後に名の売れる冒険者の旅立ち
以前書きました『ルーガー卿の気の遠くなる魔王退治』と世界観を共有しています。
ニース村は古くから炭鉱街として有名だ。
この村で手に入る鉱石は非常に良質であり、王都の騎士達の振るう武器の刃にも使われているらしい。
「それじゃ、俺らの掘った鉱石が巡り巡って悪を討ち滅ぼすこともあるってことですか?」
新米のサフが先輩の炭鉱夫に問うと彼は笑った。
「かもな。だが、仮にそうなるとしても俺らにゃ何の関係もねえ」
「そうそう。騎士様はわざわざ誰が鉱石を掘ったかなんて気にはしねえよ」
先輩たちの言葉にサフは乾いた笑いを返した。
少しでも期待した自分に腹を立てながら。
彼はこの炭鉱街で生まれ育った。
そして十三歳となった今、こうして生まれて初めて大人達の仕事場に同行したのだが……仕事の厳しさは勿論のこと恐ろしいほどに退屈だった。
この状況を予想していなかったわけではない。
むしろ諦めに近い気持ちで覚悟はしていた。
それは街に住む男達の身体つきを見ればよく分かる。
町に来る旅人たちとは比べ物にならないほど逞しい筋肉。
彼らの分厚い体を作るのは他ならぬ単純かつ過酷な鉱山仕事だと理解していた。
この村で生まれ育った男達の将来はいつだって同じなのだ。
つまり、誇らしいほどに屈強で絶望するほどに退屈な仕事を続ける炭鉱夫。
不幸なことにサフは旅人に憧れていた。
旅人が無責任に語った物語に熱を出し、生まれ育った町以外の世界を心ゆくまで旅してみたかった。
しかし、そんな事を口にすればきっと笑われる。
そう思ってサフはずっとその事を内緒にしていた。
きっと、大人になるにつれて、この想いも消えていくのだろうとどこかで思いながら。
だからこそ仕事が終わった後、飲めもしないのに連れられてきた酒場で親方が言った言葉に驚いた。
「聞いたぜ。お前、外の世界に行ってみたいんだってな」
「なんでそれを?」
どこか後ろめたい気分になりながら顔を赤くして問い返すと親方が笑った。
「お前の母ちゃんが話していたのさ。サフはずっと外に行きたいって言っているって」
先輩達が笑い出し酒場が賑やかになる。
馬鹿にされた。
そう直感したサフは顔を俯けると親方の硬くて大きな手がサフの肩を叩いた。
「安心しろよ。馬鹿にしているわけじゃねえ」
「そうそう。夢を持つ事は悪い事じゃねえよ」
「あぁ。まぁ無理矢理、夢を捨てるってんなら俺らも馬鹿にしただろうがな……って、痛っ!?」
最後の言葉を言った炭鉱夫が酒場の女主人に思い切り空瓶で殴られた。
「繊細な子供の前で何言ってんだい! この子はアンタみたいに夢を諦めちゃいないよ!」
「なっ……! 俺だって別に夢を諦めちゃいねえよ!」
「なら、とっとと嫁さん作って私みたいなおばさんのことは忘れちまいな!」
そう言って見せつけるように出された女主人の薬指を見て炭鉱夫は何も言えなくなり、周りの人間達が大笑いをする。
彼が初恋を拗らせていることはサフでさえも知っていた。
「やかましい! 今は俺が喋ってるだろうが!」
笑みを浮かべながら怒鳴った親方は改めてサフの方を向いて言った。
「馬鹿のせいで話が逸れたな。サフ。お前、本当に外へ行って見てえのか?」
「うん」
馬鹿にされているわけではないと分かったためか、サフは自分でも驚くほどはっきりと頷くことが出来た。
その様子に親方はにっこりと微笑む。
「そうかい。なら、実は俺に伝手があるんだ。もし良ければ紹介してやろうか?」
「伝手?」
サフの言葉に親方は酒を一度飲んで頷いた。
「あぁ。おそらくはそろそろこの街へやって来るはずだ。その時になったらまた声をかけてやる。だがな、一つ約束しろ」
「約束?」
「あぁ」
親方は酒を一気飲みして顔を真っ赤にして言った。
「必ず一度は戻ってこい!」
その言葉に酒場の炭鉱夫たちは次々に「そうだ! そうだ!」と声を挙げる。
声がだんだんとリズムに代わり、彼らは即興で歌を作り出して歌い始めた。
酒場の盛り上がりが最高潮となり客達は次々に気前よく酒を注文しだす。
「あぁ、もう! うるさいったらありゃしない!」
女主人がそう言いながら忙しなく動き出す様を見つめながら、サフは自分の心がこれ以上ないほどに高鳴っているのを感じていた。
