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常雨の降るこの街で、僕は君と出会った

 水の精霊王が(おわ)すこの街は、常に霧雨が降っている。灰色に煙るこの世界で、僕はいつも水たまりに映る、揺らぐ世界を眺めていた。


 青空を知らない街の人々は、青空に憧れ、太陽を模した装飾品ばかりを身につけている。けど、僕は雨が好きだった。


 太陽はなく、月もなく、星は瞬かない。それでもうっすらとした光が雲の合間から降り注ぎ、雨と一緒に僕らを包み込む。


 その光を、いつだって道にできている水たまりは映していた。


 ぽちゃん、ぽちゃんと雨が水面を叩くたびに、水たまりに映る世界は波立つ。それが綺麗で、僕は魅入られたように道端にしゃがみ込んでいた。


 石畳の道の上、少し凹んだその場所にある水たまり。


 じーっとそれを眺めていると、雨に波立っているその水面が、徐々に徐々に、激しく波打つようになっていくのに気がついた。


「なん、だろ?」


 不思議に思い首を傾げて、矯めつ眇めつ眺めてみるけれど、やっぱり水面の異常は収まらない。


 ゆらり、ゆうらり。


 ぽちゃん!


 じっと眺めていると、突然、波立つ水面から女の子が飛び出してきた。


「えっ!?」

「わあ、ここが鏡の向こうの世界かぁ」


 女の子は、はしゃいだ様子であちこちを眺めて周り、スキップなどして水たまりの周りを彷徨く。


「なん、だ、誰!?」


 僕は女の子に問いかける。誰か知りたいというよりは、何が起こったのか知りたかった。けれど、驚きすぎてそれを正確に問う術がなかったのだ。


「私は、ミラ!」


 名前だけ答えられた。

 何もわからない。


「えっと、ミラ、は、どこからきたの? 水面から飛び出してきたように見えたけれど」

「私は、鏡の向こうの世界から来たのよ。いっつもいっつも、鏡の中から向こう側を眺めていたの。君のことも知っているよ。水面に映る世界をずっと眺めていた少年君」


 びし、と僕を指差して、ミラはなぜか誇らしげに宣言する。


「鏡の中にも、世界があるの?」

「もっちろんよ! 私、鏡の中の王国の王女なんだから」


 王女云々は眉唾だけれど、水たまりから飛び出してきたのは実際にこの目で目撃している。それは紛れもない事実だった。


「鏡の中の国って、どんな風なの」

「どんな風って言われても、難しいなぁ」


 うーんと唸ったミラは、「そうだ! こっちにおいでよ、きみ!」と僕に手を伸ばした。


「えっ?」

「ほらほら、こっち!」


 ミラは僕の腕を引っ張ると、そのまま水たまりの中に飛び込んだ。


 ぽちゃん!


 大きな音を立てて、水飛沫が跳ねる。地面につくかと思った足は、空を彷徨った。


「な、なん……!」


 僕はミラと手を繋いだまま、空を泳いでいた。街では見たこともないような青空の中を、魚やカニが泳いでいる。


 眼下には白い石造りの建物が所狭しと並び、水路の中で小鳥たちが羽ばたいていた。


 煙突がぽっ、ぽっと煙を上げながら、まろやかな歌を歌っている。


 あべこべな世界がそこには広がっていた。


「鏡の中って、こんな風になってるんだ?」

「そう! 鏡の外の世界は、面白いね! 魚が水の中を泳いでるんだもん!」


 ミラはケラケラと笑いながら、青空の中をスイスイと泳いでいく。僕は空中に浮いた足になれず、バタバタと足で宙を掻いた。


 するりん、と泳いだミラは、石畳の上に見事な着地を決めると、その上に立って僕を手招きする。


「さあ、街を案内してあげる! こっちへおいでよ、少年!」

「僕は少年じゃない。ハンスって言うんだ!」


 同世代の女の子から、さも年下であるかのような扱いをされて、ムッとした僕は訂正を入れた。


「ハンス、ほら、こっちこっち!」


 ミラははしゃいだ様子で僕の手を引くと、街の中を駆け出した。


 石造りの街は、なんだか熱が出ている時の夢の中みたいに奇妙だった。煙突はご機嫌に歌っているし、窓はパタパタと開閉してリズムを取っている。建物の玄関は、客引きのように、時折僕に声をかけてきた。

