鎌倉②
その後は六人が改めて自己紹介をした。それから正秋の母、静が出前をとったらしい寿司やオードブルをテーブルいっぱいに並べ、父の久志がビールを注いだ。
「…それで本当にびっくりしたんだよ。話を聞いたときにはもう五ヶ月だっていうから」
久志が実花の突き出た腹を指さして笑う。実花はそれほど恥ずかしがる様子もなく、愛想よく堂々と笑う。千夏はそれを見て感心する。正秋の弟夫婦はデキ婚なのだ。千夏は千絵達夫婦を思い出し、既視感を覚える。
「だからね。籍はもう入れたけど、式は来月挙げるんです」
「大丈夫なんですか、お腹は」
「はい。臨月に入るのは再来月なので」
士郎と実花が幸せそうに説明する姿に、千夏は強烈に羨ましくなった。彼らは今、幸せの真っ只中にいる。実花は自分よりずっと若そうなのに、千夏よりも先に人生のステップを駆け上がっている。
「それで、正秋と千夏さんの方は、いつごろを予定してるんだ」
久志が唐突に話の矛先をこちらに向けてくる。正秋を除く他の四人は、一斉に千夏を見つめてくる。
「えっと。あー、それは…」
なんと言えばいいのか。千夏は口ごもる。
「俺たちまだ付き合い始めたばかりなんだよ」
正秋がとっさに答えてくれたので、千夏は胸を撫で下ろす。
「千夏さんて、いくつ?」
今度は久志が寿司をつまみながら、遠慮なく聞いてくる。
「俺と同い年」
千夏が答える前に、正秋がまたしても代わりに答える。千夏は黙って頷き、つくり笑いする。
「なら、もういい年だ。急いだ方がいいな。孫は多い方がいい」
「ちょっと、お父さん」
静は久志をたしなめるも、久志はガッハッハと笑って取り合う気はないらしい。千夏はなんと言ったらいいか分からず、えーと、を繰り返す。
「だから、まだ付き合い始めだっつってんだろ」
「でもお前、正直なところどうなんだ。弟に先を越されて」
声を荒げる正秋に、久志はいけしゃあしゃあと突っ込んでくる。弟夫婦は曖昧に笑っているだけで、助け舟を出す気はないらしい。
「別に。士郎は士郎。俺は俺」
「まあ、そうなんだけどねえ。千夏さんさえ良ければ、いつでもそうなってほしいって、お母さん達は願ってるのよ」
静は夫をフォローしつつ、あまっとろい笑顔を千夏に向ける。その笑顔が怖くなり、千夏の背筋は寒くなってゆく。久志も妻の言葉に大いに頷く。
「彼女の一人もできないんじゃ、見合いでもさせた方がいいかと思ってたんだよ。そしたらこいつ、俺は見合いなんか絶対しないって怒るからさ。いい人がいるなら連れてこいって言ったんだ。でも、まあ良かったよ。こんなにいい子、連れてきたから。器量のいい孫がたっぷりつくれるな。ガッハッハ」
そういうことか。千夏はようやく話が飲み込めた。正秋は弟のデキ婚の知らせを受け、さらに自分の結婚話に矛先が向いてしまい、お見合い回避のために慌てて千夏を連れてきたのだ。羽田空港で婚姻届を見せてきたのも、わりと本気だったに違いない。だが、長男の彼女に向かってこうも露骨に「早くたくさんの孫を産め」と言ってくる親に、逆に清々しさを覚える。千夏はだんだん心から笑えてきて、つくり笑いをやめた。
「ねえ、兄貴がずっと片想いしてた人なんでしょ」
「うるせー」
正秋はちょうど左前に座る士郎に向かって蹴りを入れる。士郎は笑ってそれをよけ、実花も無遠慮に笑う。千夏は急に恥ずかしくなって、ますます何も言えなくなる。
「千夏さん、聞いてます? 兄貴、こう見えてモテるんですよ」
士郎の言い方から、兄を慕っているのが伝わってくる。普段からよく話す機会があるのだろうと、千夏は察する。
「知ってます、すごく」
千夏は言葉に力を込めてみる。まさか会社で妖精呼ばわりされていたとは、この家族は一生知るまい。
