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片鱗

 聞き間違いでなければ、今この子どもはたしかに「ひ、げ…」とつぶやいた。

 さっきまでは死んでいたはずだ。それは確認したハトリが一番理解している。なのに、なぜ目を開けて、あまつさえ言葉まで発することができるのか。

 ――というか第一声が「ひげ」とはどういうことだ。俺のひげに何か文句があるのか。もしかして、くちづけた時にひげが当たって痛かったのか。それなら申し訳ないことをした。しかし、よく考えれば「ひげ」が「髭」を意味するとは限らないではないか。もしや「卑下」。または「ひいっ」とか「げっ」とかあまり良くない感動の独立語かもしれない。目覚めて早々にひげ面の男を見て「ひいっ!げげえー」、こんなところか。うん、それはちょっと悲しいな。

 自分でも、上手く頭が回っていないのが分かる。ハトリはそれでも渾身の力で「ひげ」発言を頭の隅においやった。目の前に横たわっている幼子を見つめる。さきほどまでは冷たい死体でしかなかった。しかし、今は安らかな寝息をたてており、頬にも赤味が戻ってきている。

 その生命の証を目にした瞬間、彼の思考はいっきに切り替わった。今やるべきことは一つ。この子どもを安全な場所まで運ばなくてはならない。様子を見る限り本当にただ眠っているだけのようだ。呼吸は規則的で、表情も穏やかである。しかし、いつからここにいたのか分からないし、さきほどの仮死状態(と表現するしかない)はやはり無視できない。何より当たり前だが、生きた子どもを砂漠の真ん中に置き去りにするわけにはいかない。

 ハトリはぐてんと砂の上に投げ出された小さな体を軽くゆすった。

「おい、大丈夫か。返事をしてくれ」

 しかし、ぴったりと閉じられたまぶたは動く気配がない。ハトリはため息をつくと、腕を子どもの脇の下と膝の裏に回した。抱きかかえようと力を込めた瞬間、子どもが小さく呻いた。あわてて顔を見ると、苦痛に耐えるように眉根を寄せていた。先ほどまで見られなった表情だ。――もしかして、どこかを怪我しているのか。短い逡巡ののち、スボンの裾を大きくまくった。

 そこから現れた細い脚を目にした瞬間、彼は顔をしかめた。子どもの左脚のすねが腫れあがり、紫色に変色していた。この腫れ方ではおそらく骨に異常をきたしている。内出血の範囲も広い。急いで自分の荷物の中を探るが、応急処置に使えそうなものは入っていなかった。この時ばかりは、自分の怪我とは無縁の頑丈な体が恨めしい。

「要は、なんでもいいから固定できればいいんだ…」

 自分を鼓舞するように呟いて、再び荷物の中身を物色する。年季の入った大きな革の布袋は、彼の生活用品を放り込むためのものだ。彼はその中から黒い毛布をとりだした。軽くて丈夫な黒メム羊の毛で織られたそれは、保温力と通気性を兼ね備えた旅人の必需品だ。ハトリはそれを畳んで十分な厚さにすると、子どものすねから膝上までにかけて巻きつけた。その上から適当な紐で縛って固定する。不格好だが無いよりはましだろう。この間も子どもは全く目を覚まさなかった。泣かれても困るが、あまりに無反応でも心配になる。


 あらかたの処置を終えて、ハトリは自分が乗ってきたバイクに目をやった。

 彼の愛車は、時代遅れの初期型自動二輪。初期型の特徴は、とにかく車体が大きく、各部にやたらとパイプやらコードがくっついていることである。人々は今やこのタイプのバイクを、親愛の念をこめて“頑固おやじ”と呼ぶ。見た目が強面なのと、故障が多くて融通がきかないことが、ネーミングの由来と思われる。そんな開発からとうに二十年が経過した旧式のバイクに乗り続けるのは、ひとえに彼が物持ちの良い人間だからである。彼の父は質素倹約を愛した人であったから、息子にも当然それを強要した。その結果、彼は粘着質なまでに一つの物を使い続ける人間へと成長した。故障が多いなら、直せばよい。彼は自分のこだわりのためには努力を惜しまない性質なので、自動二輪の購入と同時にその整備技術を習得した。さらに、時代の流れとともに新型が登場するようになると、今度は自らの手で愛車に改良を加え始めた。そして度重なる改造の末に、ハトリの“頑固おやじ”は最新型にも負けないパワーとスピードを手に入れた。

