましても、到底彼らの活動全てを認識することは不可能である。われわれが持つ五感で、世界を全て把握できるなんて、考え方そのものが傲慢である。人類全てが、全く感知することの出来ない感覚はおそらく無数に存在しているはずであり、それらのいくつかが、その知的実体には知覚できるということも当然考えられる。そもそも、人類全てと地上の全ての生物が嗅覚というものを持ち得なかったら、匂いという感覚について、誰がどのように発見できたであろうか。目の前の世界に対するわれわれの認識は極めて限定的であり、それはわれわれが持ち得る感覚、知覚の限界の他にも、次元による制約によっても限定されている。われわれはあくまでも、3.5次元の世界しか認識できないのである。しかも、0.5次元である時間は不可逆であるため、過去の認識は時間の経過とともに、失われていく。実際には、失われているわけではないのだが、われわれの認識の濃度が失われていくのである。われわれが持ちうる認識の外の世界は、実際に目の前に存在しているにも関わらず、誰にも認識されることなく淡々と時空の中に存在している。それが、どのような世界か知りようもないものの、時々われわれが現時点で理解している自然法則からは逸脱するような現象も多数存在している。

 

 その知的実体達の活動のうちの一つが、いわゆる自分達がどこから来たのか、そしてどこへ行こうとしているのかの探求だった。ただし、彼らは歴史というものを持っていないため、そのミッションを達成するのは、かなり困難に思える。彼らが考えたのは、いわゆる世界の初期設定条件を無限に設けて、量子コンピューター(仮にAthenaと呼ぶ)にその進化の推移の計算をさせることだった。初期設定を少しずつ変えることにより、たどり着く結果も異なる。そして、計算結果が現在の彼らの存在する世界と同等な状態に収束したとしたら、それがそのまま彼らの歴史として解釈しようというものだった。およそ、80兆もの別々の初期設定で世界の時系列推移を観察しているが、どの結果も想定したものと異なっており、そのたびに、新しい初期設定を設けて、再度計算を実施していた。莫大なエネルギーが消費されていたが、かれらの概念にはエネルギーが有限という認識が存在しないため、それについては問題はなかった。あまりにも無限に存在する財がある場合、それはもはや存在しないものと同様に扱われるという一例である。ダークエネルギーと呼ばれているそのエネルギーは気が遠くなるほど大量に存在するようである。どのような経緯で、そのようなエネルギー体が生成され、どこまでも無限大に広がっているのかはわからない。ただ、それはそこに存在しており、今後も変わらず存在するのであろう財である。


 その彼らの世界でのAthenaという量子コンピューターも、実際には物理的な実体はない。ただ、そこに何かをインプットすると、適切なアウトプットを返してくる機能を持っている。こちらも生命体であると同時に、生命体でもない。ただ、かなり大型の時空の歪みである。そして、その中で、80兆もの仮想世界が、様々な変遷を得て、時間という負荷逆な次元にそって同時進行していっている。誰がそのようなものを作ったのかもわからない。もしかしたら、すでにそこに存在していたのかもしれない。なんせ、歴史を持たない実体の集合体である彼らには、それを知る由もない。


 80兆もの仮想世界シミュレーションは、たった1体の意識を持った知的実体によって初期設定が与えられ、世界が進行していた。その知的実体は、少しずつ初期設定を変え、進行中の仮想世界の設定を中途で補正したりしながら、彼らのたどった歴史が発見できるかどうか検証を行っている。別の知的実体も、同様の試みをしているようだが、詳細な情報はわからなかった。知的実体どうしの意思疎通はできるのだが、そこには不要な情報のやりとりは一切なかった。そして、その知的実体自身も、なぜそのような活動を行っているのか、知る由もなかった。(ちなみに、その知的実体には具体的な名前はないのだが、便宜上Regnosとする。)ただそれは、なされなければならない活動であり、そのことに何の疑義もなかった。ただ、延々と粛々と80兆の仮想世界の変遷を観察し続けるのである。各仮想世界には、たった1体のみの知的仮想実体(仮に仮想実体Kyno)が投入されているが、その仮想実体Kynoは自分が1体のみの存在だということは知らない。


