進行担当VSディレクター
翌日以降、千夏はちょくちょく楓と昼休憩を一緒にとるようになった。特に楽しいというわけでもないが、楓がそれを望んでいたし、一生懸命、恋に生きている同僚を見るのは微笑ましかった。楓はずっとこういう関係を望んでいたのかもしれないと思い直し、会社の休憩室では毎日のように楓と過ごすようになった。
「どうしたんですか、千夏さん」
給湯室で会った春菜が、眉をひそめて千夏に耳打ちする。
「どうって。ああ、大地さんのこと?」
「ですよ。敵に懐柔されたんですか」
春菜は千夏をとられたのが悔しいのか、ぷりぷりしている。それが可愛くて、千夏はニコニコして返す。
「意外とそんなに嫌な人じゃないよ。今は恋に生きてる乙女だし」
「えー? 何それ」
「春菜も今度一緒にお昼ごはん、食べようよ。ね」
千夏は優しく諭し、給湯室を出た。
昼休憩が終わると、制作部の部屋にいたのは千夏の他、黒岩と白井、冬馬のデザイナー三人組だけだった。ディレクターの長谷川や住谷、楓は外出したらしかった。
「あー、ちょっともう、こういうのホント無理」
黒岩が急にうめき声を上げる。千夏がちらりと見ていると、冬馬が黒岩のそばに椅子を寄せ、画面を見合っている。白井もそばに寄っていった。デザイナー三人組は冬馬がきてから良い関係作りができているから、何かあっても勝手にどうにかするだろう。そう思って千夏は再びパソコンの画面に目を戻す。が、三人はまだ何かあーだこーだと言い合っている。
「なんで、出来ますって言っちゃうかな」
「これは大地さんに直談判した方が良くないっすか」
「私、言ったんだよ。なのに、出来ない理由はそれだけですか、出来なくはないですよね、とか言われちゃって」
黒岩は丸い楕円形の缶を開けた。それは黒岩の生命線とも言うべき、ヘーゼルナッツクッキーだ。
「うわー」
「何があったの」
千夏は首を突っ込み、とうとう席を立ち上がる。スムーズな制作進行を担当する人間として、野放しにもできなそうだ。黒岩は悔しそうに震えながら、もぐもぐとクッキーを食べ続ける。普段ならそれを誰かにあげることはないのに、白井にも分け与えているところから、それがヤケ酒的な役割を担っているのだろうと千夏は察する。
「もう、天野さんから言ってやってくださいよ。私、新規案件で今週、いっぱいいっぱいなんです。初めてのクライアントだし、まだどういうのが好みか、傾向も掴めてないのに。考える時間でいっぱいいっぱいなのに。でも大地さんが、スキマ時間でこっちの作業もできるでしょ、できないなら白井君と杉崎君にも手伝わせてって言ってきて。いや、全員、スケジュールがカツカツなのに。で、私がイエスを言う前に、大地さんがクライアントに期日までに初校出せますってメール回答しちゃってて」
黒岩の意見に千夏はため息をついた。なるほど、楓はできるディレクターだとは思っていたが、そういう強引さもあるわけか。デザインを作業だと勘違いしているディレクターが多いが、そうではない。考える時間は、言ってみればディレクターや営業のそれとは本質がまったく違う。千夏には想像するしかできないが、デザイナー達の苦悩を見ている限り、ゼロからイチを生み出す苦しみは並大抵のものではない。それも一つではなく、二つも三つも創り出すには鋭気を養う時間や環境が必要がある。だから社長の亀石も、デザイナーには積極的に「頭に風を入れる時間を与えろ」と言う。重要ではない会議には参加させず、外でも散歩してこいとか、カフェでぼーっとしてこいとかいうわけだ。
「大地さんは黒岩さん達にスキマ時間があるって思い込んでるけど、現実はそうじゃないんだね」
千夏が要約して言うと、黒岩は頷く。
「そうなんです」
「分かった。私が大地さんに言ってあげるよ」
千夏は自席に戻り、社内チャットの画面を開いた。
小一時間したところで、千夏宛にチャットのメッセージが届いた。送信者は楓だ。外出先から送ってきたらしい。
『言っていることは分かりますが、デザイナーの作業量としては十分な時間を与えています。できないことではないと思います』
楓の口調は丁寧だが辛辣だ。千夏は少し首をかしげる。楓は入社したばかりのとき、白井から良い評価をされていたのだ。デザイナーと同じ立ち位置で物事を考え、制作をしている、というスタンスに見えた。ところが一ヶ月以上経った今、彼女の中で何かが変わったらしい。「デザイナー様に制作していただく」から、「デザイナーに制作させる」になってしまったのだ。
実際、ディレクターは制作現場の監督である。デザイナーはそれに従う作業者という基本姿勢に変わりはない。だけど限度もあるし、言い方というものもある。大方、仕事を抱えすぎて、デザイナーにきめ細かく配慮する余裕がなくなってきたのだろう。
『あのね、大地さん。デザイナー達には十分な時間ではありません。残業は極力減らすよう社内通達も届いています。リスケしていただけますか? お手数かけてしまうけど、お願いします』
