その気にさせろ①
翌日の夜、千夏は仕事上がりにオアシスへ直行した。アブダクターやグルー、レッグプレスと呼ばれるトレーニングマシンをそれぞれ使い、お尻や太もも周辺の筋肉を鍛えた。勝負にならない胸はともかく、尻だけでもなんとか良い形にしたい、楓よりも美尻になりたいと願いながら、汗だくになって励んだ。そこへ、レッスンスタジオでボクササイズをやってきたらしい美穂と落ち合った。二人は入浴した後、オシアスを出た。地元の駅で沙耶香、春菜とも合流し、行きつけの沖縄料理屋「ニライカナイ」へ集合し、女子会を開いていた。
一番奥の席を陣取った千夏はラクダの形のせんべいをそれぞれに手渡した。美穂、沙耶香、春菜の三人はそれを嬉しそうに受け取った。三人はそれぞれ自己紹介し合った。明るくて大らかで、乙女の心を持つ美穂と、根暗で卑屈だが相手を否定することはしない自称「恋愛体質」の沙耶香、ビシバシ物言いをする美人だが自分に自信のない春菜は、世代も性質も違う。さながら異星人同士の三者会談だった。だが、千夏という人間を介して、ものの数分でわかり合ったようだった。
「じゃあまずは、乾杯かな」
沙耶香が音頭を取り、黒糖焼酎の水割りが入ったグラスを勢いよく、高く掲げる。勢いが良すぎて溢れた分を、千夏が顔をしかめて拭き取る。
「そうだね。千夏ちゃんと安田係長、おめでとー」
美穂もハイボールのグラスを掲げると、他の三人は自分のグラスをぶつけ合う。
「じゃあ、全ー部、話して」
美穂がテーブルに両肘をついて千夏に向き直り、ニヤニヤし出した。
千夏は三人に見つめられながら、かいつまんで一部始終を話した。冬馬と別れて正秋と付き合いだしたこと。その翌日からいきなり山陰旅行に行ったこと。正秋の実家へ行って紹介されたこと。だけど、中途入社したディレクターの楓が、まんま正秋のタイプで心配なこと。三人の女達は沖縄料理を囲んで酒を飲み、ときどき、キャーキャー言っては耳を傾けた。
「トーマ君よりマサーキ君か。あの恋文、最高すぎよね」
「なになに。恋文って」
春菜が首を伸ばし、興味津々の顔をすると、沙耶香が一部始終をきかせる。美穂も小さな体を乗り出し、そのはずみでハイボールのグラスを倒した。千夏が赤面しつつタオルを美穂に差し出し、新しいハイボールを店員に頼んだ。美穂は奇声を上げ、春菜はティッシュで涙を拭った。それくらい、「男の恋文選手権」で優勝した正秋の恋文は、衝撃だったようだ。
「それ。もしかして愛なんじゃないの」
「美穂さん、もしかしなくても愛なんですよ。私に『嫁に行かなきゃ』て言い残していなくなるし」
沙耶香が当時を思い出して、鬱陶しそうに頷く。千夏は貝のように口を閉ざし、グアバサワーをちびちび啜る。あの日のことを思い出すだけで、顔から火が出そうだ。
「それにさ。マサーキ君のが現実的でいいよ」
「何よ、現実的って」
千夏は沙耶香の方を見て口をすぼめる。
「前に写真見せてもらったけど、トーマ君の方。王子様すぎて無理でしょ。マサーキ君の方がホッとする感じ」
沙耶香は千夏のスマートフォンを指差す。千夏はちょっとだけドヤ顔をして、グアバサワーのグラスをぐいっと傾ける。今の待受画面は正秋と自分のツーショット画像だ。そこで春菜は顔から笑みを少し消し、咳払いする。
「いや、沙耶香さん。言っときますけど、私こないだまで、そのマサーキ君こと安田係長に片思いしてたんで。ああ、でも大丈夫ですよ、私、ちゃんと振られましたから、俺は千夏が好きって」
春菜が断ると、沙耶香と美穂はそうだったのかと頷く。
「でね、彼も別種の王子様なんですよ。とびっきりの。ね、千夏さん」
春菜は正秋を全面擁護する構えだ。
「ああ、まあ…」
恥ずかしすぎて、千夏はグアバサワーをグイグイ飲み始める。急に味が良くなった。
「それは私も思う。さやちゃん、知らないだろうけどね、安田係長もね、男前なんだよ」
店員から新しいハイボールを受け取り、美穂が訳知り顔で言うと、沙耶香は腕を組んで身を乗り出す。
「そうなんですか?」
「うん。ねっ、ちなっちゃん」
「はい」
千夏は、前日まで一緒にいた正秋のことを思い出す。正秋は男前だ。メガネをつけると少年で、外すと大人の男になる。それ以外でも謎のスイッチ切り替わりのタイミングがあり、その操縦は不可能だ。
「それに、係長って会社の売上頭なんですって。将来、安泰じゃなーい」
美穂は色っぽい目つきでまつ毛をしばたく。
「えっ、そうなの。年収いくら!?」
カネの話になると、沙耶香は目の色を変えて飛びついてくる。千夏はそれに白けるが、露骨すぎておかしく、脱力したまま笑う。
「いくらかなんて知らないよ」
「ねー、じゃあバッグくらい買ってもらえば。あんたのバッグ、ボロボロじゃん」
沙耶香は千夏の脇に置いてある、擦り切れたトートバッグを指さす。大容量で色々突っ込んでおければ何でもよく、ファッションセンターいまむらで適当に買ったものだ。それでも使えるから重宝していたが、言われてみると確かに随分ボロくなってきた。はたから見たらみすぼらしいかもしれない。
「そんなボロダサ、運気落ちるよ」
「悪かったね」
千夏は沙耶香を睨みつける。
「買ってもらうの賛成です。噂ですけど六月のボーナス、結構出たっぽいですよ、係長。結構、課長に頼まれ仕事やってることが増えてるし。課長なんかすぐ追い抜かれそう」
「課長なんか」とはよく言ったものだ。仮にも春菜は課長の林と不倫関係だったというのに。その春菜は沙耶香に便乗し、泡盛をグイグイ飲む。
「だったら尚更だよ。千夏が可愛くエルメスのバーキンが欲しいの、って言えば済む話じゃん」
「そういう品のないのは嫌われるから、しない」
千夏は沙耶香に向かって首を横にふる。が、そうやって自分の欲求に対して素直で、男に甘えられる女のことは素直に羨ましい。
千夏はグラスが空になっているのに気づき、グアバサワーをおかわりした。