思惑
週明け、千夏が自席で仕事をしているところへ、冬馬が声をかけた。
「天野先輩。昼飯、一緒に食いに行こうよ」
この三連休は正秋とぴったりくっついていたから、今日は弁当を作ってきていない。それから部屋を見回す。お盆に入って社員の大半が夏季休暇中なのか、制作部に出勤しているのは千夏と冬馬、それに楓だけらしい。千夏は少し考えてから、鷹揚に頷く。
「いいけど、二人きりはだめ」
「じゃあ大地さんも誘う?」
千夏は気乗りしなかったが、そういえば楓とまともに話したことはない。腹のうちを探るいい機会だと思い直し、顔を上げた。
「うん、いいよ」
正午になり、千夏は冬馬と楓とともに、ビルの外へ出た。千夏はわざと二人の後ろを歩き、それとなく様子を観察することにした。デザイナーの冬馬はお得意の会話術で、ディレクターの楓を懐柔するつもりらしかった。一方、楓は控えめだが、上手に冬馬を立てながら受け答えをしていた。お互いに上っ面だけの会話をさも楽しそうに展開していて、どっちも食えない奴だなと、千夏は苦笑いした。
冬馬が選んだのは和食料理屋だった。三人は四人用のテーブル席に案内され、冬馬が手前に、千夏と楓は店の奥側に座った。
「素敵なお店を選んでくれて、ありがとうございます」
楓はいかにも育ちの良さそうな、優雅な所作で冬馬に礼を言う。さらに店内をあちこち見回すので、千夏もそれにつられる。前から存在は知っていたが、ここに入るのは初めてだ。が、楓が言うほど素敵な店でもない。頭上の洒落たペンダントライトの上には埃がまあまあに積もっているし、テーブル上の調味料は空っぽの器がある。
「いえいえ。大地さんは和食党なんですか」
冬馬もおしぼりで手を拭き、少し身を乗り出す。
「そうですね。料理、好きなので」
ほー。やっぱり料理好きはポイント高いよな。彼氏にも友達にも歓迎されるよな。千夏は先日の豚肉とキャベツのオイスターソース炒めを思い出す。正秋は優しいから完食してくれたが、テンション高く褒めてくれることはなかったのだ。
「得意料理はなんなんです?」
冬馬は礼儀正しく、質問を重ねる。
「んー。そうですね。簡単なものしか作れませんけど…。今は夏だから、茄子の揚げびだしとか、キュウリの胡麻和えとか」
健康そうな野菜料理を並べるあたりが、いかにも家庭的な女として売り込む典型だ。だからこそ回答はカレーライスや豚カツにはならない。実際には肉を食べてるからふくよかなくせに。千夏はこっそり鼻で笑う。
「美味そー。そういうの最近、食べてないなー」
そう言う冬馬の目は興味がなさそうだ。それもそうだ。本人の好物は麺類や肉類だ。
「茶碗蒸しもよく作ります」
なんだと。千夏は頬杖をつくのをやめ、楓の方を振り向く。楓は千夏の視線に気づき、たおやかに微笑む。
「それ、すごく難しくないですか」
千夏は正直に尋ねる。茶碗蒸しを上手に作れる女は、正秋の大好物だ。千夏の脳内で警報音が鳴り響く。
「そうでもないですよ。コツさえ掴めば。夏は冷たいものが美味しいですね。冷やし中華とか」
楓のごく自然な言い方は、まるで正秋のようだ。
「中華といえば、天野先輩の得意料理はあんかけ焼きそばなんですよね」
冬馬が急にゲスい声色に変え、面白そうに問いかけてくる。
「うん。焦げ焦げの麺に、ダマになった餡掛け、たっぷりのやつ。大得意です」
千夏は苦虫を噛み潰したような顔をして、やり返す。それを聞いて楓がウフフと笑い出す。笑い方まで品があって、鬱陶しい。
「天野先輩、今度それ、ご馳走してくださいよ。食べてみたいなあ」
ふざけんな。前にご馳走したのに、お前はそれを食べなかったじゃないか。千夏は額に青筋が立つのを感じつつ、水差しから冷水のおかわりをコップに注ぐ。ドポドポと音を立てて水が若干、溢れる。冬馬は反応を伺いながらニヤニヤし出し、それが千夏には憎たらしい。そこへ店員が料理を運んできて、三人の前に配膳していく。冬馬は焼肉定食、楓は日替わり焼き魚定食、千夏は鉄火丼だ。楓は定食のお盆に乗った蒸し椀の蓋を取り、千夏に見せてくる。
「あ、ほら。冷たい茶碗蒸し、ついてますよ」
千夏は楓がそれをスプーンですくうのをぼんやり見つめる。
「ああ。ここのは出汁がいいですね。椎茸の出汁がよく効いてる」楓は目を細めてゆっくり咀嚼する。「あと、お味噌汁も美味しいです。ちょっとここのお店、冷房きついし。私、寒がりなんで、あったかい汁物、嬉しいです」
「よかったですね」
