鳥取砂丘
前作「可愛い一途が最後に勝つ」はこちら↓
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七月下旬、太陽が燦々と輝く、よく晴れた猛暑日だった。大日本空輸二九一便は定刻通り羽田空港を離陸し、鳥取砂丘コナン空港に着陸した。
「あっという間に鳥取県だね」
千夏は到着ロビーに着くと両腕を伸ばし、深呼吸をする。隣の正秋をちらりと見ると、その笑顔は穏やかで明るい。正秋は千夏の旅行バッグを左肩に抱え、自分のスーツケースの取手を左手で掴んでから、右手で千夏の左手を繋ぐ。
「ちゃんと俺についてきて」
「えー。なんか私が連れてきてもらったみたいじゃん」
「地図、読むのが下手くそな千夏より、ビーグル犬な俺のほうが方向感覚もあるし、頼りになるよ」
正秋は壁のフロアガイドを指さす。自ら犬呼ばわりする正秋が面白い。タクシープールめがけて、千夏は正秋と手繋ぎしながら歩いていく。
「こういうとき、車があればもっと楽しいんだけどね」
千夏はペーパードライバーだ。自動車運転免許はあっても、最後に乗ったのは十年前である。
「俺は免許すら持ってない」
「取らないの?」
「乗る機会がないし」
正秋は快活に笑い、先頭に停車するタクシーへ千夏を先に乗せた。
二人はタクシーに乗りこみ、鳥取市街地にある投宿先へ到着した。そこで大荷物だけフロントに預け、自販機で水を買い、自転車を借りて鳥取砂丘を目指した。
自転車で現地まで行くと言ったのは千夏なのに、正秋は千夏以上に張り切り、アスファルトの上り坂を速いスピードで漕いでいった。普段から自転車が趣味だという正秋らしく、脚力は千夏よりあるようだった。千夏はそのスピードについていくのは楽ではなかったが、日頃からスポーツジム「オシアス」に通い、エアロバイクで散々鍛えたおかげもあり、体力だけはあった。砂丘に着く前にバテることはないだろうと、余裕の笑みを浮かべてみた。
緑に囲まれた道を駆け抜け、いよいよ砂丘入り口に辿り着いた。自転車を降りたとき、千夏の体感温度ではとっくに四十度を超えていた。
「暑いね」
黒のベースボールキャップを被った正秋が爽やかに笑い、千夏の手を引く。二人の手は汗でベトベトだ。千夏は手を繋いだまま、あたりを見回す。階段の両サイドは砂地で、丈の短い草がわずかに生えている。松もたくさん植えられていて、これが世界に誇る防砂林かと感心する。そして、この階段をのぼった先がいよいよ砂丘なのだろう。千夏はいやでもワクワクしてきた。
「この暑さがいいんじゃん」
千夏は正秋に言い返しながら、破天荒に笑う。
「俺には理解不能だよ」
正秋がそう言って笑うと、二人はちょうど階段を上りおえる。目の前に広がる砂地を前に、千夏は思わず息を大きく吸い込んだ。
圧巻だ。青空の下にはその名の通り、サンドベージュ色の砂地が視界いっぱいに裾を広げ、悠然と横たえている。ちょっとした山のような、大きな丘も見える。早くあの丘を上ってみたくて、千夏は早速、砂地に足を踏み入れる。
「砂、すごい熱いね」
正秋がギョッとして、砂に飲まれたスニーカーを引き抜く。
「でしょー。素足でサンダルなんかじゃ絶対、来ちゃいけない場所だよ」
千夏は不敵に笑い、ザクザクと音を立てながら丘を目指す。ふと、後ろを振り返る。正秋は早くも汗だくで、ペットボトルの水を飲んでいる。
「自転車でペース、あげすぎだよ」
「うん。反省」
正秋は素直に認め、フーッと息をつく。
「ほら。正秋が言ってたやつ。あれに乗って休憩する?」
千夏はすぐそばのラクダ乗り場を指さす。三頭のラクダが、こちらをじっと見つめ返してくる。正秋はそういえばそうだった、という顔をして手を叩き、頷く。
「乗ろう」
オレンジの毛並みが生えそろう、立派な体格のフタコブラクダに二人は股がった。ガイドに付き従われながら、ラクダは砂丘をゆっくり歩き出した。
「優雅でいいね」
千夏の後ろに乗る正秋が、楽しそうに声をかける。
「うん。楽しい」
ふわっと吹いた風を顔に受け、千夏は目をつむる。
「千夏はアラビアのお姫様みたいだよ」
ふいに首筋にキスされ、千夏はぞくっとする。
「ちょっと、危ないでしょ」
「ごめん」
正秋は愛おしげにくすくす笑った。さらに、何やら歌を歌い出した。意外にも正秋はなかなか音感があるらしく、歌うのが上手だ。
「それ、何ていう歌?」
「ユーミンの、『砂の惑星』」
「すごい。上手すぎる」
選曲のセンスと、ユーミンこと松任谷由美の声色を真似して歌う正秋に笑いすぎ、千夏はラクダからおっこちそうになった。
ラクダで周遊した後、二人は再び砂地を歩いた。
