商談
その後、打ち合わせは順調に進んだ。千夏は言われた通り、スケジュールの話を滞りなく説明した。
「結構タイトなスケジュールだけど、これで本当に大丈夫ですか」
浜口が鋭く突っ込む。
「大丈夫です。前田設計さんが予定通り、初校や再校分を戻してくだされば」
千夏は姿勢を正し、首を縦に振る。
「その点は大丈夫だと思うんですけど。動画の編集の方がどうかなって」
「大丈夫です。編集者は押さえてありますから。スムーズに行けばもう数日早く上げられると思います」
千夏は堂々と日程表を指さしながら言う。浜口は千夏の目を覗き込み、頼もしそうに笑う。
「なら、いい。そうそう、先日の会社案内ね。これがなかなか良かったんですよ」
「ありがとうございます」
浜口が会社案内のパンフレットを片手に掲げるので、ヒロイン・デザインの四人は恐縮しつつも笑顔を向ける。
「特にこの、裏表紙のところの切り込みがいいね」
浜口が裏表紙を指さす。そこには余白部分に間隔をあけて並行した二つのスリットが入れてあり、名刺を差し込めるようになっている。
「会社案内を名刺代わりに配りたいと、ご要望にありましたので。営業時に、本物の名刺もそこに差し込めるといいかなと思いまして」
千夏が口添えすると、浜口は大いに頷く。こういう提案は別に珍しくも新しくもない。初校を提出するとき、千夏が口を挟み、それをそのまま冬馬が切り取り部分のライン入れをして提出したのだ。そしてそれはそのまま採用されている。この配慮が、意外にも心を掴んだようだ。
「うん。封書で送るときにね、うちの担当営業の名刺、ここに挟んでいます。営業達からは好評ですよ。こういうちょっとしたところで、できるかできないかで差がつくんですよね」
「畏れ多いです」
千夏は恐縮して頭を下げる。自分はしがない進行担当なのに、出過ぎた真似をしていやしないか、少しハラハラする。
今度は海李が、正秋と千夏の方を見てくる。
「先日の君らの飲みっぷりも、なかなか良かった。確か営業の君が飲んで、つぶれて。そこへ千夏が出てきたんだったね」
千夏は面食らった。いきなり皆の前で呼び捨ては勘弁してほしい。
「その節は申し訳ありません」
千夏に代わって謝るのは正秋だ。
「はっはっは。楽しかったからいいよ。君らは柔道の団体戦で言うところ、先鋒と次鋒だと思ったんだ。だけど違った。千夏が先鋒と中堅と副将と大将を兼ねて出てきたってことだったんだな。それは敵うわけがない。勝ったら勝ったで要求をストレートに突きつけてくるところも、婉曲話法はやめろとか嘘つきは泥棒の始まりだとか。ハッハッハ。潔くて大変よろしい。いや、あれは実に傑作だった」
海李は料理教室のときとはうってかわって早口だ。それを受けて、浜口もにこやかに笑みを浮かべている。浜口はこのマシンガントークに免疫があるのだろう、適当にかわしている感じに小なれ感があって面白い。だが千夏は赤面し、穴があったら入りたいと願う。
「僕は確かに嘘ついたら泥棒の始まりだってママに教わった。だからちゃんと浜口に言ったんだ。ヒロイン・デザインに一本、任せたらどうかって。今日は急だったみたいだけど、来てくれてありがとね」
海李が片方の手のひらをかざして礼を言うと、浜口も頭を下げる。
「本当に無理を言って申し訳ありません」
「いえ、恐縮です、こちらこそありがとうございます」
頭を下げて礼を言う正秋を、千夏はチラ見する。そのつくり笑顔には体温を感じられず、鳥肌が立った。
「ですね。ところでこの会社案内、デザインしたのって…」
「はい、僕です」
浜口の問いかけに、冬馬が緊張気味に言葉を引き継ぐ。その脇で、正秋はバッグをゴソゴソ漁り出す。
「もしよかったらこちらをご覧いただけますか。杉崎のポートフォリオなんです」
正秋がクリアフォルダを浜口に手渡す。
「えっ、ちょっとマサさん、なんでそれ持ってきちゃってんすか」
冬馬はギョッとして正秋とクリアフォルダを交互に見る。浜口がフォルダを手にとって開き、海李も興味深そうにそれを眺める。正秋は楽しそうにくすくす笑う。
「こいつがうちの会社に面接に来たとき持ってきたやつです。人事のとこから僕がパクッてきました」
「おーう。これがいいじゃないか。このデザインはなかなかにシビれる」
海李が指さすページでは、国産車ではなく外車らしい、自動車の販売会社のパンフレットが紹介されている。冬馬が以前に勤めていた会社で制作したものらしく、格調高く品がある。千夏には車種まで分からないが、何となくカッコいいというのだけは分かる。
「ですね。ボディカラー違うけど、社長のと同じですか?」
浜口が海李に尋ねる。
「型も違うけど、うん。まあ、そうだな」
海李は機嫌よくそのページをつぶさに眺め、嬉しそうに微笑む。
「え! そうなんですか」
冬馬も正秋もすかさずくらいつく。四人の男達は異様な盛り上がりを見せ、車トークに花を咲かせる。海李は特に冬馬の感性を気に入ったらしく、多くの質問を浴びせている。冬馬も嬉しいのか熱心に答える。浜口と正秋は頑張ってそれに追いついていっている感じだ。千夏は車のことに詳しくなく、それは楓も同様らしく、完全に会話から取り残された。
しばらく車トークで盛り上がった後、浜口が真面目な顔に戻り、千夏達に向き直った。
「ちょっとこれはオフレコなんですけど今ね。うちのクライアントの四菱商事都市開発。そこが東北地方の各都市にいくつか、大型ショッピングモールの建設を予定してるんです。当然、我が社は入札に参加します。これを機に四菱だけでなく、新規デベロッパーももっと獲得していきたいんです。ただ、うちはまだ東北の地盤が弱い。そのためにも仙台を押さえておく必要があります。なので今回はその一環として、仙台駅に乗り入れているタクシー会社にサイネージを流すことにしたんです」
「はい」
正秋は短く答え、メモをとる。
「なので今回のも完全にB to Bです。仙台で手応えがあったら、盛岡、青森、秋田、山形、福島でも実施する予定です」
浜口が力説する横で、海李が上半身を少し前のめりにして両手の指を組み、咳払いする。
「そう。だからこそ、今回はおたくが最有力候補なわけだよ。だけど本当にこの金額で、うちは新規顧客の獲得を見込めるのかな」
海李は元々の早口を、さらに早口で尋ね、正秋の方を油断のない鋭い目つきで見る。千夏は少し怖くなった。恐る恐る、隣に座っている正秋を見る。営業マンというのはこういう緊張感に晒され、責任を背負わされているのか。普段の自分の仕事がいかに平和で呑気で、ひどく薄っぺらく、浅はかか思いしらされる。正秋が見積書に明記した金額を見ていないのでなんとも言えないが、おそらく競合他社よりも割安なのだろう。正秋は営業スマイルのニコニコぶりを引っ込め、真顔に切り替えた。真顔の照準を最初に冬馬へ向け、次に浜口、最後に海李へと定める。
「可能です。ぜひ当社へお任せください」
正秋ははっきりと言い切り、ビシッと頭を下げる。千夏は正秋の両手を見た。両膝を掴むその手の甲には、くっきりと血管が浮き上がっている。しばらくの間、沈黙が流れた。
「そうか。また連絡させるよ」
今度は海李が、軽快な笑顔を浮かべた。




