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彼の事情

 ネルは首をかしげた。

 タカオミの顔は長い髪と髭によって半分近くが隠されており、綺麗なアーモンド型の黒い瞳だけが隙間から露わになっている。ぱっと見た印象では三十代から四十代だろう。ジルの「伯父」であるならばもう少し高齢になるかもしれないが、これは先ほどの件から考えてもヒントにはならない。ネルは感じた通りに答えることにした。

「四十歳くらい?」

「まあ、そんなもんだろうな。俺もそれくらいを目標にしてる」

 言われた意味がよく分からない。「目標」とはなんだろうか。

「俺の実年齢は八十六だ」

「ふえ?」

 ネルは固まった。

 ネルが半信半疑でいるのに気がついたのだろう、タカオミが言う。

「本当に八十六だ。数え間違えてなければ、だがな。この年になると年齢なんてあまり気にしないからなあ」

「でも全然おじいさんに見えません…」

「そりゃそうだろうな」

 彼は平然と言い放った。

(詐欺だわ!)

 自分のことは思い切り棚に上げて、ネルはそう思った。しかし、タカオミは噓をついているわけではないということもまた彼女には分かっていた。そもそもそのような噓をつく理由がない。

「俺の場合は成長が止まってるんだよ。まあ俺の年なら成長というより老化の方が正しいが」

「…なんで?」

 タカオミは少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。

「ネルは『神様』ってやつを信じるか?」

 今まで考えたこともなかったことを質問されてネルは戸惑った。世の中には宗教というものがあり、熱心に神の存在をあがめる人々がいるということは知識として知っている。が、それは自分自身とは何のかかわりもないものである。

極端に世間から隔離されて育った彼女は、知識のほとんどを両親と書物から学んだ。だから宗教や民話の中の神様についてなら少しは分かる。しかし、それはあくまでお話の中の存在であり、つまり彼女にとって「神様」とは想像上のものである。

「私はそういうのはよくわからないです。タカオミは信じてるの?」

「…いや、別にそういうわけじゃない」

 タカオミは苦い顔をして低い声で呟いた。

「ただ、自分のことを『神様』って呼ぶやつに会ったことがあるんだ。そのときこんな体にされちまった」

 ネルは話が飲み込めないまま瞬きを繰り返す。そんな彼女の様子にタカオミは苦笑した。

「いきなり言われても困るよな、こんな話。だからジルにも黙ってたんだが…。ほんとうは俺はあいつの父親の伯父なんだよ」

 少しの間押し黙ってからタカオミが言った。

「無理して信じなくてもいい。俺だって奴が神だと思ってるわけじゃない」

 その言葉をネルは慌てて否定した。

「タカオミの言うことは全部信じてます! あなたが噓をついてないのは分かってるから。それに私だって『変』だもの!」

「別にさっきのはそういう意味で言ったんじゃない。もし気に障ったなら悪かった、謝るよ」

「そんなこと思ってません。タカオミと一緒なら変でいいもの」

 ネルは言い切った。彼女の勢いにおされ、今度はタカオミの方が呆然とした。それからふっと表情を和らげた。

「…ありがとう」

 おそらくタカオミはこのことを人に打ち明けるのを厭うている。軽い口調で話してくれたが、これまでにこの事情のせいで何か辛い思いをしたのだろうとはすぐに想像がついた。だからこそ、彼のことを信じていることだけは知っていてほしかった。

 出会ったばかりの人間にこれほど肩入れするのは何故なのか、自分でも分からなった。彼女はどちらかと言えば人見知りする性質だったはずだ。それなのに、どうしてか彼のことは無性に気になるのだ。そして自分のことを好いてほしいと思った。彼に対して今まで出会った誰よりも特別な気持ちを抱いているのはたしかだ。

「でも、やっぱり不思議な話だとは思います。『こんな体』って年をとらなくなったってこと?」

「ああ。だが、それだけじゃない。ちょっと待ってろ」

 そう言うと、タカオミは席を立った。


 しばらくして戻ってきた彼の手にはナイフが握られていた。木の柄は使い古された深い茶色をしている。小さいがよく手入されているようだ。刃の部分が鋭く光っている。

「見てろよ」

 タカオミは服の裾をまくると、それを自分の腕にぐっと押しあてた。

「や! 何するの!?」

 突然のことにネルは叫んだ。傷はそれほど大きくないが、タカオミの腕からは少量ながら血が滴っている。彼は黙って流れる血の一筋を舌で舐めとった。そしてそのまま患部まで舌をはわせる。

「え?」

 ネルは目を見張った。血が無くなったことで露わになるはずの患部が、どこにも見当たらなかった。皮膚は傷ひとつなくなめらかなままである。

「これが特異体質その二だ」

「どういうこと?」

「簡単にいえば、体の再生速度が尋常じゃなく速い。切り傷なら表面部分は数秒かからずふさがる。大きい怪我ほど再生に時間がかかるが、それでも滅多なことじゃ死なないだろうな」

 タカオミは大きくため息をついた。

「つまり、俺はいわゆる不老不死ってわけだ」

 その表情は暗く陰っている。

「…タカオミは、不老不死が嫌なの?」

「俺はもう八十六歳だぞ。いい加減に天寿をまっとうしたい」

 十四歳のネルには理解できない境地だ。年をとったら自然に死にたいと思うようになるのだろうか。

「まあ、いろいろあるんだよ」

 ぽんと頭を軽くはたかれた。

(今のは「子ども扱い」だった)