大きな砂丘を上ろうとするも、砂に足を取られ、千夏は思うようなスピードで上れない。さらに、真夏の太陽が頭上からじりじりと照りつける。まさに生き地獄だ。それでも千夏の気持ちはこれ以上ないほどに充実している。今にも閻魔大王が出てきて、有罪判決を下された者が蟻地獄へ吸い込まれてしまうシーンを妄想し、密やかに笑う。自分は絶対に有罪にならない、この不毛な土地と戦うために来たのだと、意味不明な闘志を燃やしてみる。
「千夏。顔、真っ赤だよ」
隣に並ぶ正秋が声をかけてくる。当然だ。千夏はこの熾烈な暑さで顔を真っ赤にはらし、目をむいて歯を食いしばり、汗たらみずの状態で闊歩している。一周回って、耐えるのが楽しいのだ。そういう精神状態だ。正秋はそれがおかしいらしく、ペットボトルの水を差し出す。千夏がそれを無言で飲む間も、くすくす笑いをやめない。キリのいいところで千夏の手をしっかりと繋ぎ、正秋は半歩ほど先んじて頂上を目指した。
十五分ほどかけて、二人は丘の頂上へたどり着いた。
「暑いね」
正秋はTシャツの裾をまくり上げ、バサバサと仰ぐ。お腹が見え、千夏はわざと意地悪く笑う。
「ちょっと、なんなのそれ。ポヨンとしたお腹」
そう言って笑い、スマートフォンを取り出し、写真を撮り始める。正秋はヒョロリとして痩せているのに、下っ腹だけは緊張感なくたるんでいる。
「ちょっと、やめて」
正秋は女の子のように恥じらい、千夏からスマートフォンを奪い取ろうとする。千夏はそれをかわし、何枚も正秋を撮り続ける。
「腹筋なら私のほうがありそう」
千夏は自慢のウエストに手を当て、胸を張る。ダイエットを始めて以来、ずっとオシアスで鍛えているから当然だ。正秋は悔しそうに口を尖らせ、千夏は高笑いし続ける。
「それより。見てよ」
見下ろせば絶景だ。穏やかな水平線を前に千夏は息を飲む。日本海は緑がかった青色をして、ザーンザーンと音を立てながら白波を形づくる。
「絶景だよね」
「うん」
「私、絶景に目がないの。死ぬまでにあと何回、見られるのかな」
「千夏」
振り返ると、今度は正秋がスマートフォンを向ける。千夏が微笑むと、何度かシャッターを切ってくる。正秋はさらに自撮り棒を取り出し、日本海を背にして二人で写真を撮る。
「正秋、昨日の今日でホント、準備がいいね」
「うん。俺、子どもの時から遠足の準備とか、大好きだったんだ」
まるでこんなに誇らしいことはないと言わんばかりに、正秋は自信満々に頷く。
「何それ。笑える」
千夏が声を立てて笑っているのを愛おしげに見つめる。それから稜線沿いに砂丘を少し歩き、千夏の手を引いて丘を降りていく。海岸側の比較的平らな砂地に降り立つと、今度は自撮り棒の先端を砂地に突き刺し、何やら絵を描いていく。
「今度は何が始まったわけ」
「ナスカの地上絵ならぬ、鳥取の地上絵」
正秋は両手で棒を縦横無尽に動かし、砂をえぐる。大きすぎてよく分からず、千夏は丘を少し上って、斜め上から見下ろしてみる。
「なんの絵?」
千夏は大声で呼びかける。
「千夏と俺」
正秋も大声で答える。
似顔絵か。片方はロングヘアの女の子で、もう片方は垂れ耳の犬のようだ。千夏が正秋をビーグル犬呼ばわりしたから、それを描いたのだろう。千夏は、いつか冬馬に描いてもらった似顔絵を思い出す。紙にペンで描くのと違い、繊細な表現はできないし、何より思いきり下手くそだ。なのに、すごくいい絵に見えてしまう。千夏はそれをスマートフォンで撮影する。一緒に映っている正秋のはしゃいだ顔も最高だ。
「ねえ」
千夏は大声で呼びかけ、手を振る。
「何ー」
正秋も大声で答え、手を振りかえす。
「なんちゃってディレクター目線で言うとー」
「うん」
「この絵はー合格でーす」
千夏が笑いながら両手で大きな丸をつくる。
「戻ってきてよ」
正秋は少年のように屈託なく笑い、両手を大きく振る。汗がキラキラと輝き、千夏には何だかそれがとても尊く見えた。千夏は丘を下り、正秋のもとへ駆けつける。正秋は人目も気にせず、千夏をギュッと抱きしめてくる。二人とも汗だくなのに、それがとても心地いい。
灼熱の炎天下で、ふと風が吹き抜ける。その風が千夏と正秋の顔を撫で、わずかな間、二人に涼を取らせる。二人は絵のそばに立ち、見つめ合う。
周囲の人間が少し減ってきた。二人は汗を噴き出し続けたまま抱き合う。
「俺。これからもしぶとく生きて生きて、ずっと千夏に恋するって、決めたんだ」
正秋はそう言って目を閉じる。千夏は照れ隠しもあって、正秋を抱き返す。正秋はいつだって純真で、いつだって自分が欲しい言葉をくれる。それが嬉しいし、愛おしい。可愛くてたまらない。だから失いたくない。
「じゃあずっとそばにいてくれる?」
「うん。ずっとそばにいるよ」
「絶景、見に行ってくれる?」
「もちろん、もっと沢山見に行こう」
「記念日には花束、贈ってくれる?」
「必ず贈るよ」
ずっとこの時間が続けばいい。何があっても二人一緒に生きていきたい。千夏は心から願い、正秋にキスした。