千夏は社内業務を円滑にするため、普段から笑顔やハートの絵文字を入れる。なので今回はいつも以上に、たくさんの絵文字を入れてみる。だけど楓の方からは絵文字はない。それどころかますます適当というか、デザイナーに対する冷たさが滲み出ている。
『ここは進行担当の天野さんに間に入ってもらうのは申し訳ないので…』
出た。つまり楓は千夏に「お前はしゃしゃり出るな」と言いたいのだ。だが、千夏には多少の敬意は払おうとしている感じも見受けられる。このチャット画面にはデザイナー三人も巻き込んでいるので、千夏と楓のやりとりは三人にも共有されている。ここで自分が矢面に立ってやらないと、現場の歯車が狂ってしまう。だからこそ引くわけにもいかない。
『いえ、進行担当だからこそです。看過するわけにはいきません。大地さん、お忙しいでしょうし、クライアントに連絡するの、できないなら営業に頼みますけど』
これでどうだ。千夏はあえて「お忙しいでしょうし」と気遣いながら言ってみた。さらに「難しいなら」と言わず、「できないなら」という言葉を使ってやった。楓はプライドが高そうだから、「忙しさを理由にできない奴」と認めることなんてしないだろう。こうなったのも楓の制作時間の読み間違いが原因なのだ。さっさと認めれば楽なのにと、千夏はため息をつきながら画面を見つめる。
人の気配に気づき、千夏は顔を上げた。いつの間にかデザイナー達が千夏の背後に立っている。黒岩と白井は両手で握り拳をつくって真剣に見つめてくるが、冬馬は腕を組んでニヤニヤしている。言ってみれば、これはディレクターと進行担当のケンカだ。完全なる見せ物となってしまい、千夏は苦笑する。
『リスケはできません。デザイナーには必要な無理をさせるべきだと思います』
またしても頑なな発言を飛ばしてくる楓に、千夏は辟易しながらキーボードをタイプする。
『必要な無理をするタイミングでしょうか』
『はい』
『ごめんなさい、大地さん。私にはそうは思えませんけど』
『いいえ、そうなんです』
そうなんです、に確固たる意思を感じとり、千夏はあー、と低く唸る。前評判が高かっただけにプレッシャーを感じて、どうせ「短期間でたくさんの仕事を回したディレクター」と長谷川に認められたいだけだろうと、楓の胸の内を察する。デザイナー達も一斉に苦笑し始める。
『では、長谷川さんに納得してもらえるよう、大地さんの口からそれを伝えてください。残業時間の申請の仕方、分かりますよね。承認してもらってください。それと、今回の案件はデザイナーに丸投げして終わりにできる作業ではありません。都度、ディレクションが必要です。そこはご理解いただいていますよね』
千夏が厳しい言葉をタイピングすると、デザイナー達は拍手した。千夏はしんどそうに肩を回し、三人に自席に戻るよう言い、楓の出方を待つ。
五分経った。十分経った。返信はなかった。デザイナー達が昼食をとり始めたころ、返信がようやくあった。
『クライアントにリスケしてもらいました』
ほら見ろ。どうせそういうことになるんだ。こっちに謝罪の一つもできないのかと千夏が苦笑しつつ、すぐに返信文を打つ。
『大地さん、お手数おかけして恐縮です。ありがとうございます』
千夏が打ち終わったところ、黒岩がすっ飛んできた。
「天野さん、ありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして。あったかいコーヒー、持ってきてくれると嬉しいな」
「はい」
いつになく素直に、黒岩は給湯室へ駆けていく。それを見た冬馬と白井が千夏に笑いかける。
「天野先輩の勝ち」
「圧勝ですね」
「こんなところで勝ったって意味ないの。ディレクターにもメンツってもんがあるんだから。ね、私、午後から少し暇だから、写真とかイラストの素材を探すのとか手伝おうか。それやったらみんな、少し手が空くんでしょ」
千夏は二人に申し出ながら、今度は手首のストレッチをする。
「おー、やってくれるの? 助かるよ」
冬馬は即座に目を輝かせる。
「みんなみたいに素材の選定能力は高くないけど」
「そんなことねえよ。頼んますよ先輩」
「ですです、天野さん、お願いします」
黒岩が戻ってきて、千夏の机にうやうやしくコーヒーを置く。それから自席に戻り、作業を再開した。白井もそれに続いた。冬馬だけが残り、千夏の机の前にしゃがんでこちらを見上げてくる。
「千夏が会社で重宝されるのって、こういうところだよね」
千夏にだけしか聞き取れない声で囁く冬馬に、千夏はつくり笑顔を浮かべる。皆の聞こえないところでだけ、天野先輩から千夏へと呼び名を変えるんだなと、千夏は苦笑する。
「冬馬ほどじゃないよ」
「いい女だなって、思う」
冬馬は千夏が腕につけているピンクゴールドのブレスレットに目を向け、少し切なげに笑う。
「あなたが逃した魚は、デカかったね」
ふざけて言っただけなのに、冬馬は顔から笑みを消し、真顔になる。千夏は一瞬気圧されるが、負けまいと真顔で返す。すると冬馬はすぐに、達観したように、悲しげに笑う。
「本当に、それ」
冬馬は立ち上がり、自席に戻って仕事を再開した。




