レセプションパーティー①
翌日の金曜日の晩のことだった。表参道駅そばのインテリア雑貨ショップで、パーティーが開かれた。ヒロイン・デザインのクライアントである前田設計が主催し、設計を手がけた店舗のレセプションパーティーだった。そこへ、招待された正秋が、千夏や会社のメンバーを引き連れ、現地へ出向いた。
「お待ちしておりました」
前田設計の広報部部長、浜口が入口で正秋に挨拶する。浜口は四十代くらいの中肉中背の男性で、体型に合ったスーツを着こなし、首に黄色いストラップのネームプレートを提げている。千夏が軽く見回すと、前田設計の社員は皆このネームプレートをつけているらしい。正秋を先頭にした一向は浜口へ頭を下げ、他の社員に中へと案内される。
「営業とディレクターだけでいいのに。私なんかが来てもよかったんですか」
千夏はそう長谷川に耳打ちしながら、周りをキョロキョロと見回す。美しくデザインされた空間には一点モノと思われる照明やインテリアがバランスよく配置され、そこへ前田設計の取引先らしい客達がグラスを片手に談笑している。
「いいんだよ。パーティーには綺麗どころがいた方がいいから」
綺麗どころ、だと。長谷川はなかなか気の利いたことを言う。千夏はおもむろに今日、着てきた服を見る。カジュアルなパーティーだからと言われたものの、浅葱色のシルクの、ノースリーブのワンピースを着てきたのだ。ダイエットする前はこんなふうに言ってくれなかったから、自分が頑張ったおかげもあるのかと千夏は自惚れ、ニヤニヤして返す。
が、隣にいる楓もまた優雅に微笑んでいる。またもや、胸を強調したVネックの、シックなカットソーを着ていて、それがめっぽうグラマーで腹立たしい。こっちもまた、系統の違う綺麗どころというわけか。千夏は対抗意識を燃やし、わざとお腹に力を入れ、ウエストがより細く見えるよう気張ってみる。
「ほら、今日はうちらが招待客なんだし。何か食べに行こうよ」
長谷川が長テーブルの方を指さす。そこには卵のサンドイッチや串に刺さった小さなフライ類、夏野菜を盛り付けたブルスケッタ、サーモンといくらのカナッペなど、まるで宝石のように美しいフィンガーフードがびっしり並んでいる。千夏と楓、長谷川が料理を食べているところへ、一人の男性が声をかけてくる。
「おい、長谷川、久しぶりだな」
「斎藤か? お前、なんでここに」
二人はどうやら知り合いらしい。長谷川が楽しそうに喋り始め、楓はさりげなくその場を離れた。千夏もその場をそっと離れ、一人で会場見学をする。
ダイヤモンドのように輝く照明の下、名刺交換があちこちで行われている。千夏はそれを見て、それぞれの会話を盗み聞きする。それによると招待客のメインはデベロッパーや不動産会社らしい。こういうビルを建てたいとか、こないだのナントカ大学の講堂は良かったですねとか、建築関係の話が飛び交う。普段からこういう社交場に慣れていない千夏は、初対面の人間と話すのは苦手だ。営業とか広報とか、その手の職業の人間はすごいなと、千夏は改めて感心する。
少し離れたところで、楓が他社の男性に絡まれているのが見えた。千夏は少しだけ近づいてみる。「綺麗だね」とか「どこの会社?」とか、会話が断片的に聞こえてくる。楓はあの見た目だ。要はナンパされているわけだが、どうも本人の顔つきを見ていると余裕があるし、場慣れしている感じがある。きっと一人でどうにかするだろう。
千夏が白けた様子で成り行きを見ていると、正秋が間に入ってきた。そして何か言って男性達を追っ払った。楓は感激した様子で目を潤ませ、正秋に何か言っている。正秋はまんざらでもなさそうに照れ笑いし始める。
急にムカムカしてきて、千夏は長テーブルの方へツカツカと歩き出す。ずらりと並ぶフィンガーフードの塊のそばに、各種アルコール類のボトルとソフトドリンク、アイスバケット、グラス類が並んでいる。残念ながらグアバシロップはないものの、巨峰シロップは見つけた。千夏はグラスに氷を入れ、ウォッカとシロップを注いでから、最後に炭酸水をゆっくりゆっくり注ぐ。巨峰サワーの完成だ。本当はもっとオシャレなカクテルを飲んで気取っていたいが、今はムカッ腹が立っているし、これでいい。一人でグビグビ飲んでいるところへ、中年男性が声をかけてきた。
「お姉さん、それ、何飲んでるの」
ものすごくいい男だ。だが、やたら早口でもある。千夏はその男をそれとなく観察する。四十代半ばくらいだろうか、背がかなり高く艶のある黒髪はサラサラで、小さな顔は少し彫りが深く、目は大きくて精気に満ち、とても力強い。オーダーしたらしい体にぴったりのスーツを着ていて、そこからのぞく手指は長く、関節だけがゴツゴツしている。
かなりのイケメンだ。というか、千夏のどタイプだ。そのせっかちそうな喋り方さえなけば完璧なのに。イケてるオジさま、「イケオジ」と呼ばれるたぐいの生き物だ。
だが、そのイケオジの目つきからなんとなく意地悪い印象が漂う。記名されていないが黄色いストラップのネームプレートをつけているので、前田設計の社員らしい。仕事はできるが部下には冷たい、でも外面はいいタイプだなと、千夏は勝手に推し量る。
「えーと…、巨峰サワー…です」
居酒屋っぽいその響きが、自分で言ってて少し恥ずかしくなる。イケオジは少し小馬鹿にしたように笑い、リキュールやジュースを入れ、何かを作り始める。喋り方と同じく、こちらも恐ろしく手際がよく素早いので、千夏は声を立てて笑う。
「はいどうぞ」
そう言ってイケオジが千夏へカクテルグラスを手渡す。カクテルに詳しくない千夏は首を傾げる。
「なんですか、これ」
「チャイナブルー。ほら、お姉さんの服と同じ色の。綺麗でしょ。クロアチアのプリトヴィツェ湖群を知ってる? あそこの水色もこんな色だ」
男性にこうやってお酒を作ってもらうのは初めてだ。服の色と同じだと? こうやって数多の女たちが、このイケオジのロマンティックな口説き文句に堕ちたに違いない。いや、早口すぎるしうんちくが鬱陶しいから意外とモテないかもしれないと、千夏はほくそ笑む。イケオジはその笑いを勘違いしたのか、満足そうに笑う。
「で? その服、どこで買ったの? ウニクロ?」
耳を疑った。千夏は目の玉をひんむいたまま、元の澄ました顔に戻せない。
「違います」
すぐに否定するも、笑顔をつくれそうにない。
「あれ、違うのか。ディーユー?」
「誓います」
「分かった、ファッションセンターいまむら、だ」
「違います」
「でもそれ、ポリエステルでしょ?」
「シルクです」
低音でケタケタと笑うイケオジは意地が悪い。ああ、嫌だ。こういう、仕事の付き合いで来たのに嫌な絡み方をするジジイの多いこと、多いこと。千夏は彼を無視して自分の服を一瞥した後、チャイナブルーを一口飲む。が、これが意外にも甘く爽やかで美味しい。千夏はイケオジが手に取ったリキュールのラベルを見る。なるほど、ライチリキュールが入っているのかと頷く。そのとき、会場の奥の方が一段と賑やかになった。