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彼氏のどタイプの女

夏季休暇が終わり、千夏と正秋は揃って出勤した。二人はビルのエントランスに入り、エレベータが降りてくるのを待った。

「そういえば新しいテナントが入ったらしいよ」

正秋はビルのフロア図を指さす。ちょうどヒロイン・デザインの真下のフロアで、「タカコクッキングスタジオ」と新しい名前が表記されている。

「あー、何か工事業者、出入りしてたよね」

「うん。料理教室なのかな」

「それっぽいよね」

千夏は興味を惹かれつつ、正秋とエレベータに乗り込んだ。


「おっ、きたな安田夫妻」

エレベータで六階に降りた途端、社長の亀石が二人を見るなり早速、冷やかす。

「社長、おはようございます。紹介します、妻の千夏です」

正秋が真顔のままふざけて答えると、亀石や総務部課長の生野、若い営業マン達がくすくす笑う。千夏も調子を合わせてニコニコして返す。

「あまなつー、俺とのデートはバックレてヤスと結婚か? 同じ期間で有休とったって聞いたぞ。新婚旅行はどこ行った」

亀石はニヤニヤしながら腕を組む。取り巻き達もゲスい顔ではやしたてる。

「そこはお決まりのハワイですよ」

正秋の返しに続き、千夏はバッグの中をゴソゴソ漁り、包みを差し出す。

「なぜか島根県のお土産だったらあります」

「何だよ、これ」

「開けてみてください」

「おー。出雲大社の…こいつは、なんて読むんだ」


亀石は包みから取り出したお札を老眼で見ようと、お札に近づけたり遠ざけたりしながら、その文字を読み取ろうとする。

釜社札かましゃさつ、です。火事とか洪水とか、災害から会社を守ってくれるお札ですよ」

こんなもの、買ってくる義務はなかった。だけど、先日のデザイン業界の一大イベント、クリエイティブEXPO(エクスポ)で多少なりとも活躍した千夏のために、亀石がいくばくかの報奨金を出したのだ。その金は旅行中に自由に使ったものの、余った分でこんなお札を買ってきた、というわけである。

「おおー、そうか。いいものをありがとうな。社長室に飾っとこう」

亀石は大切そうにお札を包みに戻す。そこへ生野が前に進み出て、正秋の肩を馴れ馴れしく抱いた。このセクハラ大王は何を言うんだろうと、千夏は半眼になる。

「それで、安田君。新婚初夜はどうだった」

「生野さん、野暮ですよ」

「と言うと?」

「毎晩燃えたに決まってるじゃないですか」

正秋がしれっと言うと、生野も周りも大爆笑だ。

「じゃ、皆さん失礼します。俺の奥さん、今日からおんなじ時間に帰ろうな」

正秋はそう言って千夏に手を振り、営業部の部屋へ堂々と入っていく。千夏も取り巻きたちを適当にかわし、千夏もその脇を通り抜ける。


これでいい。千夏は背後でまだ何か言い合っている亀石と営業部員達を無視し、制作部の部屋へと向かう。正秋とは通勤途中で取り決めしたのだ。二人は十年来の同期で仲はいいし、帰る方角まで同じだ。さらに、正秋が急遽、千夏に合わせて同じタイミングで夏季休暇を取ったのは事実だ。色々と噂されて当然なので、周囲の冷やかしは適当に流し、取り合わないことに決めた。だけど当然ながら、訳知り顔で声をかけてくるメンツもいる。


