シない理由
正秋はソファに座ったまま、千夏の髪を絶えず愛撫していた。
「そうやって常に女を切らさず、現在に至るわけですか」
千夏の扱う敬語からは、意地悪さが滲み出る。
「違うよ。社会人の初めくらいまでかな。だんだん、疲れちゃって」
正秋はそれにつっかかる様子もなく、ナチュラルな口調を崩さない。
「何それ。女が寄ってくることに疲れたって言ってる?」
言いながら、千夏はだんだん腹が立ってくる。この贅沢者が。自分なんかずっと喪女だったんだぞ。
「うん。ひとりって気楽でいいなって、ようやく気づいて。で、千夏のこと気になり出してから、あまり女の子と関わんなかった」
正秋はそう言って、千夏の頬をつねる。
「でも、付き合ったって言ってたよね。私のこと忘れたいから」
「うん」
正秋は急に体育座りして膝に顎を乗せ、切なげな表情をする。でた。ビーグル犬の甘い笑顔だ。ずるいなと思い、千夏はその顔をつねる。
「ねえ、もしかして、今まで付き合ってきた人数って」
つづきを喋ろうとしたとき、正秋の口が動き出すのを、千夏はスローモーションのように一コマ一コマ、しかと見届けた。
「数えたことない」
千夏は呆気に取られ、大粒の氷を丸呑みしてしまう。
「嘘でしょ? そんなに多いの?」
「人よりは」
「十人以上はいるってこと?」
「まあね」
「二十以上?」
「んー。…うん」
正秋の言い方は歯切れが悪い。千夏は驚愕して目を皿のようにする。
「そ、それで、毎回、お付き合いする人は、み、みんな小柄な人だったわけ」
「うん。そういう人、多かった」
動揺する千夏のどもりっぷりなどお構いなしに、正秋はごくごく自然体で答える。
「かもね、じゃないよ。あんた、性病とかに罹ってないでしょうね」
千夏の切羽詰まった物言いに、正秋は目をぱちくりさせる。直後、盛大に吹き出した。
「何、笑ってんの。大事なことでしょ」
「いや。おかしくて」
この男は、何がそんなにおかしい。こっちはショックだ。さらに、そんな男に触れられていない自分はなんなのだ。千夏は悶々としながら、笑う正秋を睨みつける。
「あんたが底なしのヤリチンだとは思わなかった」
千夏のあからさまに非難めいた言い方に、正秋は目を見開く。
「失礼だな。付き合った人数だろ。ヤッた人数はもっと少ないよ」
「本当にー?」
疑わしげに千夏は眉間に皺を寄せる。一方、正秋はどこかでスイッチが入ったのか、やけに楽しそうにニヤニヤし出す。
「俺さ。自分が変態だから、変態要素を持っている子がいいんだ。だから別に、見た目にこだわりはあんまりなかった。俺って背、低いし。見た目も冴えないし」
正秋は先ほどから何度も「背が低い」を繰り返す。そんなにコンプレックスなのだろうか。それとも元彼の冬馬が背が高いから、そこを気にしているのか。
「正秋って身長、いくつ」
「百七十」
なら、別に低くはない。さらに言うと見た目も悪くない。メガネのせいでいい男度が落ちて、モブキャラ化しているだけだ。
「じゃあブスとも付き合えたわけ」
「んー、ブスって認識して付き合ったことはないけど。千夏みたいに可愛い子はいなかったよ」
千夏みたいな可愛い子と言われて、千夏は幾分、気分がよくなる。だけど、こういうトーク技術は営業マンゆえだろうと思い、喜ばないことにする。
「ねえ。スレンダーとグラマーだと、どっちがいいの」
「スレンダーな千夏が好き。でも、前みたいにぽっちゃりも好きだよ。だって…」
正秋は言いながら、千夏の胸元に一瞬だけ目を落とし、ニヤける。
「おっぱい、大きい子が好きなの?」
「嫌いじゃない」
「素直に好きって言えばいいのに。お尻は?」
「大きいのも小さいのも好きだよ」
「肌は色白がタイプだったりする?」
「別に。健康的に日焼けした子とかはタイプだったかも」
「だったかも、ってなんだ。髪は。ショートとセミロングと、ロングは?」
千夏の言い方はどんどん尋問めいてくる。だけど、やめられない。正秋のことをもっと知りたいのだ。
「ショート、結構好みだね。でも、千夏の長い髪も大好きだよ」
正秋は千夏の黒い巻き髪を手に取り、くんくん匂いを嗅ぎ出す。その姿はさながら犬のようだ。
「千夏の匂いがする。落ち着く」
だんだんと正秋の好みの輪郭がわかってきたぞ。ショートヘアで小麦色の肌で巨乳の女。千夏は正秋に髪の匂いを嗅がれながら、脳内にいくつもメモをとる。そして、今の自分がどれだけそれに近づけるか、具体的な計画を寝る。
「それで、エッチした子は何人いたの」
「ねえ。この話、もうよくない?」
正秋は少しうんざりした口調になり、蝿を追っ払うかのように手で空を切る。
「知りたいの」
「知らなくていい」
「じゃあ、聞くけど。そんなに許容範囲が広くて、なんで私がいいの」千夏は真に迫った顔で正秋の膝上に股がり、その顔を近づける。「仕事一生懸命で空回ってる可愛いバカは、私以外にも沢山いそうじゃん」
正秋の言葉を引用しながら、千夏は少し冷静になって考える。
近眼の正秋はきょとんとして、自分の膝の上に股がる千夏の顔をしばらくの間、まじまじと見つめてくる。千夏も黙って壁掛け時計の秒針音に耳を澄ます。それから正秋は面白そうにくすりと笑い、マグを手に取った。
