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別れ

 診療所までの道すがら、ネルたちは村人たちからいろんなものをもらった。「可愛いお嬢ちゃんだね」とか「あら、素敵なおにいさん」(こちらは女性に限る)とか、そういった類の言葉とともに手にもっていたパンやら野菜やらをくれるのだ。愛らしい少女と美青年の組み合わせというのは、どうにも人目を引くらしい。人口の少ない辺境の村ではなおさらだ。

 それを傍目に見ていたジルは「この人たち働かなくても生きていけそう」と心の中で思ったが、口には出さなかった。


 もともと彼女の伯父はどこか捉えどころのない変わった人物だったが、昨日の晩に明かされた彼の秘密はジルの常識を逸脱していた。彼女が子どもだった頃から伯父は村にはあまり寄りつかず、会うのはせいぜい年に一回か二回。それでも帰るたびにジルの興味をひくお土産をたっぷり用意してくれていたので、彼女は伯父のことを慕っていた。閉鎖的な村の中では伯父のように世界を広く知る人間は珍しく、そんな伯父は彼女にとって憧れの対象でもあった。もちろん口に出したことは一度たりともなかったが。

 ぼさぼさの髪の毛と髭はいただけなかったが、物心がついた時からそうだったので、「伯父さんはむさい人」と認識されており、さして気にしたことはなかった。しかし、その髪と髭に隠された素顔がアレとは。

 昨夜、伯父は自分の身の上をジルに語り、それでもジルが半信半疑なのを見ておもむろに席を立った。そして帰ってきたときには顔を隠していた髪と髭が無くなっていたのだ。

「ほら、年とってないだろ。信じたか?」

 ハトリにそう言われたジルは思わず衝動的に彼を殴り飛ばしていた。「ぐぎゃっ」と蛙のつぶれたような声を出して吹っ飛ぶ伯父を尻目に、彼女は自分の右のこぶしを見つめていた。

「痛い…。夢じゃないのね」

「…分かってくれて嬉しいよ」

 絶対俺の方が痛いけどな、と頬をおさえジト目でこちらを見る伯父のことは無視した。

 まさか伯父が自分よりも若く見える日が来ようとは思わなかった。それでも目の当たりにしたからには信じるしかない。それに騙され続けるよりは真実を告げられた方がよほど良いだろう。

 それはともかくとして、現れたハトリの素顔は認めたくはないが、いわゆる「美丈夫」と言って差し支えないものであった。どことなく異国情緒が漂う品のある顔立ちはこのあたりでは見られないものだ。そもそも肌の色が違う。カブロアの内陸部の民はすべからく褐色の肌を持つが、伯父のそれは自分たちに比べると色白だ。どちらかと言えばネルの肌に近いかもしれない。顔の造作もかなり異なる。ジルは湧きあがった疑問をぶつけずにはいられなかった。

「伯父さんさ、まだ隠してることあるでしょ」

「……」

「ほんとはそもそも血縁者ってのが噓じゃないの?」

 ハトリは何も答えない。だが、気まずそうに切りたての髪をいじる彼を見て、ジルは確信した。

「やっぱりそうなんだ」

 観念したのかハトリはぽつりと言った。

「…悪かった、騙してて」

 それを聞いたジルは、全身から力が抜ける感覚を味わった。知らず知らずのうちに深いため息をつく。そうしてやっと絞り出した声は、自分で思うよりも低く響いた。

「父さんは、全部知ってるの…?」

「…ああ、ウーゴにはハルがばらしちまった。あいつが小さい時にな」

 ハルというのはおそらく祖父であるヤハルの愛称だろうとジルは思った。伯父がこんな風に祖父のことを呼ぶのは初めてだ。だが、それも当然だ。今日の今日までハトリはヤハルの息子、ウーゴの兄として振舞っていたのだから。

「伯父さんって、一体なんなの…?」

「そう言われると俺もよく分からないなあ…」

 苦い笑みを浮かべて伯父は言った。

「俺もよく分からないよ」

 繰り返すように呟くハトリの瞳を目にした瞬間、ジルは言葉を失った。そこにはジルが見たことも無い深い闇が渦巻いていた。悲しみとも絶望ともつかないその色を、ジルはじっと見つめることしかできなかった。こんな伯父を見るのは初めてだったからだ。伯父はいつだってひょうひょうとして、ジルがどんなにひどい言葉を投げても本気で怒ったことのない穏やかな人だった。そういう伯父だからこそ彼女も暴言を吐き続けたわけだが。

