私も好きになってしまいました
千夏を乗せた車は待ち合わせ場所の沖縄料理屋「ニライカナイ」前へ到着した。ここには正秋とは来たことがなかったので、少し新鮮な気持ちでいた。なのに、降り立ったところで待っていたのは正秋だけではなかった。寄り添うように楓が並んで立っていた。千夏は激しく動揺したまま、三人で店の中に入り、奥のテーブル席へと通された。
「ごめんなさい、今日ちょっと安田さん、お借りしました。どうしても一人じゃできなくて。お礼に奢らせてください」
楓は申し訳なさそうに謝って事情を説明し出す。どうやら楓は実家を出て、引っ越したはいいものの、引越屋に配置された家具の位置がおかしいことに後になってから気づいたらしい。一人で移動ができないため、正秋に声をかけたという。
話の筋は通っているものの、千夏は不機嫌さを取り戻せない。正秋も正秋だ。『俺は好きな女以外に愛想振りまかない主義』と言っていたくせに、矛盾している。最近になって優しくなったと春菜が言っていたが、千夏にはまったくもって不愉快だ。
「へえ。大変だったんですね」
千夏はそっけなさを隠そうともせず、いい加減に相槌を打つ。グアバサワーを持ってきた店長には、愛想良く笑顔を向ける。
「他の家具を動かす必要も出てきちゃって。今日はいろいろ、本当にすみません、助かりました」
「いや、大したことやってないし」
楓も正秋も互いに頭を下げ合う。楓の言い方はいつにも増して塩らしく女らしく、たおやかだ。そこが千夏の神経を逆撫でする。
「正秋、力がなくてお役に立てなかったんじゃないですか。ほら、腕なんかろくに筋肉、ないし」
千夏がバカにしたように笑いつつ、さらに、正秋と呼び捨てしていることを誇らしく思いつつ、正秋の二の腕の肉をつまむ。そうやって、スキンシップしながら仲の良さをアピールする。
「おい、やめろよ」
正秋は恥ずかしさと不機嫌さを混ぜて抵抗する。
「お腹なんか、こんなにプヨプヨ。あはははは」
千夏は今度、正秋の脇肉を掴む。軽く弛んだ肉は、明らかに運動不足だと訴えている。
「千夏、やめろって」
「ふふふ。いつも仲良いですね。お二人はいつから付き合い出したんです?」
「んー」
千夏は詳細を教えたくなくて、それより先は笑顔だけつくり、わざと黙ることにする。代わりに正秋が答え、それを楓が嘘くさい笑みで羨ましいですなどと言い、相槌を打つ。
そもそも、なんで休日なのに三人で飲みにきているのだ。正秋にお礼をするのはわかるが、千夏は無関係だ。恋人達の邪魔をせず、楓にはこの辺でお引き取り願いたい。なのに楓は次々と料理を注文し、いつものお淑やかさはどこへやら、ひっきりなしに喋り始めた。まるで海李二号だった。
「初めてクライアント訪問した日、すごく緊張してたんですが、安田さんがランチに誘ってくださって。あの時はごちそうさまでした。さ、どうぞ。この『琉球王国』、泡盛なんですけど、飲みやすくて美味しいんです」
楓が改めて正秋に頭を下げ、『琉球王国』とラベルのついた一升瓶を正秋のグラスへ傾ける。沖縄出身なだけあって、この店に置いてある酒の銘柄は大体分かるらしい。
「ランチなんて大したものじゃなかったし」
正秋は泡盛を一口だけ口につけ、謙遜して笑う。
「それと、初めての打ち合わせのときも、私、うまく説明できなかったのに、フォローしてくださって。本当に助かりました」
「それももう、何回も聞いたよ」
正秋は食傷気味な様子だ。
「前田設計のパーティーのときも。総務部の生野さんのことも…」
「何ですかそれ」
千夏は白けた声で突っ込む。楓が前田設計のパーティーで男達に絡まれていたのも、歓迎会で生野に絡まれていたのも知っている。そしてことあるごとに正秋が救いの手を差し伸べてきたのも知っている。だけど千夏はあえて知らないふりをする。詳細を話させて、正秋本人にこの女に関わりすぎだということを認めさせるためだ。
「はい。私、ぼうっとしてるんで。パーティーのとき、変な人に絡まれて。安田さんに助けてもらったんです」
「へー。大変でしたね」
千夏は棒読みで返す。
「それと、歓迎会のとき、生野さんにあちこち触られて。すごく嫌で我慢してたんですが、安田さんがさっと助けてくださって」
おい。それは違うだろ。お前が正秋に助けを求めたんだろうが。
「へー、正秋は親切ですからねー」
千夏はあえて「親切」という言葉を投げてみた。親切と優しいは違う。親切は赤の他人へ、優しいは大切な人に使うものだと千夏は結論づけている。
「どうしてなんでしょう。私、何にもしてないのに…」
そりゃ、そうだろうよ。千夏は楓の今日の服を見る。またしても胸を強調したTシャツと尻の形がくっきり浮き出るデニムを着て、触ってくださいと言わんばかりの見た目に腹が立つ。お前も同じ三十代だろ。もう若くはない。カマトトぶってないで、若い二十代に遠慮して生きていけ。千夏は自分がときどきミニスカを履くことなど棚にあげて、脳内で思いきり非難する。
「大地さんにいいフリーダイヤル教えてあげようか。セクハラ百十番、ゼロイチニイゼロの…」
「安田さんがその番号、生野さんに突きつけてくださったんですよねえ」
楓は千夏の方を見向きもせず、正秋の肩に触れた。千夏はカッとして、グラスを音を立てて置いた。正秋は落ち着いた様子で楓の手を静かに取り、肩から離させる。
「礼には及びません」
正秋は冷静だ。それを見て、千夏もグッと堪え、冷静さを取り戻す。
「安田さんの、あの言い方が素敵です。ちょっと笑いながら、でもたしなめる感じの。あれだと生野さん、安田さんに言い返せませんよね」
「ですかね」
正秋はさして興味もなさそうだが、褒められて嫌な気もしない、というふうに微笑む。千夏はそれに首を傾げる。妙だ。以前だったら正秋は他の女達にもっと冷たかったのに。
「私、思うんですけど。社内恋愛って、仕事に支障はありませんか」
「ありません。あの」
正秋は急に背筋を正す。
「はい?」
「社内ではまだ公言してないんで。お互い、仕事、やりにくくなるのは勘弁ですし。そこんとこ、頼みます」
ニコニコする楓に対し、正秋は笑みを消し、少し真面目な顔をする。
「はい」
「あと。千夏に変な誤解を与えたくないんで、今後はこういうの、他の奴に頼んでください」
言ってくれた。よし、そうだ、正秋。よくぞ言った。私が気分が悪くなってるの、よく分かってるじゃないか。とはいえ、自分も海李とデートしてきたばかりだ。今日のことは追及しないでおこう。千夏は静かに頷いて、グアバサワーの残りを飲む。
「そろそろ行こう千夏。じゃあ大地さん、失礼します」
正秋は楓の見ている前で千夏の手を取り、椅子から立ち上がった。千夏はそれが嬉しくて、勝ち誇ったように微笑み、立ち上がる。
「うん」
「まだ話は終わっていませんよ」
楓の声が、いやに強く、鋭く響いた。
「はい?」
正秋と千夏は顔を曇らせ、声をハモらせる。何やら楓の様子が変だ。椅子に座ったまま半目になり、少し気だるげに頬杖をつきながら微笑する。
「私、安田さんのこと、好きになってしまいました。私のことも、ちゃんと一人の女として見てください」




