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あいつはお前の何なんだ

正秋は千夏の様子を見て、自分も背筋を伸ばした。


「じゃあ私も言葉を尽くして、納得してもらえるよう、話す」

「うん」

「あの日、正秋と喧嘩して、傷ついてた。デザイナー達は三人とも真面目に仕事しているし、私は間違ったことは言ったつもりはない。それでも正秋はずっと大地さんのこと庇ってるし。すごく悔しかった。私が正秋の彼女なんだから、私の味方、してほしかった。でも、してくれなかった。すごく悲しかった。ホクロのことは私の誤解だけど、大地さんにも、正秋にも裏切られたってあのときは思った。正秋の電話にも出たくなかったし、メッセージも読みたくなかった。今も、ほとんど読んでないんだ、ごめんなさい。で、家に帰って泣いてたら、海李さんから連絡あって、デートしようって誘われた。だから、OKした」

「そうか」

正秋は怒らずに頷く。


「それで千葉に行って、ご飯食べて、海岸とか歩いて。デートしたよ。正秋に怒ってたから。そしたら車がいきなりカーブ曲がってきたから、海李さん、私のこと庇って轢かれた。入院中、家族が誰も来ないみたいだし、寂しそうだったし、私と一緒に居たがったから。とってもらったホテルに泊まったり、秘書の後藤さんに送り迎えしてもらったりしてた。正秋にはずっと怒ってたから、連絡は無視してた。仲直りしたって言っても、本当は許せてなかったし、放っておいてほしかったから、正秋と会わなかった。それで、海李さんのお見舞いに行ってた。だからって海李さんとキスもしてない。エッチもしてない。正秋以外とエッチなんか、したくないよ」


ゼエゼエしながらこれだけ言ったのに、正秋は無反応だ。

「これで納得してくれたかな」

千夏が促すと、正秋は我に帰ったのか、黙って頷く。ドッと疲れて、千夏は深く息を吐く。

「もう、こういうの、嫌」千夏は思いの丈を込め、まっすぐ正秋を見つめる。「あなたと…愛し合いたいだけなのに」


「俺みたいに、卑屈な奴と? 千夏が?」

「そうだよ」

「前田さんと俺、比べてどう思う」

正秋の顔つきが変わった。不快そうに口元をひくつかせ、目は意地悪そうだ。千夏はショックを受けたが、忍耐強くまっすぐな目で見つめる。

「どうもこうもないよ。私は正秋が好き」

「前田さんみたいに金持ちじゃないのに」

「金持ちが好きなわけじゃない」

「前田さんはすげえよな。体張って、骨折してでも守ってくれて。そんなに好きな女なのに、目の前にいても、手ぇ出さないで。紳士だよな」

正秋は切なそうだ。同時に、自信のなさが、その態度に溢れている。


「うん。そうだよ。紳士だよ」

千夏は素直に同意して頷く。

「男二人で話したいって言われて。俺。足がすくんだ。器が違いすぎる。勝負になんねえよ」

「正秋──」

そのときだった。正秋は何かに気を取られ、それを指さす。


「ねえ。それ、どうしたの」

正秋は部屋の隅にある、大きな箱を見て尋ねる。千夏はドキッとして表情をこわばらせる。それはこのタイミングで見てほしくない。

「快気祝いだよ」

千夏が気まずそうな顔をするので、正秋は険しい表情になる。

「へー。何もらったの」

正秋はそのエルメス独特のオレンジの箱と茶色のリボンに気づいたのか、疑わしげに凝視する。千夏は観念してため息をつき、箱を開ける。美しく輝くバーキンが、もらった時と変わらない状態でそこに収まっている。

「バーキンじゃん」

正秋は口をあんぐり開ける。

「うん、そうだよ」

千夏は認める。

「どうして。何でこんな高価なもの」

「何でって。だから、快気祝いだって言ってる」

それ以上、私に言えることがあるか。私だって知らない。勝手に贈りつけられたんだ、欲しかったものを。

「へー。あの人は快気祝いごときにバーキンを選ぶなんて、センスあるよな」

正秋の言い方は意地悪で皮肉めいている。それが千夏の気を逆撫でした。


「ねえ、何なの、その言い方。何が言いたいわけ」

「当然だろ。こんなのヤリたい口実に決まってる」

正秋は吐き捨てるようにいい、バーキンを睨みつける。

「は? 意味わかんない」

勢いに任せて、千夏は言い返してしまう。正秋は信じられないという顔をして、千夏を穴が開くほど見つめる。

「これを受け取って、どうするつもりだった? 家にあげるつもりだったんだろ」

「そんなわけない」

「俺のこと散々言っといて。人のこと言えんのか」

「違う」

千夏の絶叫する声が、部屋中に響く。それに刺激され、正秋の顔つきがガラリと変わった。


「てめえが入院中に、女のためにホテルの手配? 東京と千葉の送迎? 何週間もか? 極めつけが食事とエルメス。ざけんなよ。男がこんだけ金かけて、タダで済むはずがねえだろ」

