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彼の事情2

 窓から差し込んだ朝日のまぶしさでネルは目が覚めた。瞳に映ったのは見覚えはあるが馴染みのない黄ばんだ天井だ。自分のいる場所が自宅でないことを認識すると同時に、置かれている状況を思い出した。昨晩は悶々としていたが、いつの間にやらなんとか眠りに落ちることができたらしい。睡眠をはさんだせいか、心なしか昨日よりは幾分すっきりとしている。とはいっても睡眠不足気味には違いなく、まだ少し瞼が重い。

 ネルは起き上がる前に寝そべった状態で伸びをした。それを何度か繰り返してから、名残惜しかったが彼女は布団から出た。

(床に布団をしいて眠るのってやっぱり変な感じ)

 いつもなら跳ねるようにしてベッドから飛び降りるのが習慣の彼女にとっては、足を出したら床にぶつかるというのはどこか不思議なものだ。

 その時ふと左の脚に巻かれた白い包帯が目についた。

「これ、何だっけ?」


 部屋には誰もいなかったが、隣室からは人の気配がした。おそらくタカオミとジルだろう。そう思って部屋を出ると、そこにいたのはジル一人であった。飴色をした木箱を開けてごそごそと何かを取り出したり閉まったりしている。ネルが入ってきたのに気づくと、すぐに声をかけてくれた。

「おはよう、ネル。昨日はよく眠れた?」

「おはようございます。よく眠れました」

 ネルはなるべく目を大きく開くように努力しながら答えた。ジルはくすりと笑ったがネルの噓に気付いているのかいないのか、何も言わなかった。ネルはそんなジルの様子には気付かなかった。彼女には他に気になることがあったからだ。そんなネルを見てジルは言った。

「伯父さんなら外に出てるわよ」

 ジルの言葉にネルは驚いた。

「なんで分かったの…?」

「そりゃ分かるわよ。きょろきょろして、ちょっと不安そうな顔になってたもん。あのオッサンの何がいいのかは分かんないけどね、一生」

 ジルはさらりとひどいことを言ったが、その笑顔を見れば彼女が伯父のことを慕っているのが伝わってくる。どうやら昨晩の話し合いは上手くいったようなので、ネルも少しばかり安心した。

「仲直りできたんだ、よかった…」

 小さな声でそう呟くと、ばっちり聞こえたらしいジルは顔をくしゃりと歪めた。眉尻が下がっていて、彼女にしては珍しい表情だ。

「あー、昨日はお騒がせしてごめんね。あんまり気にしないでくれると嬉しいな」

 恥ずかしそうにそう言うジルの姿はどこか可愛らしかった。背がすらりと高く、釣り目がちの茶色の瞳と高い鼻やキリリとした唇。ジルはネルのイメージする格好良い女性の姿そのものだったが、このような表情をしていると雰囲気も柔らかくなる。

「そういえば、朝ご飯食べる前にちょっと足見せてくれない?」

「足…ですか?」

「うん、昨日はうっかりしてたけど、あなたの目が覚めたらきちんと診察しなきゃと思ってたんだ。言ってなかったかもしれないけど、私は医者なの。ここもサンガル村の簡易診療所として使ってる空き家」

「お医者さんだったんですか」

「そ。とりあえずそこの椅子に座ってくれる?」

 ネルは言われた通りに木で出来た椅子に腰かけた。ジルはもう一つの椅子をネルの前に運び、その上にネルの左脚を乗せた。そうしてからジルは巻かれた包帯を慣れた手つきでほどいていく。

「今どれくらい痛い?」

 ネルは考え込んだ。

「…えっと、なんというか全然痛くないです」

 包帯を取り去って脚を触ったり動かしたりして何かを確かめていたジルは顎に手を当てて唸った。

「うーん。やっぱり、あなたは伯父さんに負けず劣らず変わってるみたいだなあ」

 治っちゃってるわ、と首を傾げて言うジルに対し、そもそも自分が怪我をしていたという自覚の薄いネルはぼんやりとしていた。

(そういえば『骨が折れてる』と言われたような気がする)

 昨日タカオミと話している時点ですでに痛みが引いていたので忘れていたが、その前に目を覚ました際には確かに痛みを覚えたのだ。その後はいろいろあってそれどころではなかったのだが。

「あのね、あなたは左脚のすねを骨折してたのよ。それが昨日の時点では腫れが引いてて内出血による変色もほぼ元通り。伯父さんみたいな人もいるって知ったから、もう細かいことは気にしないことにしようとは思うけど…」

 どうやらジルはネルが聞いたのと同じことをタカオミから聞かされているようだった。彼の体の異常さはネルも確かに驚いた。が、自分も同類のように言われているのは心外である。

