正秋の誕生日
いよいよ正秋の誕生日当日がやってきた。本当なら前日の夜から正秋のマンションに行き、茶碗蒸しをはじめ、料理の仕込みをしておきたかったが、教習所でもあるのか、正秋の都合でそれができなかった。なので千夏は当日の夕方に訪れた。残暑はまだまだ厳しく、到着したときには汗だくだった。
「いらっしゃい。すごい大荷物だね」
正秋がドアを開けて荷物を受け取り、千夏を中に入れる。いつも綺麗に掃除されているが、今日は特に綺麗だなと千夏は感心する。玄関を上がると、エアコンの前に立ち、顔を手で仰ぐ。なんだかいつもより暑い。千夏はテーブルの上にあるリモコンの画面を見る。設定温度は二十八度だ。
「ああ、ごめん、温度下げていいよ」
正秋に言われ、千夏はリモン操作する。それから流しで手を洗い、浴室に目を向ける。
「ねえ、先にシャワー浴びていい?」
「あー、ごめん。掃除してない」
「いいよ、そんなの」
「いや、ちょっと入んないで」
正秋は慌てて千夏を制し、浴室に入って扉を閉めた。
千夏はキッチンでしばらく料理に集中した。が、浴室掃除から戻ってきた正秋はそれが気になるらしく、時々ソファを立って覗きにきた。
「そのタッパーの中には何が入ってんの」
「内緒」
「そっちのフリーザーバッグは」
「企業秘密です」
正秋は面白そうにしているが、神経質になっている千夏にはそれが鬱陶しい。
「もう。テーブルでも拭いて。お箸、並べといて」
千夏は搾った台布巾を渡し、キッチンから正秋を追い出した。
かくして、茶碗蒸しは完成した。自宅アパートで作ってきた他の料理とともに、出来たての茶碗蒸しをテーブルに並べた。
「これが完成版なんだね」
正秋は茶碗蒸しを見つめて大いに頷く。
「うん」
千夏は「す」が入っていない茶碗蒸しを見て、やや疲れた顔で微笑む。やった。上手くいった。練習の成果があって、ついにまともな茶碗蒸しを作れるようになったのだ。しかもただの茶碗蒸しではない。千夏は正秋が小さじですくい上げるのを、黙って見つめる。
「美味しい。すごい、エビの風味たっぷりだね」
正秋は感激して言い、はふはふしながら食べる。そうだ。エビの殻だけでなく、脳みそも使ったのだ。それをよく焼いて旨みを引き出してある。まずいはずがない。
「喜んでもらえてよかった。これも。お誕生日おめでとう」
「ありがとう、何?」
千夏がラッピングされた小さな箱を手渡すと、正秋は少し驚いてそれを受け取る。
「開けてみて」
正秋はスプーンと蒸し椀を置き、包装紙を解く。中の箱を開けると、そこに入っていたのはフレームなしのメガネだ。
「あー、もしかしてこないだ試着したやつ?」
「うん」
正秋は今つけているメガネを外す。一瞬だけ見せる素顔に、千夏はドキッとする。前にも思ったが、意地悪そうでスケベそうに見える。そう、ドS男そのものだ。でも自分がドM女だからなのだろう、これをいつもつけていて欲しいと願ってしまう。そんな気も知らず、正秋は新しいメガネをつける。
「はっきり見える。度数もピッタリ。よく覚えてたな、俺の視力」
「うん」
「ありがとう」
正秋は千夏の頬にキスする。思わず赤面したが、冷静ぶって千夏はテーブルを指さす。
「せっかく作ったから。たくさん食べてよ」
食事が終わり、千夏はキッチンで洗い物を始めた。茶碗蒸しは大成功、メガネも大成功だ。密かに鼻歌を歌いながら水切りカゴを見やると、ピンクのラクダのマグはあるのに、グレーの方がない。直後、正秋が後ろから抱きしめてきた。
「ごちそうさま。全部美味しかったよ」
「うん。ねえ、マグは?」
「あー、それがさ。実は、割っちゃって」
正秋は顎を軽く掻きながら言う。
「そうなんだ…」
二人の旅行の記念だったのに、残念だ。一つだけ取り残されたマグを見ながら、千夏はジャバジャバと音を立てながら洗いものを続ける。正秋はさらにぎゅっと力を込めて抱きしめてきた。
「ねえ。今日、土曜だし。泊まっていけよ」
正秋の密やかな声に、千夏は心臓が飛び上がりそうになる。いよいよこの日がやってきたのだ。お互い一人暮らしでどちらも三十三歳のくせして、ずっと清いまま、健全に過ごしてきた。だけど付き合い始めてもうじき二ヶ月が経つ。正秋の前科による反省期間兼、お互いの焦らし期間は終わらせてもいい頃だ。
「綺麗だよ」
正秋は千夏を愛しそうに見つめる。それを、千夏は少し意地悪に見返す。
「大地さんより?」
「こんな時に、なんだよ」
正秋はわずかに首を横に振り、少し挙動不審になった。それがなぜか分からず、千夏はキョトンとする。
「何、どうしたの」
「何でもない」
千夏が何か言い返す前に、正秋が千夏の唇を自分の唇で塞いだ。舌が滑り込んできて、千夏は泡だらけの手をなんとか水で洗い流す。手を拭く隙も与えられないまま、正秋に抱き抱えられるようにしてキッチンを横切り、ソファーの前を突っ切り、ベッドに傾れ込む。
もう我慢できない。一刻も早く抱かれたい。正秋は千夏のスカートを剥ぎ取り、パンティに手をかける。そのときだった。
「あ…」
「どうしたの?」
急に手を止める正秋を、千夏は怪訝そうに見る。
「血が…」
そう言われて、千夏はハッとして上体を起こす。経血で汚れたパンティが、目の前にあった。