 一番近い集落まで約十キロ、しかし確実に医師の診療を受けさせようと思えばさらに二十キロ先の街まで移動した方がよいだろう。彼のバイクであれば半時間もあれば到達できる距離である。意識のない怪我人を乗せるにはひたすら不向きな乗り物ではあるが、背に腹は代えられない。少々我慢してもらおう。

 まず、子どもを自分の体と後部にくくりつけた荷物で挟み込むようにした。その上で子どもの腕を自分の腹の目まで回して手を縛る。それぞれの間は隙間なく密着しているので、気をつけて走れば落ちることはないだろう。結果として誘拐犯と子どものような構図が出来上がってしまい、少しばかり気が滅入ったが、何はともあれようやく出発できる。

 しかし、彼がエンジンをかけた瞬間。

 ぼごんっ――長年にわたりハトリの旅を支えてきた彼の愛車は、唐突に妙な爆音を轟かせて黒煙を吐きだした。

「……は?」

 

 彼は、子どものころから自他ともに認めるほど運が悪かった。上から物が落ちてこようものなら必ず当たる。落とし穴には百発百中でひっかかる。友達と分け合った菓子を食べれば、一人だけ腐ったものが当たる。最初は、運が悪いというよりは単純に注意力が足りないせいだと思われていた。それを危惧した祖父と父は、彼に幼少のころより武術をたたきこんだ。そのおかげで危機回避能力は飛躍的に向上したが、いざという時に不運な目に遭うところは依然として変わらなかった。

 そんな彼の運のなさが、今回も遺憾なく発揮されてしまった。

 前述したように、ハトリはたいていのバイクの故障は自分で修理できるだけの知識と技術を持っている。しかし、先ほどのような爆音は今まで聞いたことがなかった。急いで車体を確認した彼の目に映ったのは、黒こげになった燃料タンクと、そこからはみ出た細長い虫の死骸だった。――やられた。ハトリは何が起こったかを悟った。

 通常この手の自動二輪の燃料となるのは、炎目石ほのめいしと呼ばれる鉱物である。この石からエネルギーを取り出す装置が開発されたのが約四十年前。以後、豊富に採れる炎目石はさまざまな機械の動力源として重宝されてきた。しかし、このエネルギー転換装置はいまだ不安定さを残しており、微量であっても異物が混入すると途端に調子が悪くなる。そのため燃料補充には細心の注意を払い、補充時以外は必ず専用の蓋で容器をきっちりと密閉しなければならない。当然ながら、ハトリは常にそれを守ってきた。だが、今回起こったのはまさにその異物混入である。入り込んだのは、デゴン砂漠にしか生息しない「影虫」という虫の一種であった。この虫の特徴は、影のように己の体を際限なく薄くできることである。ゆえにどのような場所にも潜り込むことが可能であり、機械類の天敵とも言える存在である。しかし、多くの人々は影虫に対してそれほど脅威を感じてはいない。それは、影虫の生息地がデゴン砂漠という狭い地域に限られ、しかも個体数が極めて少ないからだ。すなわち、影虫に遭遇する確率は非常に低く、よほど運が悪くなければ被害を受けないということだ。


「運が悪いとは思っていたが、ついに影虫にまで遭遇してしまった…」

 これまでにも様々な希少生物に遭遇してきた(そして概ね不幸な目に遭った)が、またしても、である。しかもこのタイミングで。ちなみに彼の知る限り、影虫が最後に目撃されたのは七年前だ。

 もはやこの子どもは赤の他人でなく、自分の不幸に巻き込まれた被害者である。なんとしても助けてやらねばならない。ハトリは心に誓った。


展開が遅くてじれじれ。早く先に進みたいのですが…。

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