「だって千夏も十分、変態だから」
「えええ」
「具体的にいうとたくさんあるけど、一番分かりやすいのは真夏の砂漠を喜んじゃうところ」
千夏はそう言われて我に帰る。そう言われてみるとそうか。自分は確かに立派に変態だ。変態呼ばわりされているのが妙に嬉しくなり、千夏もマグに手を伸ばす。ふと、急に正秋が千夏の腕を引き寄せ、耳元に口を近づけてくる。ビクッとして千夏が顎を引くと、正秋が静かに笑い、囁く。
「本当はこのまま押し倒したい」
甘く柔らかく湿度の高い、やけに粘り気のある声だ。正秋のこの声色は、千夏は前にも聞いたことがある。それも、この部屋で。
「旅行中も。休みの間も。ずっと我慢してた」
正秋は切なげな顔して続ける。千夏はそんな顔を瞬きせずに見つめ続ける。正秋の欲情した姿を見るのはこれで何度目か。この顔。この声。今なら全部が全部、大好きだ。
「我慢しなくていいのに」
千夏が小さな声で答えると、正秋は一瞬真顔になり、聞き取れないくらい小さな声で笑い出す。それから少しずつ声量を上げていく。
「ごめん。でもやっぱり、まだ我慢しとく」
「なんで」
期待が外れ、思わず突っ込んでしまう。なんでそうなる。自分は抱かれたいのに。なのに正秋はもったいつけたような表情になり、千夏の肩を軽く叩く。
「理由は二つある。一つは、千夏のことも、自分のことも、もっと焦らしたいから」
「焦らす、って。何それ」
千夏は眉間にシワを集める。
「言葉通りだよ。いきなりヤッたらそればっかりになる」
「そればっかりでも私はいいよ」
「あはははは。素直ー」
正秋は腹を抱えて笑う。千夏は顔を赤らめ、正秋の両頬をぐいっと引っ掴む。
「へー。自信ないんだ。私のこと、満足させられるか、不安なんでしょ」
千夏はわざと意地悪く笑う。どうだ。これだけ煽ればその気になるだろ。一方、正秋は急に真顔になり、黙り込んでしまう。
「それは、ある」
自信喪失している正秋に、千夏は逆に焦る。どうした。元カノの人数を数えきれないような男が、なぜそんなところで自信喪失する。包茎? 早漏? あと、他に何がある。
「なんで、そう思うの」
千夏は遠慮がちに尋ね、正秋の履いているジーンズをちょんちょんとつまむ。
「理由二つ目。これ見て、どう思う」
正秋は視線を落とす。千夏も同じようにそこを見る。そういえばさっきから何か硬いものが自分の太ももの内側にあたっている。千夏はそれを察知して、神妙に頷く。正秋の持ち物、「トックリヤシ」だ。が、このとき重大な事実に初めて気づき、目を見開く。
もしかして。いや、もしかして、じゃない。冬馬の「あれ」より、なんだか大きくないか。いや、これは間違いなく大きい。冬馬の方が体格がいいのに。嘘だろ。前にも同じ状況になったが、あの時はちゃんと目で見なかったから気づかなかった。千夏は言葉を失い、全身が泡立った。
「これのせいで、ガキんときは散々、友達にからかわれた。彼女ができても怖がられたり…。痛がられたり」
切実そうな正秋の言葉に、千夏はやっとの思いで、ぎこちなく首を縦に振る。この場合、どう励ませばいいのか。いや、励ますような内容か。
「すごい…」
もうそれしか言いようがない。正秋とは切り離された、別の生命体のようだと、千夏は息を呑む。
「女の子側には負担だよな」
正秋の声は悲しげで、寂しそうでもある。千夏は恐れの中に、一抹の不憫さを感じる。そして徐々にプレッシャーを感じていく。
「そ、そうかな。べ、別にいいんじゃない。わ、私、小さいのより、お、大きい方がいいよ。だって、よく言うでしょ。だ、大は小を兼ねるって言うし」
妙なことを口走ってしまい、千夏がワタワタして頭の後ろを掻く。正秋は目を丸くし、思いきり吹き出す。
「千夏は本当に…可愛すぎて、ズルい。ありがと。でも、安心して。こんなんでも千夏が本当にシたいって思ってくれるまで、絶対シないから」
そう言って正秋は千夏の二の腕あたりをわずかにさする。千夏は何も言えないまま、うつむいてしまう。正秋は千夏の気持ちを察してか、優しく髪を撫でる。
「だから、正秋。私は大丈夫だってば」
「そう? 前もそう言って泣いたことあったじゃん」
「あったけど…」
千夏は、以前に正秋とシようとして出来ず、泣いてしまったことを思い出す。
「だからさ。そういうことする前に、もっと健全なこと、たくさんしようよ」
「健全なこと?」
「うん。ごく普通のカップルがしてるデートだよ。今日までしてきたようなやつ、もっと、たくさん」
正秋の声は繊細な絹のように、優しく滑らかに千夏を包み込む。千夏は少し残念ではあるものの、正秋とは何をしてても楽しい。プレッシャーから解放され、素直に頷く。
「愛してる」
「うん」
二人は抱き合い、唇を重ねる。
「たださ。本音も言わせて」
正秋は千夏の体を離し、向き合う。千夏はなんだろうと思い、正秋の顔を見上げる。正秋は再び耳元に口を寄せ、その湿り気のあるいやらしい声で囁いた。
「内心、すっっごく喜んでる。千夏が暑くて苦しい思いするのが好きな、ドMな女だって分かって」