 長い沈黙を打ち破ったのはハトリの方だった。

「でもな、ハルの親父に拾われて俺はあいつと兄弟みたいに育ててもらった。義父さんはすごい人でな、他人の俺のことも実の息子同然に可愛がってくれたよ。めちゃくちゃ厳しくて何度も殴られたけどな」

 お前の気性は義父さん譲りかもしれないな、とハトリは笑った。彼は何かを慈しむような柔らかな表情を浮かべていた。今は亡き曾祖父や祖父のことを思い出しているのかもしれない。

「だからヤハルは俺にとって本当の弟と同じだし、その息子のウーゴは俺の甥っこだ。その娘のお前は…なんていうんだろうな、大姪でいいんだったか? とにかく血のつながりなんて気にしたことはなかったよ」

 ジルは、今まで伯父だと信じていたものが一夜にして崩れ去ったことが悲しかった。しかし、そうではなかったのだ。彼は彼でしかありえない。彼の長い人生の全てを推し量ることは自分にはできない。しかし、それでも自分に与えてくれた愛情は決して噓ではなかったと信じられる。何と言っても、彼は十年ぶりに会った自分を一目で分かってくれたのだ。人と人とのつながりというのは、きっとそういうものなのだろう。

「あのさ、私もうお酒が飲める年になったの。だから、今度ウルガルに帰って来る時はお土産お願いね」

 それを聞いたハトリはきょとんとしたが、すぐに破顔した。

「ああ、成人の祝いの分までたっぷり用意してやるよ」

 次に会う時は一緒に酒を酌み交わそう。


 診療所に戻ると、まずは三人で朝食をとった。ネルはすでにお腹がぺこぺこだったので、用意された食事を無言でぱくついた。香辛料が異なるのか彼女にとっては舌慣れない味だったが、なかなか美味しかった。昨日はおかゆしか食べていないので、こちらの食事がどんなものかよく分からなかったのだ。もともと好き嫌いなく何でも食べる性質だが、あまりに変わった味でなくてよかったと心底ほっとした。

 食事が終わってしばらくしてから、ジルがサンガル村を出ることを告げた。

「私はサンガルの専属ってわけじゃないもの、いい加減に次の村に行かなきゃいけないからね」

 ジルは近隣の村を回る往診の途中だったのだが、ネルが目覚めるのを待ってサンガルに留まってくれていたらしい。それを聞いて申し訳なくなるネルだった。

「この診療所はいつでも使ってくれていいけど、いつまでもここにいるわけじゃないんでしょ? そもそも伯父さんはなんでデゴン砂漠にいたのよ。ウルガルに用事でもあった?」

「いや、ここからもうちょい西の村に手紙を届ける途中だったんだよ。俺も忘れかけてたが…」

「そういや一応無職じゃなかったんだっけね」

 ジルは思い出したように言った。

「タカオミ、何のお仕事してるの?」

 ネルが尋ねるとタカオミの代わりにジルが答えた。

「この人ね、自称「郵便屋さん」なのよ。といっても昔からほとんど働いてないも同然だったみたいだけど」

「失礼だな。別に食うに困ってないからいいんだよ」

 そう言いつつ、タカオミは「働いていない」という部分は否定しなかった。

「いい年して無職の親戚がいるってのはね、身内からしたら嫌なもんなのよ」

 対するジルは辛辣に言い放った。

「まあいいわ。ついでだからウルガルに寄って父さんに顔見せてってよ。最近伯父さんが全然村に戻らないって心配してたよ」

「ああ、分かった。寄らせてもらうよ。おまえにもいろいろ世話になったな」

「あ、ありがとうございました!」

 ネルも慌ててお礼を述べた。

「どういたしまして。伯父さん、ネルのことよろしくね」

「ん」

 ジルは二人に「じゃあね」と一言告げると、くるりと背を向けて一度も振り返らずに颯爽と歩いて行った。タカオミとネルはその背が見えなくなるまでじっと見送っていた。



今回は短め。

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