1_レヴィウス様に一目惚れしました
十七歳の誕生日、私、シルフィアは村のみんなに呼び出されてお祝いされた。
お祝いの特製ドリンクを飲んだ矢先、私はぱたりと倒れ、次に目覚めたときは見知らぬ場所にいた。
(えっ? どこ、ここ? 何これ? 『アドラー様へ 生贄です。ホルト村一堂』って……何なのこれ?)
どうやら私は祭壇に寝かされていたらしい。寝ている私の近くには、ホルト村――私が住んでいる村だ――からアドラー様へと宛てたらしい手紙がある。
私が住んでいる世界は、魔族がいる。
人間よりも強力な魔力を持ち、いつもは天上の魔族の住処で暮らしており、気まぐれに人間の暮らしに恵みや試練を与える。それが魔族である。
魔族は人間を苦しめることもあるが、人間たちの心からの信仰によって魔族は恵みを与えてくれる――そう信じられている。
なお、地方によって信仰されている魔族は変わる。
私たちが住む地域は、『アドラー様』と呼ばれる鷲の魔族がいる。
基本的に魔族と人間は同じ場所で過ごすことはないが、各地に祭壇や祠が置かれ、そこが人間と魔族が交われる唯一の場所であると伝えられている。
(私が住んでいたホルト村が、定期的にアドラー様に捧げるための農作物を祭壇に置きに行っていたのは知っていた。でも、今年は例年よりも雨がずっと少なくて、今まで通りの捧げ物じゃ駄目かもしれないってみんな騒いでいたのよね。それで……)
――そうだ。『かつての生贄の儀が復活する』という不穏な噂が村の中で流れていたんだった。
遠い昔には魔族に生きた人間を捧げることで人間たちは穏やかな天候の中で暮らしを送れて、繁栄することが出来たらしい。
ホルト村では随分昔に生贄は廃止されたけど、別の地方では未だに魔族に生贄を捧げているところもあるのだとか。
(でも、流石にそんな恐ろしい文化は復活させないでしょうと思ってたけど、私……どうやら無断で生贄に選ばれたみたいね。酷いわ!)
生贄は伝統的に若者が選ばれるらしい。
村には他にも若者は沢山いたけれど、私に白羽の矢が立ったのは天涯孤独の身だからかもしれない。私の両親は数年前に既に世を去り、兄弟もいなかった。だから生贄にしても家族が騒ぐことは無いと判断したのだろう。
(私の中では村で無難に人付き合い出来てたと思ってたけど、そうじゃなかったのかな。もっともっと好感度を稼ぐように立ち回れば良かったわ――前世みたいに)
強めの睡眠薬を飲ませられた影響なのか、生贄にされてショックを受けたからか、私は前世の記憶を思い出していた。
前世の私は、今世とは性格が違った。よく言えば愛想がよく、悪く言えばおべっか使いだった。
媚びに媚びていた。
おそらく家庭内の人間関係が関係していたんだと思う。
実の父親と母親は毎日のように喧嘩していて、そのうち離婚した。
母が再婚して新しく出来た父親は私に対していつも微妙な態度を取っていた。母親のことは好きだけど、その子供はいらないと思っていたとか、そんな事情があったらしい。
新しい父親とうまくいかなかったら、母親にも捨てられちゃうかもしれない――。
そう考えた私は、生き延びるためにせっせと媚びを売るようになったのだ。
努力の成果か、そこそこの暮らしは出来ていたと思う。
でも、ある日階段から足を滑らせて亡くなった。今の私とそう変わらない年だった。
(そうだ。階段から落ちる瞬間、来世では絶対やりたいことをやって長生きしてみせる! って思ったんだ。今はこんな状況だけど、まだ遅くはないかも!)