 そんな、どこか不思議で、チグハグな世界を僕らは駆けていく。


 ミラの自宅だという王宮は、大きな木で作られていた。木のうろが入り口で、その中に精緻な細工の施された階段があり、吹き抜けの上へと繋がっている。


 ミラの自室は三階にあった。


 階段を登っていき、ミラの部屋まで遊びにいく。僕らはその部屋で、鏡の中の世界で流行っているというボードゲームをして遊んだ。

 ミラは慣れているだけ強くて、僕はなかなか勝てなかったけれど、それでも時間を忘れて夢中になる程楽しかった。


「ミラ、そろそろ帰らないと」


 とっぷりと日が暮れて、空に星が瞬き始める頃、僕はミラに暇を告げた。


「もう帰っちゃうの?」

「うん。もう空に月が昇っているよ」


 僕はずっと常雨の街で育ったから見たことはなかったけれど、本で読んだことはある。あれは、月だ。


 クリーム色の丸い円がちょっと美味しそうな月は、空の上高くに登って僕らを照らしている。


「そっか、じゃあ送っていくよ」


 ミラはまた僕の手を取って、ねじれた木の階段を駆け降りて行った。

 石畳の街に出ると、ぴょん、と飛び跳ねて空中を泳ぎ出す。上へ、上へと足をばたつかせ、僕らは月に向かって泳いで行った。


 ぽちゃ、ん!


 ある一定の高さにたどり着くと、僕らは何か水の膜のようなものを通過して、あの水たまりのそばに尻餅をついていた。


「また遊びにきてね、ハンス」

「うん。迎えにきてくれたら嬉しい、ミラ」


 そう言って、僕らは別れた。


 それからというもの、僕らは毎日のように会って、鏡の中の世界で遊んだり、こちらの世界を冒険したりした。


 ミラは常に霧雨で(けむ)るこの街を気に入ったようで、雨に打たれながら歌を歌い、踊った。


「こっちの世界は煙突が歌わないんだね。煙突なのに」

「煙突は煙を吐き出すだけさ。それが彼らの仕事の全てなんだ」


 雨に濡れたミラの髪が頬に張り付いて、普段は元気いっぱいな女の子なのに、妙に儚げに見える。それを見ているとなんだか僕の胸はどきどきとして、落ち着かない気持ちになった。


 ぽちゃ、ん!


 ある日の午後、僕は鏡の中の世界へ来ていた。ミラと一緒に青空を泳ぎ、あの大木の王宮へと向かう。


「ミラ、今日は渡したいものがあるんだ」

「なぁに、ハンス」


 いつも通りにミラの部屋へと入った僕は、ミラに向かって両手を差し出した。


「これ」


 水の精霊石で作られた、雫型のネックレス。太陽をモチーフにした装飾品の多いあの街で、唯一雨を模した雫型のネックレスは、店の中で異彩を放っていた。それを見た瞬間、僕はそれをミラに渡したいと思ったんだ。


 常雨の街で生きる僕と、鏡の中で生きるミラ。僕らの世界は分たれているけれど、僕の世界をいつでも思い出してほしい。

 そんなことを、ポツポツと拙い言葉で伝えながら、僕はミラの手にネックレスを押し付けた。


「ハンス……」


 ミラは泣きそうな顔でそれを受け取ると、そっと自分の首にかけて金具を止める。


「あのねハンス。私たちは大人になったら、世界を超えることはできなくなる。もう会えなくなるのよ」

「……うん、そんな気はしていたよ、ミラ」

「恋を知ってしまったら、大人になっちゃう」

「うん。でも、好きだよ、ミラ」


 僕らは言葉少なに語り合った。多くを喋らなくても、お互いに何を考えているのか、どういう意味で言っている言葉なのかは手に取るようにわかる。

 そういうやりとりができるくらい、僕らは一緒に世界を渡って時を分かち合ったんだ。


「それじゃあ、今日が最後の日かな」

「きっとそうね。私はもう、引き返せない気持ちになっちゃったもの」

「僕ももう、引き返せない気持ちになっちゃったよ」


 そう言って僕らは最後に、さよならのキスをした。


 ぽちゃ、ん!


 常に雨の降るこの街が、僕は割と好きだった。街にはいつだって水たまりがあって、うっすらと雲の間から差し込む光を反射している。


 だから、僕はこの街が好きだった。

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