「そっか。よかった。でも、千夏さんには一途ですよ。この家、帰ってくるたび、ずっと言ってたんですよ。会社に難攻不落の子がいて、でも俺はいつか絶対その子と付き合うんだって」
「えー?」
正秋は弟にそんな話をしていたのか。千夏は嬉しくなり、思わず笑ってしまう。
「お前、黙れ。つーかなんだよそのメガネ。ちゃんと洗ってんのか」
正秋は怒って顎をしゃくる。千夏はその怒り顔を横からじっと見る。微かに口元が笑っているではないか。さらに、士郎のメガネを見る。少しレンズが汚れているようだ。メガネにこだわりを持つ正秋には許せないらしく、士郎の顔からメガネをひったくる。さらに自分のバッグからメガネケースを取り出し、柔らかいクロスで優しく拭き始める。
「千夏さん。兄貴、こういう奴ですけどいいんですか。すんげー綺麗好きだし、マジクソ面倒臭いですよ。あと、週一で茶碗蒸し作れって言ってきますよ」
「ほんっと、お前、黙れ」
正秋は今度こそ士郎を蹴飛ばす。どうも向こう脛にヒットしたらしく、士郎は悲鳴をあげる。そんな弟に無理やりメガネをかけさせ、自分はぞんざいにソファへ座り込む。一方、千夏は盛大に吹き出してしまう。茶碗蒸しは家族も知る正秋の大好物らしい。
「いてて。それで千夏さん、本当にいいんですか」
士郎は本気で痛がっていて脛を押さえる。千夏は一瞬黙って考え込み、口元に笑みを浮かべる。
「はい、正秋さんがいいです」
自分で想像する以上に、その声は健気に、可愛らしく響く。自分がそれに一番驚くが、他の五人もかなり感心した様子で笑い、どよめく。
「私がズボラなのでちょうどいいんです。私の持ってるメガネ、指紋だらけで、もはや何も見えません。メガネがメガネじゃありません」
千夏の適当発言に、皆はさらに笑う。
「じゃあ兄貴は一生、メガネ拭き係だね。良かったよね、父さん、母さん」
士郎が両親に向かって同意を求め、両親もまた大いに頷く。
「千夏さん、可愛い」
実花が身を乗り出し、笑顔をほころばせる。千夏もはにかんで笑う。
「本当にそうだな。やー、こいつは弟と違って、女の子を家に連れてきたのは、初めてなもんで。三十三年かかったな」
久志が再び、ガッハッハと笑い出すので、千夏は思わず正秋を振り返る。正秋は照れくさそうにそっぽを向く。
「正秋って、見た目は女の子みたいに可愛いでしょ。けど、士郎と違ってプライド高くて几帳面で、細かくてキツくて。これじゃ女の子も近づけないだろうなって思ってて。ほんとに心配で」
「そうよねえ。バレンタインにチョコ持ってきた女の子達も、家に入れなかったしねえ」
「近所のカリナちゃん。こいつに振られたってうちに泣きながら訴えにきたよな」
「兄貴、本当に薄情」
「お前らもう、いいよ」
正秋は家族に怒り、両手を大きく振って制す。
「そうね。ようやく彼女を連れてきてくれて感激よ。見てよあなた。東京ばにゃにゃ、ですって。何よこれ。くだらなくって最高よ」
静も千夏のお土産を両手に取り、大いに頷く。それどころか、ハンカチで涙を拭いている。いい歳した長男が彼女を連れてきたくらいで大げさな、と千夏は思うものの、どうやらこの両親にとっては一大事らしい。静だけでなく、久志もティッシュで盛大に鼻をかむ。思ったことをズバズバ言い、想像したよりずっと気さくで温かな両親だ。家も敷地面積が広くなかなか立派だが、思ったほどお大尽でもなさそうだし、そこも安心した。一方で、いよいよいい加減な気持ちでは付き合えないなと、千夏は背筋を伸ばし、気持ちを引き締める。
「千夏さん。兄貴のこと、末長くよろしくお願いしますね」
士郎は穏やかな声で言うと、家族たちは千夏に頭を下げた。




