鎌倉①
千夏と正秋は羽田空港へ到着すると、鉄道に乗り換えた。
「千夏はお盆、帰省するの」
「ううん。しない。だから夏休みも先にとっちゃったんだ」
千夏はお盆とか正月がここ数年、心底嫌いだ。双子の姉である千絵と義兄、姪と甥に会って愛想を振りまくその時間が苦痛でしかない。家族に会わなければいけないような世間の空気に、千夏は屈するつもりはない。そんな千夏の気持ちなど知らずに、正秋は車内の吊り革に掴まったまま、穏やかに頷く。
「そうなんだ。俺はちょっとだけ実家に顔、出そうかなと思ってて」
「ふうん。楽しんできなよ」
千夏は軽い調子で言い、正秋に軽く笑いかける。なのに正秋は笑わない。どうしたのかと、千夏はその顔を覗き込む。
「それでさ。あの。もし。もし、嫌じゃなければなんだけど」
正秋は奥歯に物が挟まったような言い方をして、軽く咳払いする。千夏はその口ぶりを不思議がる。
「何なの?」
千夏が目をぱちくりさせると、正秋が緊張した様子で背筋を伸ばし、顎を引いた。
「千夏も一緒に来ない?」
翌々日、二人は東京駅からJR横須賀線に乗り込んだ。
「正秋の実家って、鎌倉なんだ」
昨日旅行から帰ってきたばかりなのに、今日もまた鎌倉へ小旅行だ。千夏は東京駅で買ったお土産の袋を抱え、あくびをする。
「うん。千夏はどこだっけ」
「千葉の、ど田舎」
千夏は言いながら気が滅入ってくる。あの実家に、自分は正秋を連れて行きたくはない。双子の姉、千絵と比較されて、両親にあれこれ余計なことを言われるに決まってる。
「大丈夫。鎌倉も田舎だから」
「でも、鎌倉は知名度あるじゃん。いいな。名家のご子息なの」
千夏がふざけて尋ねる。
「全然。死んだ母方のじいちゃんが、うちは源氏の末裔だ、侍だとか言ってたけど」
正秋は苦笑しながら車窓からの眺めを見る。千夏はそんな正秋の横顔を見て、緊張しながら口を開く。
「やっぱりお金持ちそう。門とか蔵とか池とか、そういうの、ない?」
「あー…。全部、ある」
正秋の言葉に、千夏は思わず目を白黒させる。東京名物土産「東京ばにゃにゃ」は完全に失敗だ。「東京ばにゃにゃ」は猫が東京タワーのポーズをとったバナナの洋菓子である。こんなにもコンセプトがややこしく、ふざけた菓子が通用するご家庭とは到底思えない。だったらもっと控えめで無難で、上品なやつにすればよかった。白餡が美味しい和菓子「東京ぴよ子」にしておけばよかったのだ。
「なんでそれ、先に言ってくんないの。ばにゃにゃより、ぴよ子にすればよかったー」
千夏は周りの乗客に構わず、頭を抱えて嘆く。
「いや、でも実家の近所、そういう家が多いんだよ。てか何だよ、ぴよ子って」
「印象悪い。こんなのじゃダメだった、絶対。あーもう正秋のバカ」
「バカってなんだよ」
正秋は呆れながら苦笑いする。
「バカ。どうしたらいいの私」
「大丈夫だよ。気にすんなよ」
正秋はここぞとばかりに千夏の頭を必死に撫でる。
「でも、門があって蔵があって池がある。いいとこの奥様なんでしょ」
「別にいいとこのってわけじゃねえよ。手ぶらでいいのに」
「よくないよくない」
千夏は興奮して首を横に振る。もう泣きそうだ。きっと自分は公開処刑される。そう思い込むと、千夏は頑なだ。正秋の実家など、恐怖しかない。
「やっぱり今日、行きたくない。帰りたい」
「ダメ。ここまで来たんだからぜーったい、会ってもらう」
正秋も正秋で頑なだ。千夏はいつもの正秋らしくないその強引さを不審に思い、にわかに冷静になる。
「ねえ。ぜーったい、って? 何かあったの」
千夏が努めて穏やかに問いかけると、正秋は急に表情を曇らせる。
「実は、弟がさ…」
正秋は重い口を開いた。
二人はJR北鎌倉駅に到着した。そこから目の前の鎌倉街道を少し歩き、脇道にそれ、一軒の民家の門をくぐった。庭木が草花がバランスよく配置され、手入れの行き届いた庭の奥には蔵と池が見え、千夏は心臓がひっくり返りそうになった。
正秋がインターホンに向かって喋ると、玄関の曇りガラス越しに人影が映り込んだ。引き戸が開き、五十代くらいの女性の姿が現れた。正秋の母らしきその女性は柔和な笑顔を向け、二人に上がるよう促した。千夏と正秋は靴を脱いで屋内に入った。伝統的な日本の家屋で築年数はかなり経っているようだが、きちんと掃除されていて清潔感があった。廊下を通って広々としたリビングに通され、二人はソファに座った。直後、リビングのドアが開いた。
「おー。兄貴、久しぶり」
「おー」
正秋と弟らしき男性は挨拶を交わす。歳は少し離れていそうだが、正秋と同じようにメガネをかけていて、瓜二つだ。
「こんにちは」
千夏もソファを立って挨拶する。緊張して次の言葉が出てこない。
「こいつは弟の士郎。で、こっちはお付き合いしてる天野千夏さん」
正秋が察してそれぞれ紹介する。千夏と士郎が互いに会釈すると、再びドアが開く。
「こんにちは。初めまして」
二十代前半と思われる、若くて可愛い女性が元気に挨拶をする。千夏は気後れして挨拶が一歩遅れる。
「千夏さん、妻の実花です」
士郎が実花を紹介するので、千夏も会釈する。千夏は実花の突き出た腹に目が釘付けだ。正秋がつい先ほど話していた通りだと、千夏は黙って頷く。
「天野千夏です。初めまして」
「お。全員揃ったか」
今度は六十代くらいの男性がリビングに入ってきた。どうやら正秋の父らしい。千夏は背筋を伸ばし、改めて深く頭を下げた。




