試作
翌日の土曜日、千夏は正秋とオープンして間もないショッピングモールで待ち合わせした。九月の下旬には正秋の誕生日があるので、千夏は何をしてあげようか思案した。
服。靴。バッグ。時計。二人はモール内をあてもなく歩きながら、ときどき立ち止まり、物色する。これというプレゼントが見つからず、千夏は腕を組む。やたらやたらメンズのコーナーばかり行くので、正秋がくすくす笑い出した。
「ねえ。俺、何も要らないよ」
「そう言うと思った」
千夏はメガネ屋の前でメガネを物色する。正秋がいつもつけている黒縁のメガネと違い、これはフレームなしのタイプだ。それを手に取り、正秋の前に突き出す。正秋は苦笑いしながら黒縁メガネを外し、フレームなしメガネを装着する。
「どう?」
「へえ…」
千夏はしばらく無表情になり、無言で見つめる。
「何か感想言ってよ」
「すっごく意地悪で、すっごくスケベそう」
千夏の感想に、正秋は盛大に吹き出した。
その後、キッチン雑貨のショップを見つけ、そこへ正秋を引っ張った。ショップ内はホームセンターでありがちな廉価なものと違い、一つ一つがデザインに凝っていたり、プロ仕様のアイテムだったりと、千夏の物欲をぐいぐい惹きつけた。
「蒸し器が欲しいんだ」
「いよいよアレの練習に入るんだね」
正秋は楽しそうに微笑む。
「そうだよ。こないだ教わったばかりなんだ」
千夏は三日前の料理教室を思い出す。茶碗蒸しづくりを快諾してくれた講師の孝子も生徒達の顔が目に浮かぶ。同時に海李のことも思い出す。なんだか爽やかな感じで告白された上、デートにも誘われてしまった。まだ返信はしていない。同時に、自分はそこまでいい女なのかと疑問も浮かぶ。正秋に正直に伝える勇気も出ず、千夏は売り場へと意識を切り替える。
茶碗蒸しを自宅で作るには蒸し器が必要である。電子レンジでも作れるが、茶碗蒸し以外にも使えるし、この際だから購入を決めたのだ。千夏は孝子が言っていたアルミニウム製の蒸し器を探す。だが、その値段を見て驚いた。ステンレス製と違って見た目は野暮ったいくせに、値段は三倍以上だ。千夏はうーんと腕を組む。
「茶碗蒸しって、別に蒸し器がなくても少し背の高い湯呑みに作って、それを水張った鍋の中に入れて火にかければ作れるよ」
正秋の言うことはこなれ感があり、最もだ。だけど自分はもう、蒸し器という未知の調理器具が欲しくなっている。他で間に合わせるのはなく、専用のそれがいいのだ。
「そうだけど。欲しいんだもん」
「蒸し器って結構場所、取るよ。置ける?」
それもまた悩ましい。自分のボロアパートはキッチンも小さいし、収納場所は満杯だ。目の前にある蒸し器はステンレス、アルミニウム問わず、なかなかに大きい。
「他の鍋を捨てて、しまう場所作る」
千夏は口を尖らせ、アルミニウム製の方の取手を掴む。欲しい。これが欲しいんだ。
「そんなに欲しいなら俺が買うから、うちで練習しなよ」
「えー。いいよ、蒸し椀も欲しいし」
とはいえ、正秋の家のキッチンの方が断然、いい。二人が会うのはいつも千夏のボロアパートではなく、正秋のマンションだ。そのキッチンはもう少し広いし、本人が綺麗好きとあっていつも手入れされていて使いやすい。料理男子の聖域だ。
「正秋の家のキッチンは、正秋の聖域。バスク人みたい」
「何、それ」
「バスク人のキッチンは男専用。女は入れないんだって」
千夏は昔読んだ小説を思い出しながら言う。正秋はなんのこっちゃという顔をして、食いついてくる様子はない。
「ねえ」
正秋がキュッと手を繋いでくる。
「ん?」
「千夏は誰のために料理、頑張ってんだよ」
正秋が嬉しそうに千夏の目を覗き込みながら尋ねる。子犬のような可愛いらしい瞳に、千夏が照れて目をそらす。
「目の前の、人」
「だよね」
正秋は笑い、千夏の髪をくしゃっと丸める。それからアルミニウム製の蒸し器を手に取り、千夏に蒸し椀を持たせると、レジへと向かった。
二人はその後スーパーへ寄って食材を買い込み、正秋のマンションへと向かった。帰宅するなり早速、蒸し器を箱から取り出した。
「今日はまだ試作だから。キッチン、入ってこないで」
千夏がそう言って正秋を強引にソファへ座らせると、正秋は面白そうにくすくす笑う。
「試作品の味見はさせてもらえないの」
「うん」
「えー。失敗したのでもいいから食べたいよ」
「やだ」
千夏はそう言ってキッチンへ戻り、スポンジに中性洗剤をつけて蒸し器と蒸し椀を洗う。布巾でよく拭き、鍋に水を張る。その上に身と呼ばれる、底面に細かな穴がついた容器を乗せ、蓋をする。
