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目覚め

 目を開けたとき最初に飛び込んできたのは、黄ばんだ天井だった。

 ここはどこだろう。目だけを動かして周囲を観察する。するとすぐそばに髭面の男がいるのに気づいた。男はこちらを見つめているようだ。そういえば前にも、この黒い髭を見たような気がする。それは男の顔の半分を隠してしまうほど伸ばされていた。なんとなく触りたくなる髭だ。

「ひげ、ふさふさ…」

思わず言葉にしていたが、彼女は聞こえてきた自分の声に驚いた。――まるで死にかけの猫みたいなガラガラ声だわ。

「…だから、なんで第一声が『ひげ』なんだ」

男は顔をしかめて呟いたが、すぐに心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んできた。

「体の調子はどんな感じだ? 痛かったり辛いことがあったらすぐに言えよ」

 そう言われてやっと自分の体を意識した。なんだか全身が泥の中につかっているみたいに重くて力が入らない。それから左足に違和感を覚えた。まるで心臓が左足に移動したみたいに、ズキズキと脈打っている。感じたままに「あし、へん。痛いみたい」と訴えると、男は「折れているからな」と答えた。それから彼女の上半身を起こして銀色のカップを手に持たせた。中にはとろりとした茶色の液体が入っている。

「飲めるだけ飲んでみろ。無理はしなくてもいいぞ」

あまり美味しそうには見えなかったが言われるままに液体を口に含むと、ほんのりと甘くて飲みやすかった。のどが渇いていたので夢中ですすっていると、いつの間にか全て飲み干してしまった。もっと飲みたくて男の顔を見つめたが、彼はカップの中身が空になったのに見てそれを取り上げてしまった。不満げな視線に気づいたのか男が言った。

「今のは薬湯だから何杯も飲むものではないんだ。それにいきなりたくさん飲んだら胃がびっくりしてしまう。おまえは三日も眠っていたんだから」

 三日。

 どうやら自分はとんでもなく寝坊してしまったようだ。だが、そもそもどうして見知らぬ場所で見知らぬ人間に介抱されているのかが分からなかった。自分の身に何が起こったのか、彼女は記憶をたどろうとした。が、考え始めた途端に今度は猛烈な睡魔に襲われた。

「ねむいわ…」

「じゃあ眠れ。ゆっくりな」

そう言いながら男が微笑んだ。あまりに眠たくてもう瞼が持ち上がらなかったけれど、そんな気がした。

 ――うん、そうする。

 返事は声になることなく、彼女の中に溶けていった。


 ハトリはじっと眠る少女の顔を見つめていたが、ふと顔を上げて入口のところに立つ人影に声をかけた。

「ジル、こそこそ覗いていないで入ってくればいいだろう。なんでそんな所に突っ立ってるんだ」

「あ、やっぱり気づいてたの。なんかハトリ伯父がお父さんみたいだなあと思って和んでた」

ジルと呼ばれた若い女は切れ長の瞳をにやりと細めた。

「なんだ、その顔は。お前が赤ん坊のときには俺がおしめを替えてやったこともあったんだぞ」

「そんな昔のこと覚えてない。私もう今年で二十五なんだから、いい加減その類の話はやめて。懐古主義のオヤジは倦厭されるわよ。そんなだからハトリ伯父は結婚できないんでしょ。わかってる、老いた自分を認めたくないから過去の栄光にすがるのよね。かわいそう。父さんも最近はやたら昔話をしたがるわ。どうせ半分くらいは妄想でしょうけど。中年の悲しい性ってやつよね」

彼女は冷たい表情で一息にそう言いきった。

 ――い、以前にもまして毒舌に磨きがかかっている…。

 ハトリは思わぬ猛攻にたじろいだ。そういえば、彼女はこういう性格だった。三日前、十年ぶりに彼女と再会した時には落ち着いた大人の女性になったものだと感心していたのだが、人間そうそう変るものではないらしい。それどころか、どうやら嫌な方向に才能を伸ばしてしまったようだ。しかし、自分の言葉に傷ついているハトリのことは全く意に介さず、ジルは眠る少女に歩み寄った。

「もう大丈夫そうね。長いこと目を覚まさないから心配したけど」

「ああ、そうみたいだ。おまえがいてくれて助かったよ」

「ん、別にお礼は言わなくていいよ。私の仕事だもの。それにこの子はなかなか興味深いし、伯父さんの憔悴しきった顔も見れて楽しかったわ」

からからと笑うジルを見て、ハトリは深いため息をついた。


 

 不幸にして砂漠の中で唯一の移動手段を失ったハトリに残された道は一つしかなかった。

 子どもを背におぶって歩こう。彼はすぐさま決断した。その際、万一のことを考えて最低限必要な物は持っていくことにしたが、壊れたバイクは置いていくほか無かった。二十年あまり共に旅をしてきた愛機を見捨てていくのはしのびなかったが、背に腹は代えられない。一番近い村までは徒歩で三時間弱だが、子どもを背負っての行程なので余分に時間がかかると見た方がよい。体力には自信があるが、いかんせん自分は絶望的に運が悪い。道中で何か起こるかもしれないと覚悟した方が、実際に何か起こった時に精神的な痛みが少ないだろう。

 果たして、彼の予想は見事に的中することとなる。


 歩き始めて二時間ほど経過した頃、ハトリは砂漠の中央部分をようやく抜け、少しばかりの草が生えた岩石地帯へとたどりついていた。もともとデゴン砂漠は局地的に発生した乾燥地域であり、その範囲はそれほど広くはない。しかも、ハトリが子どもを見つけたのは砂漠の中でもやや中心から外れた場所だったので、それほど時間をかけずに砂漠を出ることが出来た。ここも荒地には違いないが、砂漠と比べて歩きやすさの点で格段に楽になる。目的地としている村には1時間以内にたどりつけるだろう。いまだ子どもが目を覚ます気配は見られないが、ハトリは少しだけ気分が明るくなった。

 しかし、勢いよく踏み出された彼の足が地面を踏むことはなかった。

 体が傾いだかと思うと、次の瞬間には軽い浮遊感とともに体が落下する。このような感覚には嫌になるほど覚えがあった。昔よく味わったのだから。

 これは「落とし穴」だ。

 彼は長年の経験から冷静に判断し、瞬時に着地態勢をとった。しかし、一つだけ予想外だったのは、今回の落とし穴が今まで彼を陥れてきたどの穴よりも深かったことである。おそらく深さにして五メートルほど。着地と同時に足にものすごい衝撃が来た。それでも足の裏を地につけて立っていたのは彼の根性のなせる技であろう。

 「ぐあ――」

 ただし、どう考えても足首と膝の痛みは尋常ではなかった。



最近ちょっとした高さからでも飛び降りると膝がすごく痛いです。

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