「それって、そんなに変なんですか?」

「は?」

 ネルの言葉にジルはぽかんと口を開けた。

「だって私が怪我したのって何日も前のことですよね? それなら治っててもおかしくないんじゃ…」

「いやいやいや! 私の見立てでは全治三週間だったの、あなたの怪我は!」

今度はネルが驚く番だった。

「さ、三週間もかかるんですか? それってすっごく体の弱ったお年寄りくらいじゃ…」

 ジルは少しばかり考え込んでから、ゆっくりと確認するように言葉を発した。

「…あのさ、ネルって軽い切り傷だったらどれくらいで治る? あ、痕が消えるまでってことだけど」

「…えっと、たぶん1日か2日くらい、かな」

 そう答えるとジルはまたもや黙ってしまった。ネルは焦った。

「え、ふ、普通それくらいですよね? 」

「いや全然普通じゃないから! あなたの常識は間違ってるから!」

 力いっぱいネルの言葉を否定してから、ジルは頭を抱えてうずくまってしまった。かと思うと突然立ち上がって叫んだ。

「うー、決めたっ。やっぱあなたのことは伯父さんに一任する! とにかく怪我も治ったことだし、よかったよかった!」

 考えることを放棄してしまったらしいジルは、あははと渇いた笑い声を上げた。


「それにしても遅いわね」

 なかなか戻って来ないタカオミに焦れたようにジルは言った。

「朝食に使う卵をもらってくるだけなのに、なんでこんなに時間食ってんのよ。使えないジジイね」

 ジルの言いようは酷いが、それも仕方ないかもしれなかった。ネルが起床してからゆうに1時間は経っているのだ。たしかに遅すぎる。ネルもだんだんとお腹が空いてきたし、何よりタカオミの顔を早く見たかった。

「外、見に行ってもいいですか?」

「それは構わないけど、ネルじゃ伯父さんがどこにいるか分かんないでしょ? それだったら私も一緒に行くわよ」


 外に出る前に、ついでだからと軽く水浴びもさせてもらった。水浴びとはいっても大きなタライに水を張っただけのものだったが、それでも数日ぶりに体を清めることができてとても気持ち良かった。この村では、たいていの家の外に目隠し板で覆われた一角があり、そこでこのようにして水浴びをするのだそうだ。

 替えの服はジルが事前に準備してくれていた。目が覚めたときに着せられていたのもネルには馴染みのない形の衣服であった。今着ているのもそれと同じで、ゆったりとした麻のシャツとズボンである。腰のところで結んでもらった帯は綺麗な赤色で、それが全体のアクセントになっていた。他にも裾の部分には鮮やかな糸で複雑な刺繍がされており、ネルはそれがとても気に入った。

 服もそうだが、サンガルの村はネルにとっては全くの別世界だった。白っぽい石造りの四角い家屋の建ち並ぶ景色は、まるでおもちゃのブロックを並べたかのようだ。彼女の住んでいた町は森が近かったこともあって、ほとんどの家が木造だった。ジルにそう言うと、これは土を乾燥させて作った煉瓦を積み上げて作っているのだと教えてくれた。この地方ではほとんどの建物はそうして作られるだという。

 また、多くの家に牛や馬といった家畜がいるのも物珍しかった。土が痩せたこの地では家畜はとても大事な存在なのだそうだ。ハンザとカブロアでは気候風土が全く異なるらしい。見るものすべてが新鮮で、ネルは始終きょろきょろしていた。途中でこけそうになりジルに窘められたほどだった。それからはジルと手をつないで歩いた。


 連れだって歩いていると、ほどなくしてタカオミと思しき男性の後ろ姿を発見した。顔が見えずともネルにはその雰囲気からすぐに彼のことが分かった。その隣に三人の若い娘がおり、一人はタカオミの腕に自らの腕をからめている。遠目に見た雰囲気からでもタカオミが対応に困っているのが分かった。

「何やってんだか」

 不機嫌そうにジルが鼻を鳴らした。そして歩み寄りながらも、いまだ少しばかり距離のあるタカオミに向かって叫んだ。

「ちょっと、いつまで待たせんのよ馬鹿伯父! 全然帰らないから迎えに来てみりゃ、何いい年してデレデレしてんのよ!」

「してねえよ!」

 それまでタカオミはジルとネルの姿には気付いていなかったようだが、ジルの罵声に反射的に振り返って返事をした。

 だが、ネルはその顔を見た瞬間に固まった。

「だ、れ…?」

 あまりの衝撃に体が動かなかった。ネルが突然歩みを止めたために腕を引かれたジルは、ネルの顔を見て納得したようにこくこくと頷いた。

「ネルの気持ち、痛いほど分かるわ…」

 ジルは同情するようにしみじみと言った。

 結論だけ言えば、目の前にいたのはネルの知るタカオミとは全くの別人だった。あくまでも外見が、であるが。

 娘たちに纏わりつかれながら、固まっているこちらを不思議そうに見つめているのは、20代前半の若い男だった。それも非常に整った顔立ちをしている。綺麗なアーモンド形をした切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、少し厚めの唇が、それぞれ完璧な形で完璧な場所に配置されている。顎がやや尖っているせいで全体としてはシャープな印象を与えるが、それでもどことなく甘い顔立ちだ。混じりけのない漆黒の瞳と髪が神秘的な雰囲気さえ醸し出している。

