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自己紹介

翌週、千夏は仕事を定時で終え、エレベータで一つ下のフロアに降りた。


千夏が料理教室に入会して一日目の献立は、雑穀ごはんとおろし大根のせハンバーグ、タコとわかめときゅうりの酢の物、ズッキーニの冷製ポタージュだった。この日も講師の孝子にきめ細かな指導を受け、千夏は合間合間にメモをとった。他の生徒ほど上手ではないにしろ、まあまあな出来だと自分をねぎらった。


「細江さんがつくったポタージュ、美味しいですね」

千夏がポタージュを飲んで感想を言うと、若い細江は顔を綻ばせる。

「そうですか? 玉ねぎ、もっと炒めた方がよくないですか?」

「美味しいわよ、とっても」

孝子も一緒になって褒める。

「でもハンバーグは太田原さんに敵いません」

細江が少し年配の太田原を褒めると、千夏は他の皆とともに一口ずつ、それを失敬する。ハンバーグそのものは細江や海李と大差ないが、大根が丁寧におろしてあり、ムラがない。おろしの絞り方がまた絶妙で、ハンバーグの味が薄まらず、適度な辛みと爽やかさがある。


「本当だ、完璧ですね」

「天野さんから完璧、いただきました」

太田原がドヤ顔でガッツボーズを決めた。

「天野さんの雑穀ごはんも美味しいわ。蒸らし時間、少し長めにとったのかな? ふっくらしていていいわね」

孝子が尋ねると、千夏は確かに、と頷く。

「あー、そうかもしれません。意識してなかったんですが」

「いいわよ。その調子よ」

孝子は温かい笑顔で千夏の背中をポンポン叩く。それから、今度は海李の方に顔を向ける。

「海李さんは、もう少しタコを小さめに切りましょうね」

孝子の言葉を受けて、千夏は海李の酢の物を見る。確かにそのぶつ切りされたタコは大きい。太田原が噛み切りにくそう、と盛大に笑う。


今の海李は普段と大違いだ。料理教室にくると口数が激減し、小学生みたいに必死に取り組んでいる。

「私は海李さんのタコ、いいと思います。歯応えがあって、食感、楽しめそうで」

千夏が無表情で褒めると、海李が照れ臭さそうに笑う。それを見てから、千夏は思い切って手を挙げる。


「先生、あの。お願いがあるんですけど」

「なあに?」

「先生だけじゃなく、皆さんにも」

千夏が他の三人に向かって言うと、三人も千夏に注目する。

「来月。彼氏の誕生日があるんです。すごく茶碗蒸しが好きみたいで。それまでにここで教わりたいんです」

そうだ。絶対にこれは上手になっておきたい。他はともかく、茶碗蒸しだけでも完璧にマスターしておけば正秋は喜んでくれる。千夏が両手で拳を握りしめ、口をギュッと結んでいると、孝子は嬉しそうに頷く。

「そういうことならいいわよ。ねえ、皆さん。茶碗蒸し、嫌いな人いる?」

「大丈夫です」

三人は口々に言う。

「わあ、ありがとうございます!」

千夏は全員に頭を下げる。自分以外の先輩方が作る茶碗蒸しも、是非とも味見させてもらおうと、千夏は鼻息を荒くした。


食事と後片付けを終え、千夏は他の生徒とともに教室を出た。

「天野さんもお仲間になったことですし。みんなでちょっと、そこでお茶しません? 僕が奢ります」

海李が近くのカフェを指さして提案すると、太田原も細江も喜んで賛成した。千夏は正秋のことが脳裏によぎったが、せっかくの申し出なので付き合うことにした。


四人はカフェに入り、窓際の座り心地の良さそうなソファ席を陣取った。それぞれ好きな飲み物をオーダーし、早速、自己紹介を始めた。


「じゃ、私から。太田原です。ふふふ。孝子先生と同い年です。子どもはみんな自立してて、旦那と二人暮らしの専業主婦です。趣味は旅行と買い物かな。料理してて好きな食材は長ネギです」

いかにも料理教室の生徒らしく、好みの食材まで自己紹介に組み込んできたのが面白い。千夏は細江の方を見やる。

「細江です。二十九です。来年結婚するので、その前に修行するつもりで通ってます。すぐそこのビルで、営業事務やってます。趣味は…えーと、ここにきてるのもそうですけど、料理です。好きな食材は…、卵ですね」

