帰り道
正式なオファーは浜口から追ってメールするとのことで、打ち合わせは無事に終了した。四人は再び車に乗り込み、前田設計のオフィスを後にした。
「九十九・九パーセントの確率で受注できる」
後部座席に座る正秋が鷹揚に言うと、車内の他の三人はドッと笑う。
「さっきの安田さん、かっこよかったです。本当に」
楓が助手席を振り返り、うっとりした様子で女らしく微笑む。そこで千夏と視線がかち合ったが、千夏のほうが先に視線を外す。
「本当ですね。こんだけプッシュして落とせなかったら飲みにいきましょう」
冬馬が運転席からルームミラー越しに、正秋を見て笑いかける。
「受注できたら杉崎、腹くくれよ。また忙しくなる」
「ウィーッス」
「絶対受注してよね。なんのためにレセプションパーティーで一気飲み、頑張ったんだか分かんないじゃん」
千夏が低い声で言うと、他の三人は大いに笑う。
「そのパーティー、盛り上がったらしいじゃないですか。俺も行きたかったなー」
冬馬は再びルームミラー越しに、今度は千夏の方を見る。千夏は正秋をちらりと見る。
「パーティーは別の機会に連れてってやるよ。あの会社、社外向けにいろんなイベント、よくやってるから」
正秋はあくびしながら言い、千夏の手をこっそり握りしめる。千夏は特に抵抗せず、おとなしく握られておく。
「そういえばマサさんと天野先輩は会社から家、近いんすよね」
「そうでもないよ」
「でも、荒川区って言ってましたよね。送っていきますよ。大地さんはすいません、俺と一緒に車、返してから電車で」
「はい」
冬馬が言うと、助手席に座る楓は礼儀正しく頷き、正秋は口頭で住所を伝える。冬馬はそれを聞きながら、カーナビに住所を入力していく。正秋の隣で、千夏は黙ってそれを見届ける。
「サンキュ。杉崎んちはどこだっけ」
「俺は用賀です」
「世田谷か。大地さんは」
「私は国立なんです。実家で遠いから、一人暮らしを考えてて」
冬馬はカーナビのセッティングを終え、発車する。
「それにしても天野先輩、顔、広いですねー」冬馬がハンドルを握りながら、朗らかに笑う。「大企業の社長と顔見知りとか、フツーにビビる」
単なる偶然なのにと思い、千夏はから笑いする。
「この前言ってた料理男子の人?」
正秋が尋ねると、千夏は頷く。
「杉崎、お前もよかっただろ、俺がお前のポートフォリオ持ってってやったおかげで、前田社長は大喜びだ」
正秋は表情のない声で言い、冬馬の頭を後ろからこづく。
「いてっ。いや、さすがマサさん。マジでありがとうございます」
「デザイナーもまた、うちの営業ツールだからな」
「俺という商品を見せつけてきたってわけっすね」
「だよ。あの会社、他のクライアントと違ってダサい奴はお断りって空気感、半端ねえからな。お前連れてって正解だったよ。社長も浜口さんも見ただろ。あのスーツに靴。特に腕時計」
正秋が冬馬の首を絞めたまま問いかけ、冬馬は唸りながらもうんうん頷く。
「浜口さんのはロレックスだったけど社長のはシャネルでしたっけ?」
今度は楓が聞き返す。
「そう、ブレスレットんところがブラックセラミックのやつ。似合ってましたよね。ナイスミドルぅ、前田社長」
冬馬が首を絞められたまま、惚れ惚れした様子で補足する。三人とも客のことをよく見ているなと、ハイブランドに詳しくない千夏は感心して頷く。さらに、冬馬の言うとおり、海李は渋くてかっこいいと改めて思う。
「お前の二十年後もあんな感じだろ」
正秋は首を絞めるのをやめ、今度は冬馬のこめかみをゲンコツでぐりぐりする。
「いてっ。そーすか? だったらいいな。憧れる。早口で途中途中、何言ってんのかわかんなかったんすけど」
冬馬の指摘に千夏も思わず笑う。
「そうそう。海李さんてダンディーでかっこいいのに。喋るのはやすぎて半分、何言ってんのかわかんなくって。ちっちゃい女の子みたいだよね」
千夏が無邪気に笑うと、車内に妙な空気が立ち込める。直後、車が信号につかまった。
「千夏、って呼び捨てされてましたね、天野先輩。先輩も海李さんとか、下の名前で呼んじゃって。仲よさそうですね」
「確かに」
冬馬がひひひと笑い、楓もふふふと笑う。千夏は顔を赤くし、ふと正秋の方を見る。能面のように表情がない。そのくせ、千夏の手をより一層、強い力で握りしめてくる。
「別に。だって、カイリって苗字だと思ってたんだもん」
おそらく、料理教室の講師、孝子と同じ苗字だから、あの時の海李は下の名前で区別しようとして自己紹介したんだろう。千夏はそう察したが、いちいち説明するのも面倒だ。
「なんでそんなに急接近したんすか」
「接近してないよ」
千夏はすかさず言い返す。正秋は何も言わないが、手を握ってくる力がますます強まっていく。強すぎて痛い。
「今日だって天野先輩がいるから社長も打ち合わせ、出てきちゃったんじゃなくて?」
それを言われると、確かに疑問だ。なんで海李は出てきたのか。何かの気まぐれだろうと、千夏は思い直すことにする。
「杉崎。もうここでいい」
正秋はつっけんどんに言い放ち、冬馬は大人しく車を路肩に停める。それを受けて、楓がそろそろと後部座席を振り返ってくる。千夏は慌てて正秋の手を振り払う。
「あのー。お二人って、もしかして付き合ってるんですか」
楓にそう聞かれるのも無理はない。この場で千夏と正秋は一緒に降りて、正秋のマンションに向かうつもりだ。千夏は正秋と目を合わせると、正秋はしばらく黙っている。
「うん。そうだよ」
正秋が堂々と答え、ドアを開けて車を降りる。
「仕事、やりにくくなるので。他言無用でお願いします」
千夏は目で訴えながら言い、そそくさと正秋に続く。
「わあ、そうなんですね。了解しました。お疲れ様です」
楓はたくらむように笑い、頷く。その笑い方が、千夏にはなんだか癪に障った。
「杉崎、サンキュ。お疲れ」
正秋は楓の笑いをスルーし、車中の二人の前で堂々と千夏の肩を抱き寄せる。それから、つかつかと歩き出した。