「天野先輩、お久しぶりです」

早速、訳知り顔のメンツが登場する。冬馬だ。

「おはよう」

千夏はデザイナーの冬馬に向かって目を細め、わざと黒い巻き髪を勢いよく振り払う。休み明けで仕事はたっぷり溜まってる。邪魔すんな。

「先輩、休みはどうだったんです」

冬馬はニヤニヤして、千夏の出方を伺っているようだ。

「楽しかったよ。鳥取砂丘。はい、お土産、みんなに配って」

千夏は冬馬の顔も見ず、名物「ラクダせんべい」の箱を手渡す。

「あざーす。あれ、本当に行ったんだ。激アツだったでしょ」

冬馬はせんべいの箱を受け取り、果てしなく嫌そうに手で顔を仰ぐ。

「うん。ラクダにも乗ったし」

千夏は腰に手をあて、仏頂面で言い返す。

「誰と?」

「旦那様と」

そういえばあの婚姻届に捺印したら本当にそうなっていただろうと、千夏は思わず笑いそうになる。

「なんか、社内でずっと噂になってますよ。営業部の係長が、制作部の進行担当の後を追いかけるように有休とったって。砂丘で式でも挙げたんですか」

冬馬はさもドラマチックな様子で両手を広げ、天を仰ぐ。それを見て、千夏は鼻を鳴らす。

「うん、そうなの。最高だったよ」

「俺を差しおいて」


千夏は冬馬の顔をじっと見つめ、その挙動を伺う。どうも、本人は冗談とも本気ともとれる顔をしている。千夏があんなに好きになった男なのに、今は単なるイケメン、よき同僚でしかない。一度引いた潮は戻らない。だけど冬馬の方は軽口を叩く元気はあるらしい。おかげで少し、千夏のなかで罪悪感が和らいでいく。

「ごめんね。法律で『一妻多夫制』が認められたら、二号にしてあげるよ」

「二号とか、言い方がモロに昭和っすね、先輩」

「うるさい」

千夏が手を振り払うと、冬馬はその場にしゃがみ込み、口元に手のひらを垂直にあてる。

「マサさんと、幸せなわけ?」

「超幸せ」

千夏はそう言って、腕につけているピンクゴールドのブレスレットを冬馬の前に見せつける。

「何それ」

「旦那様の愛の証」

千夏は満面の笑みなのに、冬馬はにこりともしない。

「似合わないよ」

「うるさい。もう仕事しな」

千夏は冬馬を追っ払い、タイムカードを通す。それから自席にバッグを置き、ダイエットスリッパに履き替える。水筒の蓋を開け、温かい麦茶を飲みながらパソコンを立ち上げ、たまったメールをチェックし始めた。


「そっか。今日から新しいディレクターさん、来るんでしたっけ」

千夏はメールの本文を追いかけながら言い、頬杖をつく。

「そうなんだよー。いい感じの人だよ」

すぐ反応したのは、斜向かいに座る制作部デザイン課の課長でディレクターの住谷だ。肉まんのように肥えた顔に笑みを浮かべている。

「ディレクター、足りてませんもんね。良かったですね」

クリエイティブEXPOに先月出展してからというものの、仕事量がまたグッと増えた。全業務を長谷川と住谷だけで回すには限界があったのだろうと、千夏は首を縦に振る。

「天野さん、他人事みたく言わないで。これから彼女のフォロー、よろしくね」

制作部の部長でアートディレクターの長谷川が鼻にかかった甘ったるい声で言い、足を組んで回転椅子を揺らす。千夏はそれを聞き、ふと顔を上げる。

「あれ? 大地楓(だいち かえで)さんって…男性かと思った」

「おはようございます」

千夏が社内メールを見ながら問いかけるや否や、制作部の戸口に女性がやってきた。


「大地さん、おはよう。早かったね」

住谷が立ち上がり、女性の元へ歩み寄る。女性は笑顔で会釈し、長谷川の近くの席へと向かう。

「はい。みんな注目。今日から入社の大地さんです」

長谷川が両手をパンパンと叩くと、制作部デザイン課の全員が起立し、二人の方に向き直る。

「大地楓です。以前は新東京メディアクリエイトでディレクターをしていました。分からないことだらけですので、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします」

楓が頭を下げ、皆も続いて頭を下げる。が、千夏だけは目を見張った。


おそらく千夏と同世代。身長は百五十センチほどだろうか。ショートヘアで小麦色の肌で巨乳の女が、そこに立っている。さらにいうと千夏よりはふくよかだがウエストにはくびれがあり、尻は丸くふっくらして大きく、きゅっと引き締まった足首をしていて、これ以上ないほどの女らしさを放出している。


「新東京メディアクリエイト。うちの同業者ですね」

デザイナーの黒岩が素早く突っ込み、力強く頷く。

「はい、そうなんです。恐縮です」

楓は高い声で答え、黒岩に笑顔を向ける。

「大地さん、分からないことは天野さんに聞いて。歳、おんなじくらいだよね」

長谷川が千夏と楓を交互に見ながら言うと、楓は社交的な笑みを浮かべて答える。

「先日、三十三になりました」

タメか。千夏は戦慄したが、黙ってその美尻を凝視し、下手な愛想笑いをしてみせた。

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