細江は控えめに微笑んだ。

「海李です。孝子先生と同じ苗字なんで、下の名前でお願いします。四十五歳、仕事は会社経営。天野さんの会社と取引してます。好きなものはたくさんありますが、趣味は車と自転車。好きな食材はタチウオです」

海李は渋い笑顔を向けてくる。千夏は少しドギマギして、軽く会釈する。

「海李さん、タチウオとか、お上品な食材が好きよねえ」

太田原がほっほっほと笑いながら突っ込み、海李は優雅な仕草で微笑む。千夏は自分を指差し、挙動不審気味に唾を飲む。


「えーっと。天野です。歳は…えー、アラサーです。教室が入ってるビルの、上のフロアで働いてます。広告制作会社です。趣味はジム通い、かなあ。駅の反対側の、オシアスってジムです。好きな食材、ですよね。えーと、スーパーで安売りしてるやつなら、何でも」

千夏が頭をかくと、一同は爆笑した。

「ねえ。広告会社って、海李さんの会社の広告、作ってるとか?」

太田原が感心した様子でアイスコーヒーを飲み、頷く。

「はい。偶然ですけど」

「海李さんとこの事務所の、いい宣伝になるといいわねえ」

「しがない事務所ですから。期待してます」

しがない、だと。そんなわけあるか。海李は自分の会社の全貌をここで語るつもりがないのだろう。だから料理教室での海李は少し大人しいし、口数が少なめだ。千夏は海李の一つ一つの動作を観察しながら、黙ってコーヒーを飲む。

「天野さんはいい飲みっぷりなんですよ。こないだうちの会社の飲み会にも来てもらって」

飲み会? あんな素敵なパーティーがか? 千夏はまたしても突っ込みたい気持ちを抑える。

「えー、じゃあ今度はこの四人で飲み会やろうよ」

太田原はノリノリで言い、それに細江が大きく頷く。千夏もお義理で頷くことにする。


「それで、天野さん。彼氏さんがいるんですね」

今度は細江が遠慮がちに尋ね、可愛く笑う。

「あ、はい。そうなんです。彼氏の方が料理、うまくて」

「茶碗蒸しを作ってあげたいとか。可愛いこと言うわねえ。私もそういう時代があったはずなのに」

「太田原さんは今でも可愛いですよ」

「やあだあ。海李さんったら」

太田原は海李の腕を肘で小突き、ガハガハと笑う。

「ねえ。でもねえ。天野ちゃん。気をつけた方がいいわよお」

急に天野ちゃん呼びをされ、千夏はそれをすぐ気に入った。なんだか距離が近くて楽しい。

「何がですか」

「海李さん、女がいっぱいいるから。この毒牙にかからないようにね」

それは太田原の妄想だ。こんなおしゃべり男が女にモテるはずがない。が、見た目だけを求める女ならたくさんいるのかもしれないと、千夏は想像をめぐらす。

「ひどいなー。僕は太田原さん一筋なのに」

「やだあ。ガハハハ」

太田原は嬉しそうに海李の二の腕を引っぱたく。


「天野さん、彼氏さんはどんな人なんですか」

細江がおずおずと尋ねる。

「同じ会社なの。営業マンで──」

しまった。社外だと安心していたが、正秋と海李は顔見知りだ。海李はヒューッと口笛を吹く。

「へえ。僕の知ってる人かなあ」

「さあ、どうでしょう」

ここでもしまった、と千夏は思う。違いますとはっきりいえばよかった。

「その彼氏、僕は興味あるな。料理上手なんでしょ」

「いやいや。海李さんと違って背も高くないし、全然イケメンじゃないし、イケボでもないし。普通な感じの人です」


「ふううん」

海李は興味深そうに頷く。そして半ば、正秋の自己紹介をしてしまったことに今更気づく。自分のアホさがつくづく怖い。

「私そろそろ、帰ります」

「あ、ねえちょっと待って」

海李が呼び止め、スマートフォンを取り出す。

「はい?」

「飲み会するんでしょ。連絡先、交換しませんか」

メッセージアプリの個人ページの画面を見せた海李は、にっこりと笑う。太田原も細江も賛成するので、千夏も仕方なく笑い、交換に応じた。

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