千夏はやや突き放すように言う。一方で楓の一挙手一投足を見て、自分がどんどん置いてかれてるように錯覚する。そして決心した。やはり自分も料理教室へ通おう。冬馬は千夏の鉄火丼を見て、再びニヤニヤしだし、テーブルの上で肘をつく。
「天野先輩はダイエット、もうやめたんですか」
「うん、今は維持期なんだ。失恋で激痩せできたし」
千夏は鉄火丼のどんぶりを見下ろし、つくり笑いをする。この男のせいで随分悩んで、一時期は食事も喉を通らなかった。今は痩せすぎた分を取り戻している。千夏はマグロの刺身を一片、箸でつまみ上げる。気まぐれに顔を上げてみた。冬馬がバツの悪そうな顔をしている。
「えー、失恋。元彼さん、どんな人だったんですか」
「そりゃもう、不埒な殿方でしたよ」
冬馬の眉毛がぴくりと動くも、千夏は深刻そうな表情を崩さない。
「別れて正解ですね」
「ですね。馬に蹴られて死ねばいいんです」
直後、冬馬がお茶をブーッと吹き出す。
「私も今、彼氏募集中なんです」
「えー。大地さんモテそうなのに、意外ですねー」
冬馬の言い方は嘘くさくて笑える。千夏が見たところ、冬馬は楓そのものに興味がなさそうだ。楓もそれがわかっているらしく、愛想笑いを返す。
「このなかで今、恋人がいるのは、天野先輩だけかー」
冬馬は露骨な空笑いをするので、千夏がギロリと睨みつける。冬馬が怯む様子など毛頭ない。
「え。天野さん、そうだったんですか」
「そうそう。俺も詳しく知らないんですよー」
冬馬は白々しく言って口元に手をあて、含み笑いをしてくる。嫌な奴だ。千夏は鼻で思い切り息を吸い、そのまんま鼻で勢いよく吐く。
「すごくいい人です」
「いくつくらい? お仕事は」
楓は意外にも積極的に聞いてくる。千夏はおやと思いつつ、少し得意になって微笑する。
「同い年です。仕事内容は…よく知らなくて」
千夏はわざと知らないふりをする。冬馬は訳知り顔でニヤニヤを強めるが、千夏の怖い顔に少し、上体をのけぞる。
「付き合ってどれくらいなんです」
「まだ付き合い出したばかりで」
「どっちから告白したんです」
「はあ、向こうから」
「どこで出会ったんです」
「合コンです」
矢継ぎ早に質問してくる楓に、千夏はいい加減に答える。すると冬馬がぷーっと吹き出す。
「どうしたんですか、杉崎さん」
楓は冬馬の方に向き直る。
「え? いや。うん。合コンなんだっけって思って」
冬馬は頭を掻きながら、千夏の方をニヤニヤ見てくる。
「合コンです」
千夏は噛みつくように言い返す。
「そうなんですね。私は合コンは苦手で」
楓が訳を聞いてほしそうにするので、千夏はしょうがなく肘をつく。
「どうして?」
「ガッついてるって思われるの、苦手で」
すでにガッついてるお前が言える立場か。そう言いたいのをこらえ、千夏は咳払いする。
「ねえ大地さん。杉崎君とか、優良物件ですよ。この通り、イケメンですから、どう」
イケメンと言われるのが嫌なのを知ってて、千夏はあえて言い放ち、鼻を慣らす。
「えー。私にはもったいないですよ。お若いし」
「ははは。俺みたいなポンコツには畏れ多いですよ」
冬馬はそう言って千夏を憎たらしそうに見てくる。千夏はそれを無視してやった。
「杉崎さんはどんな女性と付き合いたいんですか」
「俺ですか? 俺は復縁したくて」
「えー?」
それは元妻のヒナコか。それとも元カノの自分か。どっちにしろどうでもいい。千夏は酢飯をたっぷり箸で掴み、口へと運ぶ。
「だったら、杉崎さんは元カノさんと復縁するため、頑張らないとですね」
上手い逃げ方だ。楓もとことん、冬馬に興味がないらしい。
「ええ、そうします。つーか、俺」
冬馬は千夏の瞳を覗き込む。千夏はしょうがなしに見つめ返す。
「不器用な人がいいんです。ほっとけなくて好きなんですよね」
「へえ。杉崎さんの復縁したい相手って。もしかして私の知ってる人だったりします?」
楓のさらりとした探り方に、千夏はフリーズする。
「もしそうだったら、大地さんも協力してくれます?」
冬馬は千夏から目を離さず、口元にだけわずかな笑みを浮かべる。
ああ。そうなのか。千夏は諦めたように悟った。
冬馬はいつの間にかヒナコではなく、千夏自身への未練が断ち切れなくなってしまったのだ。失ってからその大切さに気づく、愚か者にありがちなタイプか。今の状況を正秋が見たら、今度こそ冬馬をぶん殴るだろう。同時に、正秋の方が千倍は大人でかっこいいと、千夏は改めて見直す。それから壁の時計を指さす。
「ほら。食べちゃいましょ。休憩時間、あと十五分です」
千夏は二人を急かし、自分は鉄火丼を食べ進めた。