 一つの例を挙げれば、ある仮想世界では、80億体もの仮想知的存在が存在しているようになっているが、それは基底にある1体が80億に分裂した世界である。その仮想世界(仮に仮想世界Aとする)には、ある小さな星があり、そこに様々な生命体が存在しているが、知的実体は1種類のみである。これは、Regnosの存在する世界でも、知性を持った実体が彼らの種族のみであることから、それを初期設定に盛り込んでいるのである。そして、この物語は、数ある初期設定の異なる仮想世界のうちの、たったひとつの仮想世界での物語である。仮想世界Aは、その仮想世界内では、地球と呼ばれている球体にて構成されており、そこには80億に分裂した、たった1つの仮想知的実体(仮想実体Kyno)が存在している。ただ、見かけ上は80億の別々の知的実体が同時に存在しているように見える。そして、実際に仮想世界に存在している、たった1つの仮想知的実体は、他の80億体の知的実体と同じ空間に存在していると確信している。しかし、その80億の知的実体は、基底で全てつながっているのである。80億の知的実体のなかには、様々な個性を持った実体達が存在するが、観察対象となっている実体は、主実体1体(仮想実体Kyno)のみである。


 主実体の行動は、極めてランダムに決められるように設定されているが、その主実体の動きに応じて、周りの仮想世界の環境もどんどん変遷していくようになっている。いずれにせよ、どのような初期設定を設定すれば、Regnosが存在している世界に最終的にたどり着くかが、最も重要なものと考えられている。歴史はおそらく存在するが、その歴史はすでに失われているため、歴史を仮想世界で無数に検証することにより、Regnosの世界に到達した世界を歴史とみなそうとしているのである。それは、言うほど簡単ではなく、無限に思える可能性の中から、たった一つのシナリオを探り出す作業である。


 実際には、Regnos以外の実体も無数に存在し、おそらくいろいろな別の試みを実施しているのだろう。Regnosや、同一ヒエラルキーに属している他の実体達は、彼らの種族の全体意思、全体規模、存在理由については、何も知らされていない。ただ、それぞれが与えられた役割をそつなく実施しているのみである。彼らのような超高度の文明を誇る知的実体の集合体の世界でも、まだ未知なことは数多くあるようである。また、現時点で彼らの世界が解明した数々の知的資産は、いくつかに分散されたAthenaの中に保管されており、いくつかの実体達には、そこへのアクセスが許可されているようである。そこには、時空を超越した事象が事細かく記憶されており、まだ起きていない事象についても、すでに記憶として保管されているということである。そして、その知的資産保管庫は、随時記憶が書き換えられている。随時、より正確に、より新しく更新されているのである。それらの知的実体の世界がベースとなるために、仮想世界の初期設定にも彼らの実際世界の様子がところどころ反映されているようである。彼らは多次元の可逆な次元しか存在しないようであるが、仮想世界では、物事を単純化するために、可逆な3次元と不可逆な1次元の、3.5次元の世界を構成している。その不可逆な0.5次元の変遷を記録し、歴史として成立するかどうかを検証しているようである。


 Regnosが運用している80兆の仮想世界は、様々な異なったアルゴリズムで成立している。それらのアルゴリズムは、Athenaによって自動生成で構築されるが、それらの仮想世界の初期設定だけは、Regnosが設定している。アルゴリズムの構築、運用は、Athenaによって実施されているが、稀に発生するバグについては、Regnosが直接修正することもあるようである。よくあるバグの一種に、80兆の世界のうち、いくつかの仮想世界が部分的に交錯することがあるようである。交錯することにより、何が起きるかは、様々だが、時々想定をはるかに超えるような結果が返ってくることもある。いわゆる想定外という事態であるが、一旦発生した事象を元に戻して、修正することは出来ない。ここには、不可逆な0.5次元の世界特有の制約があるのである。当然、極めて稀な事象が発生するため、仮想世界の中では、いろいろと混乱が起きる。それと、まだ解明されていないバグのひとつに、極めて稀ではあるが、Athenaの中に保管されている知的資産にアクセスできる仮想知性実体が発生することがある。ただし、あまりにも膨大な知的資産のため、仮にアクセスできたとしても、その全体像を把握、理解できる仮想知的実体はいまだ現出していない。ただ、部分的にそれらを理解し、それを仮想世界内で広める動きが見られることがある。こちらのバグについては、Athenaによって改善が試みられているようであるが、その問題がその後どうなったかは、何も知らされていないようである。


光の強いところでは、影も濃い。

(ゲッツ・フォン・ベルリンゲン)

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