 彼女は彼の手から、先ほど撫でてくれたのとはまた違ったものを敏感に感じとっていた。

「ん、どうした? なんか頬がふくれてないか?」

「別に。なんでもありません」

「そうか?」

「いいから、気にしないでください。それより、その自称『神様』ってなんなんですか」

「あ、ああ。それは俺にもよく分からん」

 タカオミは頭をかいた。

「なんせあの時は死にかけてたからな…」

「死に…って」

「ちょうどその時は軍にいたんだよ。まだ帝国が成立する前だったからな、いろんなところで小競り合いが起こってたんだが、ちょっとドジ踏んでドスっとやられてな」

 そう言いながら自らの腹部を撫でた。

「で、失血死寸前で意識が朦朧としてたところに男が現れたんだ。なんだかいろいろ言われた気はするが、そんな状態だったから夢か現実か自信がないな。結局、目が覚めたら傷ひとつ無い体で血だまりの中に倒れていた」

「その男の人が『神様』?」

 タカオミは頷いた。

「本人はそう言っていた。俺も信じられなかったが、自分の体の変質は嫌でも思い知らされたからな。とりあえずあいつも普通の人間じゃないのは確かだ」

「その人とはそれっきり会ってないの?」

 しかし、タカオミはむっつりとした顔で俯いたまま返事をしなかった。

「もしかして、タカオミはその人のこと探してるの?」

「…まあな」

 やはり仏頂面だ。その顔から、どうやら捜索が上手くいっていないことが察せられた。自分もかなり面倒な状況に立たされていると思っていたが、タカオミもいろいろと大変らしい。

「お互い苦労しますね」

 真剣な顔でしみじみと言ったネルに、タカオミが吹き出した。

「なんで笑うんですか」

「いや、その外見で大人びたことを言われるとこそばゆいというか…。なんていうか妙に気が抜けるんだよ」

 ときどき彼はとても失礼だと思う。しかし同時に、彼の笑顔に胸の中がじんわり温かくなるのも感じた。どうやらネルは、彼の瞳が綺麗な半月を描くのを見るのが好きらしい。

 タカオミはしばらく肩をふるわしていたが、ようやくのことで顔を上げて呟いた。

「このことを話したのはネルが三人目だ…」

「そうなの?」

「一人目は俺の弟、二人目はその息子、ジルの父親だ。そう考えれば、そろそろジルにも話さなきゃいけなかったんだろうなあ…」

 最後の方は誰に向けられた言葉でもなかった。


 今日はもう遅いから寝るようにと言われて、ネルは再び隣の部屋で布団に入ることになった。正直あまり眠くはなかった。だが、タカオミはこれからジルのところへ話をしに行くのだろうと思ったので、おとなしく目を瞑って寝たふりをした。ネルがそうするまで彼は寝床を離れなかったのだ。彼女が眠ったのを見届けて、彼は静かに部屋を出て行った。

 暗い部屋の中に一人でいると、嫌でも意識して払いのけていた不安が押し寄せてくる。

(これからどうなるんだろう)

 タカオミはああ言ってくれたが、果たしてどれほど力になってくれるつもりがあるのかは分からなかった。それに彼は彼でやらなくてはいけないことがあるのだ。好意に甘えて頼りきってよいとは思えなかった。

 かといって、自分一人ではどうすることもできないのも分かっていた。たとえ自宅に戻ったところで何が変わるわけでもない。母が死んで自分は一人ぼっちになった。

(父さまさえいてくれたら…)

 そう思わずにはいられなかった。父は彼女が十歳のときに家を出て以来帰ってきていない。なぜ突然母と自分を置いて消えてしまったのか彼女は知らなかった。しかし、母だけは父のことを理解していたようだ。

『そのうち帰って来るわよ』

 そう言って何でもない風に笑っていた。そうこうしているうちに母は帰らぬ人となってしまったのだ。父も母も自分の成長が遅いことを何も心配していなかったから、もしかすると彼女の体質について何か知っていたのかもしれない。そうだとすれば、彼女に起こったことを理解できるのは父しかいないに違いなかった。ならばまずは父を捜すのが先決だ。

 とはいえ、父の行方は皆目見当がつかなかった。可能性があるとすれば、それはやはり自宅だろう。もしかしたらいつかは父が帰って来るかもしれない。

 考えながらも「いつか」という漠然とした言葉に背筋が冷たくなる。父が帰って来なかったら、いつまでもあの家にたった一人で住み続けるのだろうか。森に囲まれた寂しい家の中にぽつんと立つ自分を想像すると恐ろしくなった。

(それに、あの日家に来ていた男の人達のことも…)

 彼らが何者なのか分からないが、あの日たしかに彼らから感じた寒気を彼女は覚えていた。ネルは自分の直感を信じている。彼らは彼女を害する人間なのだと思う。家に戻れば彼らと鉢合わせるかもしれない。だが、そうだとしても自分にできることは他に思いつかなかった。

(明日、家まで連れて行ってくれるようにお願いしてみよう)

 それくらいなら何とか叶えてもらえるのではないだろうか。彼は優しい人だから。後のことは家に戻ってから考えるしかない。

 不安は消えなかったが、それでもネルは必死に眠ろうと努力した。小さな窓から射す月の光が、妙にまぶしく感じられた。


ちょっと一息。次の更新は一週間後くらいじゃないかと思います。

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