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右のお尻にホクロが二つ

週明け、千夏は悶々とした気持ちで出社した。


今度こそ正秋と結ばれるはずが、生理になってしまった。本当に自分たちカップルは間が悪い。タイミングが悪い。呪われてるのか。半分本気でお祓いにでもいこうかと、千夏は自席で歯ぎしりした。

そんな理由で生理三日目の今日、腰の重だるさはなくなったものの、気持ちがスッキリしなかった。さらに、正秋づてに義妹の実花が出産したことも聞かされた。若者達にどんどん置いて行かれているような気がして、焦燥感に駆られた。それでも仕事は山積みしていて、ほとほとウンザリした。


午前も午後も懸命に働いた。まるで柔道の師範のように、千夏は闇雲に飛びかかってくる仕事どもをちぎっては投げ、ちぎっては投げた。あるときは畳の上に叩きつけ、あるときはねじ伏せ、完膚なきまでに締め上げ、押さえ込みをかけた。少しだけ定時を過ぎてしまったが、どうにか退勤した。正秋は終日外出と聞いていたのでメッセージだけ送り、制作部の部屋を出た。ビルのエレベータを降りてエントランスを出たらクタクタになり、ふらふらと歩いていたところ、後ろから軽く肩を叩かれた。振り返ると、楓だった。


二人は連れ立って駅に向かって歩いた。千夏はなぜ自分が今、楓と並んで歩いているのか理解不能だった。先日の告白に始まり、正秋のすぐ隣に引っ越してきたこと、「古株」呼ばわりされたことと、どう見ても目の敵にされていることなど、数え上げたらキリがなかった。業務外で関わりたくなかったし、話す気分になれなかった。なのに、楓はどういう神経をしているのか、ひっきりなしに喋りかけてきた。傍目に見れば仲のいい職場友達だった。


話の内容はどれも大したことはなかった。引っ越した家の話、ハマっている動画配信サイトの話、好きな雑貨ブランドの話など、千夏はそのどれにも適当に相槌を打った。


「あの。もしよかったらちょっと付き合ってもらえません? 引越し祝いをしてくれた友達に、お礼をしたくて。駅に新しい雑貨屋ができたの、知ってます? そこで選ぼうかなって」

「いいよ」

楓のことはどうでも良かったが、新しい雑貨屋というのは少し興味を引かれた。千夏は付き合ってやることにした。


会社の最寄駅は都内でも比較的大きなターミナル駅なので、駅ビルには雑貨ショップだけでなく服やバッグ、靴などたくさんのショップが集結していた。二人は改札手前にあるエスカレーターに乗り、駅ビル内に入り、楓の目当てらしい雑貨ショップへ入った。


雑貨屋はいかにも乙女心を濃縮させたような、キラキラまばゆいもので満ち溢れていた。

「何買うの」

千夏はキュートな柄のタオルやハンカチを手に取りながら尋ねる。

「食器とかいいなって思ってて。ああ、こういうの、かわいー」

楓が手に取ったのは北欧雑貨らしい、洋梨やブドウ、リンゴなどの果物が描かれた皿だ。そんなもんがいくらするのかと千夏も色違いの皿を手に取る。直径二十センチほどのそれが、四千五百円とある。

「高いね」

節約家の千夏は素っ頓狂な声を出し、目を見張る。家の食器は、ほぼ百均だ。

「でも、贈り物にするならよくないですか」

「んー。まあね」

せっかく可愛い雑貨屋にきたというのに、千夏はすぐに百均で買えばいいと考えてしまう。素直に喜んでいる楓の感性が羨ましい。こういうところにも女子力というものが関係してくるんだなと、虚しい自己分析をする。


「見てくださいよ。同じシリーズのフォークとかスプーンもよくないですか」

千夏は楓が手にした食器を見せてくる。

「うん。なかなか、いいんじゃない」

自分ももっと雑貨屋を楽しもうと、千夏は少し力を込めて言う。

「あ、でもこっちのもいいな。どうしよう」

楓はぶつぶつ言いながら、あれこれ手に取る。一方、千夏はそばにあった犬の置物に目が止まる。つぶらな美しい瞳を見ていると正秋に見え、無性に恋しくなってくる。

「決めた。これにします。どうです?」

楓は今度は、透明のガラスのコップを手に取ってみせる。ライトブルーとブラウンのラインが入ったシンプルなデザインで、なかなか素敵だ。

「いいんじゃない」

千夏が頷くと、楓はそれを持ってレジへ運んだ。


「さてと。この後、どうします?」

「帰るよ」

楓といつまでも付き合うつもりはない。そっけない千夏に対して、楓は人懐っこそうに千夏と腕を組む。

「ねえ。お礼にご飯奢りますよ。行きましょう」

「えええ。別にいいよ。大したことしてないし」

「いいからいいから」

楓に服の袖を引かれ、千夏は渋々ついていった。


二人が入った先は、こじんまりした洋食屋だった。楓は機嫌よくおしぼりを千夏に手渡した。

「私、この店の一番好きなところって、エアコンなんです」

「エアコン?」

「ちょうどいい温度だと思いません? 私寒がりなんで、あんまり低いの苦手で」

そういえば前にもそんなこと言ってたなと千夏は思い返す。暑がりの千夏には少し暑い気がして、氷の入った冷たい水をごくごく飲む。

「男性も。温かい人が好きです」

「へー」

急に話がそっちへ行くのか。男性とは正秋のことだろうか。そうやって挑発したいのかと、千夏はさらに警戒する。楓はそれに気づいているのかどうなのか、特に嫌味のない顔で微笑む。