正秋はバーキンを引っ掴むと、それを勢いよく部屋の壁に投げつける。それからベッドに腰掛ける千夏の前に仁王立ちすると、両肩を掴み、グラグラと強く揺さぶる。千夏は痛くてびっくりして、言葉を失う。


「やめて。自分だって大地さんに、少しは気があったくせに」

それだけ言うのがやっとだった。なのに、冷静さを失った正秋は揺さぶるのをやめない。目が回る。お願いだからやめて。千夏は歯を食いしばる。目に涙が滲んだ。

「お前こそ何言ってんだよ。ねえよ、そんなもん」

「あった。絶対あった。だって正秋、変わったもん。前は好きな女以外には愛想振り向かない主義って言ってたくせに。雷が怖いとか、一人で居たくないとか、どうしてそんなの放っておけないの。急にどうしたの。ねえ。大地さんがタイプの女性だからなんでしょ」

千夏の声は、いつの間にか泣き声に変わる。正秋はそれに構わず、揺さぶる手を緩めない。


「バカか、お前。んなわけねえだろ。ああ、おじさんはいいよな。紳士ぶってるわりに若いバカ女にブランド物贈って、下心見え見えだもんな。ギャハハハ。笑える」

「私、もう若くない」

「一回り(ちげ)えし」

「海李さんはそんなんじゃない。そうだよ、私、バカ女だよ。でも尻軽女じゃない」

「じゃあ、何だっていうんだよ」

正秋は絶叫した。嫉妬心が爆発し、我を忘れているようだ。千夏は泣きながら、息も絶え絶え、首を横にふる。

「あいつは一体、千夏にとっての何なんだよ」

正秋は千夏の手を離した。その反動でよろけ、千夏は床に勢いよく尻餅をつく。いつもだったらここで正秋は手を差しのべてくれるところだ。なのに微動だにせず、立ったまま冷たい目で千夏を見下ろす。


「海李さんは…。友達、だよ」

千夏は両手を床につき、喉を詰まらせて言う。

「へー。なら、何で嘘、ついた」

正秋の目は刃物のように鋭く、冷たい。

「嘘?」

「この前、沙耶香さんの家に泊まってるって言ったよな。でも俺、あの後、スマイル薬局に寄ったんだ。沙耶香さん、普通にレジで接客してたけど」

まさか。そんなことになっているとは知らなかった。千夏は潔く頭を下げる。


「…嘘ついてごめんなさい。海李さんが入院して、それに付き添ってたなんて、言いたくなかったから」

「どうして? そうならそうと言えばいいだろ」

「だって。海李さんのことになると、正秋、冷静じゃなくなるじゃん」

「うるせえな」

正秋は声の限りに怒鳴りつける。千夏はびっくりして言葉を失う。ただただ、目から涙が出るのにまかせるしかない。ベッドの掛け布団を、これでもかと握りしめる。そばにあった箱ティッシュを引き寄せ、涙を拭った。


「海李さんは。私のこと、そうやって怒鳴りつけたりしない。話したくないとき、無理に話させようとかしない。お願いだから、そういうのやめて」

「はいはい、そうですね。俺と違って紳士だもんね。中身はどうでも」

正秋は吐き捨てるように言い、自虐的に高笑いする。

「そんな言い方──」

「おい! 千夏」

「はい」

声を荒げる正秋を前に、千夏はいつの間にか敬語になってしまう。こんなに恐ろしく醜い正秋は未だかつて見たことがない。ピュアで少年のような姿は、今は微塵もかけらもない。それでも千夏は正秋を失いたくなくて必死だ。正秋は千夏と同様にベッドに座り、顎を掴んで見据える。


「俺のこと。愛してるんだよな」

「あ、愛してるよ」

「じゃあ、今すぐそれ、ゴミ捨て場に捨ててこい」

正秋は血走った目で命令し、バーキンを指差す。

「それはいくらなんでも…ちゃんと返してくるよ」

「はー。そうなんだ。だったら今すぐ脱げ。俺としかエッチしたくねえんだろ。脱げよ、抱いてやるから」


千夏は耳を疑い、目を白黒させる。

「な。何言ってんの。バカじゃないの」

これは本当に正秋なのか。前に言ってた、俺はそんな優良物件じゃないと言っていた意味が、千夏には分かるような気がした。なのに、千夏は本気で怒る気になれない。正秋は感情を制御できず、不安で怖くて、自信喪失しているのだ。それを示す証拠が今、目の前にある。赤く充血した目には、涙がにじんでいる。

「お前はずっとヤリたいだけだろ。いつもいつも。俺の言うことなんか、丸無視して」

「そんなこと言ってない。無視だってしてない。ねえ、一旦、落ち着こう」

「あー、クソダリー。もういい」

正秋は弾かれたようにベッドから立ち上がる。それからバーキンを乱暴に引っ掴み、元の箱に納めて小脇に抱える。千夏が呆然と見ている前でドスドスと部屋を横切り、玄関で靴を履くと、音を立ててドアを閉めた。

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