百貨店の外商部
翌日、千夏のアパートの前に一台の高級車が停まった。以前にも見た、海李御用達のハイヤーだった。千夏は前日の憂鬱な気持ちを引きずったまま、運転手に案内されるまま後部座席に乗った。車窓から外の景色を漫然と眺めた。向かう先は、海李のマンションだった。
それは都心に立つ、大きなタワーマンションだった。事前に言われた通り、千夏は地下駐車場からエレベータに乗り、一階で降りた。おどおどしながらコンシェルジュに用件を伝え、ゲスト用のキーを受け取り、エレベータを上った。三十五階で止まり、エレベータのドアが開いた。どうもここが最上階らしいと思いながら、千夏はおっかなびっくり辺りを見回し、指定された部屋の玄関前に立った。千夏がインターホンを押すと、玄関ドアが開いた。
「いらっしゃい。きちゃったねー!」
海李は笑顔を弾けさせ、千夏をなかへと招き入れる。
「お邪魔します」
千夏は緊張して頭を下げて靴を脱ぐ。ついに彼氏以外の男性の部屋に入ってしまった。緊張と罪悪感に飲み込まれたまま、千夏は廊下を歩く。先をいく海李が、突き当たりのドアを開ける。
「こんにちは。恐れ入ります。似非丹百貨店、外商部から参りました、西野と申します」
突然、広々したリビングらしい部屋のなかから挨拶される。そこには黒いジャケットスーツを着込んだ女性が三人、丁寧に頭を下げている。
「え? 何なんですか?」
意味がわからず千夏は素っ頓狂な声を出す。
「僕もちょうど見立ててもらったところ。ほら、かっこいいだろ」
ほら、かっこいいだろ、には疑う余地がない。インディゴブルーのコットンシャツにベージュのチノパンはシンプルにカッコいいと、千夏は首を縦に振りまくる。
「ありがと。じゃ、寝室にいるから。あとはよろしくね」
「かしこまりました」
千夏が挙動不審でいるのに構わず、海李は手を振ってリビングを出ていく。女性達は海李に頭を下げ、笑顔で千夏に向き直る。
「同じく東野でございます」
「ヘアメイクの南野でございます。さ、どうぞこちらへ」
「え、え」
呆気に取られて千夏は立ち尽くす。三人ともそれに動じる様子はなく、西野は千夏の手をさっと引き、リビングの中央へ立たせる。何畳分の広さか分からないリビングにはいくつものハンガーラックと衣装ケースが山と積まれ、女性達はメジャーを持ち、千夏へ近寄ってくる。
「お召し物、脱いでいただけますでしょうか」
「え? あ? は、はい」
千夏はカチコチになり、女性達の前で服を脱ぎ出す。何が何だか分からないが、ここで着替えさせられるらしい。
「失礼します、サイズ、お測りいたしますね。万歳していただけますでしょうか」
「え? あ? は、はい」
千夏は同じ言葉を繰り返し、下着姿のまま万歳する。
「恐れ入ります、ブラジャーも外していただけますでしょうか」
「え? あ? は、はい」
千夏は恥ずかしくてたまらないが、おとなしく言う通りにする。すると西野が手早くボディメジャーを取り出し、千夏のバスト、アンダーバスト、ウエスト、ヒップ、さらに肩幅や袖丈なども細かく測っていく。その数字を隣で東野が細かくメモし、美しいランジェリーが山盛り入った衣装ケースを手前に引きずり、千夏へ商品を見せてくる。
「ブラとショーツはいかがいたします?」
「えっ、でも私、お金、そんなに持ってなくて」
「ご安心ください。お支払いは前田様がと、承っています」
リーダー格の西野が微笑みかける。
「えー?」
そうなんだろうとは想像していたが、衣装ケース内の下着がどれも高価なものであることくらい、千夏でも分かる。
「フランス製のこちらなどいかがです? お肌がとても綺麗ですし、お胸が大きくていらっしゃるから、こういうサテン生地のタイプなど…」
それから三十分ほどかけて、千夏は下着の上にワンピースを着せられ、さらに巻き髪はハーフアップにヘアアレンジされ、少し甘めのロマンティックなメイクを仕上げてもらった。泣き腫らした顔は、どこにもなかった。
嵐のように去っていった女性三人組の後ろをぼんやり見送った後、千夏は鏡の前へと立つ。肌の色に近い透かし編みでハイウエストのワンピースは、鍛え上げられた千夏のボディラインを綺麗に魅せてくれる。千夏は鏡をチラチラ見て、こんなリュクスな女はまるで自分ではないと驚愕してしまう。
そこへ、海李が寝室から戻ってきた。千夏は恥ずかしくなって、海李の胸元あたりをおずおずと見つめる。
「マジか。ものすごく綺麗だよ。困ったな。こういうときは何て表現すればいいんだ? 女神? ああ、そうだ。アフロディーテのようだとか言っちゃえばいいのか。だけどベタだよな。あんまりしつこいとくどいよな。じゃあなんだ、あれか。現代のオードリー・ヘップバーン。それも違うか。ダメだな今日の僕は。全然ダメ。イタリア男じゃあるまいし、振るわない、困った」
千夏はおかしくなってゲラゲラ笑う。おかげで鬱屈した気持ちが雲散霧消していくようだ。それにホッとしたように、海李も一緒になって笑う。
「じゃあ、行こうか」
「はい。どちらへ」
「館山」