幸い、私は縛られたりしている訳ではない。移動出来れば人里に戻ることが出来るかもしれない。私を生贄に選んだ村には戻りたくないけど、とりあえず人がいる場所に行きたい。
私は立ち上がって当たりを見回した。
祭壇は基本的に自然の奥深くに作られるものだと聞いていたけど、どうやらここもそうみたいだ。私がいる場所は霧がかった山の中みたいで、あたりに人の気配はない。出口は――。
「――人間か?」
そんな私のもとに、上から声が聞こえてくる。
上空からゆっくりと大人の男性が翼を羽ばたかせ、私の目の前に降りてきた。
艶やかな黒の髪に白い肌、ルビーのような鮮やかな赤い瞳、貴族の領主のような格調高い服を身に纏っている。そして外套が風にはためいている。不思議なことに先程まで広げていた翼は今は見えない。
今更説明するまでもないが、人間は飛べないし、翼も無いし、出し入れすることも出来ない。だから、私の目の前にいるこの男は人間ではない――魔族なのだろう。
(私たちの地方を支配する魔族は鷲の魔族って聞いてた。ほんとうに黒鷲の翼をしていた。だからこの男が、アドラーか……)
魔族の男は私の近くにある手紙をちらりと見てから、私に視線を戻して言った。
「ふむ。お前は村からの俺への捧げ物ということか。生贄ということは、煮るなり焼くなりしてもいいと――」
「アドラー様!! そのことで私からお話があります!」
私はガバッと目の前の魔族に向かって土下座した。迷いはなかった。
「なんだ?」
「私、シルフィアと言います。アドラー様を見て思いました。こんなに美しくて格好良い人は初めてだって。私――心を奪われてしまいました~!」
「なに? 心を……?」
「ええ。食べられたらそこでおしまいの生贄ではなく、私は継続的にあなたの力になりたいのです。 どうかここで働かせてくれないでしょうか! 下女で構わないので、アドラー様のもとで働かせてください。お金などもいらないです。アドラー様と共に生きられるのならそれでいいのです!」
私は最大限甘い声を出しながらアドラーにそう願った。
無論、嘘である。
確かにアドラーは私は見てきた中で最も綺麗な顔をしているが、だからといって心を奪われたりしない。
人間だろうが魔族だろうが、どんなに綺麗でも格好良くても、その相手にすべてを捧げたいなんて気持ちはなかった。
私は自立して生きたいのだ。こうしてアドラーに媚びを売っているのは、ワンチャン生き残るためである。
アドラーがここで私を殺さなければそれでいい。この場から逃亡して人間界に戻る方法は後で考えよう。
(私が欲しいのは、【安心】よ。イケメンだろうと力があろうと声がよかろうと、それが私の安全を脅かすのならいらないわ。
魔族と過ごすなんて怖いこと出来ない。いつか絶対に出て行って今度こそ平和にゆっくり暮らしたい。でも、そのためにここはやり過ごさないと……!)
アドラーは、そんな私をじっと見つめて何か考え事をしているようだ。
そして、ぽつりと呟く。
「俺に心を奪われた……」
「は、はい!」
「人間……シルフィア、といったか」
「はい! 私の名前をアドラー様の声で呼んで頂けるなんて、なんと光栄な……!」
「二つ伝えておくことがある。まず、アドラーというのは俺の家名であり、平時に使う名前ではない。俺の名前は、レヴィウス……そう呼ぶといい」
「レヴィウス様! レヴィウス様というのですね。なんて素敵な響きなのでしょう!!」
私は黄色い声をあげて歓喜のリアクションをした。
魔族って人間みたいに家族がいるものなんだ、レヴィウスってちょっと発音しづらいな、アドラーのままじゃなんで駄目なんだ――とか、心の中で思ったことは内緒だ。
(でも、名前教えてくれるってことは、割と良い感じなんじゃない? すぐに殺すってことはないのかも)
内心そう考えていると、レヴィウスが続ける。
「響きの良さは知らないが、家名で呼ばれるよりはいい。二つ目は……」
そう呟いたレヴィウスの顔が急に霧がかったようにぼやけた。
――いや。
勘違いじゃない。私たちがいるところに、濃霧がかかっている。
「ここの周囲の環境は俺の魔力で細工してある。この霧も俺の魔力を吹き込んで作ったものだ。
シルフィア。俺が嫌いなものを教えてやろう。
俺は【嘘】が嫌いだ。
この霧は俺に叛意を持つ者には毒になるように魔力を込めて作った。ただしお前が本当に俺に心酔しているならば恵みになるだろう。お前の真意は霧が教えてくれるだろう」
レヴィウスはそう言い残して空へと飛び去っていった。