他の人に触らせないで
パーティーはお開きになった。千夏は廊下をずんずん歩き、女子トイレのドアを開ける。フラフラしながら用を足して手を洗い、鏡の前の自分を見た。正秋と負けず劣らず、自分の顔も真っ赤だ。こうやってアルコールを飲むと顔には出るが、自分は意外と飲める方だ。とにかく頑張ったぞ、自分。まさに企業戦士だ。千夏は自身を励まし、まるで凱旋門でもくぐるかのように堂々とトイレのドアを開けた。すると、目の前に正秋が千夏のバッグを抱えて立っていた。
「千夏。今日、もう帰ろ」
正秋は具合悪そうに壁にもたれながら、千夏の顔をじっと見つめてくる。
「帰る相手が、違うんじゃない」
千夏は勢いよく巻き髪を振り払い、ツンとそっぽを向く。
「何、どうしたの」
「麗しの大地さんに介抱されちゃって。よかったね」
「えー? 何の話だよ」
正秋は困惑し、千夏の背をさする。
「白々しい」
千夏は正秋からバッグをひったくって外へ出た。ああ、頭にくる。正秋もバタバタとついてくる。
「ちょっと、待ってよ」
「私達、一緒にいると噂されますよ、係長」
「別にいいよ」
正秋はどうでもよさそうに言って千夏の手首を捕まえた。それから手を挙げ、タクシーを呼び止める。千夏は正秋に背中を押され、後部座席に乗り込んだ。
「千夏。嫉妬してるの」
「してません」
「じゃあなんで怒ってんの」
「怒ってません」
「なんで俺の方見てくれないの」
「今日は星が綺麗だから」
話は平行線だ。嫉妬してるかと聞かれ、ハイそうですと答える女がどこにいる。
「俺が好きなのは千夏だけだよ?」
「そうですか」
「他の女なんて興味ない」
「そうですか」
「大地さんと何もないよ」
「どうだか」
正秋はずっと穏やかな態度なのに、千夏はきつい声しか出せない。正秋は何か言いたそうに千夏の肩を掴むも、フーッとため息をつくだけだ。
千夏はイライラ、イライラする。先ほどの楓の正秋に対するアプローチは我慢ならない。入ってきたばかりの女が何様のつもりだ。正秋も正秋だ。長々と喋って、そんなに楽しかったのか。私という女がいながら。しかもただの女じゃない。超特級のスーパービューティーミラクル美女だ。だけど本当は怒りたくない。素直になれない。千夏は窓の方を見続ける。都内の夜景が、きらきらと瞬いている。
「ねえ」
正秋が千夏のあごをもち、グッと自分の方に向き直させる。千夏は内心驚くが、平静を装う。
「何」
「千夏はそうでなくても、俺は嫉妬してるよ」
「なんで?」
「自分だって、他の男にナンパされてんじゃんかよ」
正秋の顔は真剣そのものだ。千夏が酔いながらぼんやり思い返していると、正秋は肩に腕を回し、抱きしめてくる。アルコールの匂いに混じって甘い匂いが鼻をかすめ、千夏は目を閉じた。なんだかホッとする。正秋の匂いが、たまらなく好きだ。
「ナンパなんかされてないもん」
「カッコいいおっさんに手、握られてただろ。耳元でこそこそ内緒話、してたし。俺以外に触らせんな」
いつになくムキになる正秋の顔を、千夏は思いがけず可愛いと思った。カッコいいというのは先ほどのイケオジのことか。千夏はフーッと息を吐く。
「肝心の俺にも、触ってもらえてない、可哀想な女ですけど?」
そう言い返して自嘲的に笑い、パンプスを脱ぐと、つま先で正秋の太ももあたりを弄ってみる。何だかいい気味だ。正秋は千夏のむき出しになった脚をじっと見ている。
「千夏。そのこと、怒ってるの?」
「別に」
困惑した顔をこちらに向ける正秋を見て、千夏は言葉を飲み込む。怒ってるんじゃない。ヤキモキしているだけだ。大好きな彼氏にこれだけ焦らされて、ムラムラするなという方がおかしい。大切にするってなんだ。大切だから抱くもんだろ。しかも他の女がマーキングするのを、指を咥えて見てろというのか。どんな罰ゲームだよ。
「大地さんに散々触られるのは良くて、私に触られるのはダメなの?」
千夏は言いながら虚しく、悲しくなってくる。もう三十三なのに、やることやんない方がおかしい。女子高生ならまだしも、焦らされて何が楽しい。千夏は執拗に、正秋の太ももをつま先で弄る。つま先は股間に到達する。だんだんそこが隆起してきた。
「正秋の、バカ」
「千夏」
「バカバカ」
「悪かったよ。ごめん」
「バカバカ、大バカ野郎」
千夏は目に涙を滲ませる。正秋はシートベルトを外して千夏の足をグッと引き寄せ、がっちり背中を抱き寄せると、激しくディープキスしてくる。ルームミラー越しに運転手がこちらを見てきたが、千夏は構わずそのキスを受け入れる。
タクシーが千夏のアパートの前に到着した。二人はタクシーを降り、慌ただしく階段を上り、玄関をあけた。玄関ドアを閉めると、キスしたままベッドに倒れ込んだ。正秋はパッと口を離し、千夏を見下ろす。
「ああ、もう。可愛すぎ」
正秋は余裕のない顔で千夏を見つめた後、再びキスしてくる。千夏はドキドキしっぱなしだ。ずっと。ずっと、この時を待っていたのだ。正秋の隆々たるトックリヤシは怖いが、それ以上に愛し合いたい。正秋は千夏を抱き起こし、ワンピースのファスナー部分に手をかける。
「俺に脱がさせて」
正秋は千夏の首に吐息をかけながら言う。その言い方はこれ以上ないほど色気たっぷりだ。千夏はそれに興奮して心臓が早鐘を打つ。そう、今日はあれを着てきたのだ。散々迷った挙句にポチった、勝負下着を──。
見てもらえる期待に胸を膨らませ、必死で気持を落ち着ける。正秋が千夏のスリップをまくり上げた、そのときだった。正秋は急にうつむき、ウッと呻いた。
「え?」
千夏が問いかけた拍子に、正秋は胃の内容物を盛大にぶちまけた。