 あまり外見の美醜に頓着しないネルであっても、思わず見惚れてしまうほどだった。しかし、一番問題なのはその彼からネルのよく知る気配を感じるということだ。

「おはよう、ネル」

 ネルの顔を見た男はとりあえずという風に苦笑しながら挨拶をしてきたが、それでもネルは反応することが出来なかった。その笑顔は間違いなくネルの知るタカオミのものだったが、それを認められるほどに彼女の思考は回復していなかった。

「おい、どうしたんだ? もしかして具合が悪いのか? ジル、お前は仮にも医者だろうが。病み上がりのネルを連れまわすなよ」

「あんたのせいだっての…」

 低い声でジルが言うが、タカオミには何のことか分からないらしかった。それを見てジルは苛々した口調で言い放った。

「昨日まで髭面中年オヤジだったのが、いきなり若返ってたらびっくりするでしょってことよ! 察しろボケ!」

 その言葉に思い出したように「あ」と呟くタカオミ。

 まだ衝撃から立ち直れないネルは二人のやりとりをぼんやりと見つめていたが、その時脇から甲高い声が上がったことではっとした。

「ちょっとジル姐さんってばこんな男前どこに隠してたのよ!」

「ほんとほんと、紹介してくれなきゃ駄目よ」

「ずるーい!」

 おそらくはこの村の娘なのだろう、ジルとも面識があるらしかった。

「うるさい。あんたら見た目で騙されんじゃないわよ。こんな男と関わっても碌なことないから、さっさと家に帰って仕事しなさい」

 ジルが身も心も凍るような冷たい瞳でじろりと睨むと、それまでやいやい騒いでいた娘たちはぴたりと口を閉ざしてそそくさと去って行った。どうやらジルは娘たちから少なからず恐れられているようだった。

「ハトリ伯父もしっかりしなさいよ。何をあんな小娘どもにひっかかってんだか。これだからへたれは嫌なのよ」

「いや、そうは言っても、なんかすごい迫力で腕をひっぱられて何を言っても解放してくれなかったんだよ…。正直もう疲れきってて、お前たちが来てくれて助かった」

「黙れ、いい年して言い訳なんて見苦しい。ネル、もうこんなダメ親父ほっといて二人で帰りましょう。…ネル?」

 ジルに声をかけられたネルは少しの間逡巡してから尋ねた。

「――ほんとにタカオミ?」

 半信半疑で自分を見つめるネルに、タカオミは困った顔をした。

「そんなに違うか? 髭そって髪切っただけなんだけどな」

「…ハトリ伯父の場合は、まあ、特にショックが大きいのよ。いろいろとね」

 ジルは不本意そうだ。「昨日まで浮浪者そのものだったのが素顔はこれだなんて。どこのお伽話、っていうほとんど反則…」とぶつぶつ言っている。

 そんなジルをよそに、タカオミは事もなげに言った。

「そうか、驚かせて悪かったな。ジルにも洗いざらい話したし、もう年を誤魔化しても意味がなかったからさ。いい加減鬱陶しくて切りたかったんだよな、髪も髭も」

 タカオミは「いやー、さっぱりした」と呑気に言った。「それに」と、タカオミはネルをひょいと抱き上げた。

「髪が短い方が、ネルの顔がよく見えるしな」

 ふわりと微笑んで視線を合わせたタカオミに、ネルは自分の顔が赤くなるのを感じた。それを誤魔化すようにネルは言葉を発した。

「あ、あの、ほんとはおじさんじゃなかったんですね」

「ああ。俺が戦場に出てたのって二十代の頃なんだよ。こんなことになったのは二十三の時だから、それから見た目は変わってないな。もういかに老けてるように見せるか大変だったぞ」

 「大変」と言いながらもタカオミはどこか楽しそうだった。素顔をさらせるようになったのが余程嬉しいのか、にこにこしながら「おまえ軽いなー」と言ってネルを抱いたままくるくると回っている。それを見たジルがぼそりと呟いた。

「やだ、絵になりすぎて逆に寒い…」




 

 



お久しぶりです。予告していたより大分遅くなってしまって申し訳ありません。しばらく土日の予定が詰まっていたり風邪をひいたりであまり時間がれなくて…。やっと書きたかった場面の一つを消化できました。

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