「さてと」
今度は出汁を作る。市販されている顆粒出汁でもいいが、料理上手な正秋のことだ、舌は肥えまくっているに決まっている。しかもそれをおくびにも出さず、始終、ニコニコしているからタチが悪い。千夏は買ってきた乾燥昆布をキッチンバサミでカットし、水を張った小鍋に浸す。
「本格的じゃん」
いつの間にか後ろに正秋がいて、千夏の肩に顎を乗せてくる。
「ちょっと。入ってこないでって言ったのに」
「千夏が頑張ってるとこ、見たいよ」
「いいの、そんなの」
千夏は眉を釣り上げ、またしても正秋を居間に追い立て、ソファに座らせる。正秋はおかしそうに笑い、千夏の手首をギュッと掴んだ。
「ちょっと」
「昆布、水に浸してるんだろ。少し待ち時間、できるよね」
「そうだけど」
「じゃあその間、ぎゅーしよ」
正秋は千夏を抱きすくめ、ソファに寝転んだ。
こんなにいい雰囲気だといよいよソレになってしまいそうだ。正秋の腕の中で千夏は少し期待しながら、今日の下着がなんだったか急いで思い返す。
多分、大丈夫な下着だ、と自分自身に頷いたとき、正秋はいびきをかき始める。何だと。千夏はその寝顔を半信半疑で見つめる。
「ちょっと。なんなの、一体」
頭にきてその腕を乱暴に離し、ソファを立ち上がる。それから改めてその寝顔を見下ろす。メガネを外してやると、卵形の輪郭のその顔は、本当にいい男だ。冬馬や海李ほど背は高くなく、そこまで肩幅もなく、線は細い。だが、見てると関節はわりとがっちりしている。鎖骨も喉仏も出ていて男らしい。それゆえに、抱いてもらえなかったのが悔しいし憎たらしい。千夏はベッドの上にあったタオルケットを引きずり、正秋にお腹に掛ける。
三十分ほどして、キッチンでは昆布が水の中で膨らみ、大きくなっていた。千夏は小鍋ごとIHヒーターの上に移し、弱火にかけた。さらに十分ほど経ってから火を止め、昆布を取り出した。入れ替わりに削り節をたっぷり入れ、再び火をつけた。沸騰する手前で火を弱め、数分、煮出した。
熱湯の中で踊り狂う削り節を見ながら、千夏は物思いに耽る。つい先日までの自分なら一から出汁を取るなど、考えられないことだ。恋をすると女はここまで変わるのかと、我ながら可愛いと思う。
出来上がった出汁を冷ましている間、千夏は今度、具材を切った。鶏胸肉、かまぼこ、椎茸、三つ葉。銀杏は無かったので、小エビを入れてみることにした。
出汁が冷めたところで、蒸し器を点火した。出汁と溶き卵と調味料と混ぜ合わせ、それを漉し器を通して具を入れた蒸し椀に流し込んだ。蒸し器の蓋の蒸気孔から、シュンシュンと蒸気が出ているのを確認し、千夏は蒸し椀を二つ、蒸し器のなかへ入れた。
蒸し上がるまで、千夏は正秋のそばに近づき、ソファの足元で脚をのばす。ローテーブルの上を見ると、色違いのマグが二つ、並んでいる。千夏はそれを見て微笑んだ。こういう静かで平和な時間が愛おしい。正秋の寝顔につられ、千夏もすぐに寝入ってしまった。
しばらくして、キッチンタイマーの音で千夏は目を覚ました。
目をこすり、千夏はキッチンへ駆け寄る。千夏は蒸し器の火を止め、蓋を開け、蒸気を逃す。そっと蒸し椀を取り出し、それを凝視する。
「失敗した…」
「美味しそうじゃん」
いつの間にか正秋が隣に立ち、それを見つめる。
「だって、見てよ。すが入っちゃった」
表面にはぼこぼこと細かな穴が空いている。
「いいじゃん。食べさせてよ」
「だめ。こんな酷いの」
「いいよ、別に。千夏が作ったのはなんでも美味しいよ」
正秋の言葉には、いちいち愛がある。ふと、以前にあんかけ焼きそばを作ったとき、冬馬に食べてもらえなかったことを思い出す。あのときは頑張っても報われなかったのに、正秋が相手だと違うらしい。情けなくて涙ぐんでしまう。正秋は黙ってティッシュを手に取り、千夏の涙を吸い取る。
「泣かないで。千夏、大好き」
そんなこと言うな。千夏は頭を撫でてくる正秋を悔しそうに睨みつけ、ぼたぼた涙を流す。
「じゃあ、正秋が作る時はいつもこうなる?」
「んー…あー、どうかな」
正秋は曖昧に濁して笑い、千夏からスプーンを取り上げる。千夏が奪い返そうとするも、正秋はそれを上手くよけ、茶碗蒸しに突っ込んだ。それからさっとすくい上げ、勝手に味見する。
「ん」
正秋は目を見開く。
「どう?」
千夏は前かがみになり、おそるおそる尋ねる。
「すごく美味い」