「そうそう、このお店、ハヤシライスがおすすめなんです」

急に話題が変わり、千夏は少し面食らう。言われるがままに、メニュー表を見る。特に変わったものもない、ごく普通な洋食屋のメニューだと思い、ハヤシライスの写真を見つめる。

「じゃあ私、ハヤシライスにする」

「決めるの早っ。天野さんて、男の人みたいですね。あ、すいません、ハヤシライス二つで」

楓がくすくす笑いながら注文する姿に、千夏は「男の人みたい」という言葉にカチンとする。どうも、この女と話しているといちいちイラッとする。

「ダラダラ悩むの、好きじゃないんだ」

千夏はよくようのない太い声で言い切り、行儀悪くスマートフォンをいじり出す。


「へー。潔くてかっこいい。私も天野さんみたいになれたらなあ」

楓はテーブルに肘をつき、千夏の顔を覗き込んでくる。千夏はそんな楓が視界に入るも、少しの間、無視する。まだ見てくるので、しょうがなくスマートフォンをテーブルに置く。楓は最近、髪の色を変えたらしく、ショートヘアは明るい紫みのある赤色をしている。小麦色の肌はよく手入れされているらしく、ツヤツヤだ。さらに今日はVネックではなく、スクエアネックのカットソーを着ているが、相変わらずその巨乳は持て余しているらしい。

「大地さんは今のままでいいじゃない。綺麗で女らしいし」

「全然です。それでね、天野さん」

「うん」

「私、こないだ男友達と会って…。ちょっといい感じの雰囲気になったんです」


千夏はこの日初めて、楓をまっすぐ見た。なんだその話は。恋バナか。

「実は、これ、同世代の人に聞いてほしくて。覚えてます? こないだ、雷がすごかった日」

「あー、あったね。怖かったよね。土砂降りだったし」

「うん。それで、私、ちょっと傘持ってなかったから降られちゃって、駅で立ち往生してて。どうやって帰ろうかな、って思ってて。そしたら偶然、昔の男友達に再会したんです。そこでしばらく立ち話してて。それで、駅から近いから俺んちこいよって言われて」

「えー。それでそれで。どうなったの」

千夏はすっかり乗り気になり、やや前傾姿勢になって尋ねる。話の焦点が正秋でなければ、なんでも来いだ。


「それで…。シャワー浴びなよって言われて」

「うんうん」

「で、シャワー借りて、少し話して。引っ越したんだって言ったら…。ご馳走してもらって」

一方の楓は、一つ一つ確かめるように言い、その都度照れている。

「えー。その後は?」

「彼女いるって言ってたから、こういうのだめだよって言ったんですけど…」

「言ったんですけど?」

「…泊まっちゃったんです」

「えー。それで?」

「えっと…。彼女さんと別れるからって。だから…。そういうことになって…」

「何それ。はっきり言えばいいじゃん」


千夏は大笑いして首を縦に振る。いい、いい。そういうの、いい。友情から愛情へ切り替わるタイミングは誰にも読めない。だけど察する限り、その男友達の方が楓のことを好きだったのだろう。

「ずっと機会を待ってたんだろうね」

「そうですか? 彼、とても温かい人で…」

「えー。それが、さっきの話につながるわけだ」

千夏は妙に納得して笑うと、楓も笑い返す。

「はい。あと、これも彼に渡すつもりなんです。恥ずかしい話なんですけど」

楓は恥ずかしそうに笑い、先ほどのラッピングしてもらったプレゼントの箱を見せる。

「全然恥ずかしくない。応援しちゃう。付き合うことになったの?」

「これで、天野さんと気まずくならなくて済みました。ご心配おかけしました」

「そうなんだ…。おめでとうー」

千夏は心から拍手する。心配する、というのとはちょっと違う気がするが、この際気にしないでおこう。


「あと、これ余談なんですけど。彼とお風呂に一緒に入って見つけちゃったんです。右のお尻にホクロが二つ、並んでるんですよ。可愛くないですか」

「やだーかわいー」

千夏は手を叩いて笑う。なんだ。そうだったのか。楓が機嫌よく話しかけてきたのも納得がいくし、その男友達とやら、グッジョブだ。自分と正秋を邪魔する女を見事、かっさらっていってくれたことに、感謝感激雨霰だ。

「お待たせしました。ハヤシライスでございます」

千夏が拍手している横で、店員がハヤシライスの乗ったトレーを二つ、テーブルへ置く。楓は意気揚々とテーブルの端からスプーンを二つ取り出し、千夏に一つ渡す。

「どうぞ。あったかいうちにいただきましょう」

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