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数日後。
週に一度の休みを利用して親方が酒を飲んでいると一人の旅人が現れた。
「よぅ。今年も来たか。暇人が」
親方の言葉に旅人は穏やかな表情で答えた。
「マテウス。君の言動は年々父親そっくりになっていくね」
「これがこの村の歴史よ。あんたなら良く分かっているだろう?」
「あぁ、勿論だ」
そう答えながら褐色のローブを着ていた旅人は椅子に座り込む。
彼はいつもこの頃になると炭鉱街に訪れては月日と共に顔ぶれが変わっていく人々の顔を眺めていくのだ。
「あのはなたれ小僧がもう立派な親方か。時が経つのは早いものだ」
「立派かどうかは分からんがね。それでもまぁ、あんたの知る先祖達の名に泥を塗らないよう生きているさ」
旅人は小さく微笑む。
その表情の奥底に微かな寂しさが混じっているのをマテウスは知っていた。
目の前に居る旅人はマテウスが子供の頃からずっと姿形が変わらない。
いや、遡れば数百年前。
この炭鉱街がまだ影も形もなかった頃から変化がないのだとかつて自分の親から聞いていた。
聞く所によると、この旅人は千年以上も生きているのだと言う。
あまりにも荒唐無稽ではあるが、少なくともマテウスが知る限り彼の姿形は自分が幼い頃からまるで変っていない。
そもそも代々曲がった事が大嫌いな家系の血を引くマテウスは自分の先祖が嘘をついているなどと思わないが。
二人は軽い会話をしながら互いの近況を報告し合い、それが済むと取るに足らない雑談を始めた。
さらにそんな話が途切れ途切れとなった頃、ついにマテウスが旅人へ言った。
「ところでルーガー。一つ頼みがある」
「頼み?」
「あぁ。実はうちのじゃじゃ馬がな。外の世界へ出たいのだと」
ルーガーはふと時を止めたかのように瞬き一つをしなくなる。
その光景を予期していたマテウスは数秒の間を置いた後に言葉を続けた。
「連れて行ってくれるよな? あんたの事だから」
「……勿論だ」
「ありがたい。それじゃ、じゃじゃ馬に会わせてやる。こっちだ」
マテウスは微笑むとルーガーを伴い歩き出した。
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炭鉱街の中でも最も高い場所。
この場所には墓が一つ建てられている。
誰が眠っているかなんてサフは知らない。
ただ親方に言われて毎朝毎晩この墓を欠かさずに磨いている。
そのお陰でこの墓はまるで数日前に建てられたように美しかった。
……少し不謹慎ではあるが。
サフは今日は非番だった。
普段ならのんびりと過ごすところだが、今日に限っては親方から言われたのだ。
『悪いが今日はここで過ごしてくれないか。退屈だろうがな』
故にサフは今日、退屈さを感じながらもこの場所で座り込み、ぼんやりと本を読んでいた。
「エミル?」
不意に声がして振り返るとそこには親方と見知らぬ青年が一人立っていた。
「エミル……って?」
思わず尋ね返したサフの言葉に青年は虚を突かれたかのような顔となり、まるで照れ隠しをするようにして微笑みを浮かべた。
「あぁ、ごめんね。あまりにも昔の知り合いにそっくりだったから……ところで君がサフかい?」
「えっ、あっ、はい。そうですが……」
返事をしながらサフは青年の後ろに立つ親方をちらりと見た。
彼は意図も読めない頷きを一つして口を開く。
「サフ。こいつはルーガーと言ってな。各地を旅しているんだ。そこで先ほどお前の事を伝えたら快く引き受けてくれたんだ」
「そうなのですか?」
サフの言葉に二人は頷いた。
あまりにもとんとん拍子に進んでしまった夢への道にサフは少し混乱をしていると、ルーガーがふと思いついたように尋ねてくる。
「一つ聞いてもいいかい?」
「なんでしょうか?」
「君は何故、旅をしてみたいんだい?」
再び親方を見ると彼は肩を竦める。
どうやら素直に話しても良いらしい。
「昔。聞いた物語を見るようにして外の世界を見に行きたい……本当にこれだけです。子供みたいでしょう?」
「いいじゃないか、君はまだ子供なんだから」
ルーガーはそう笑うとゆっくりとした歩調でサフの隣にある墓に歩み寄ると、まるで母親が子供にするかのように優しい手つきで墓の表面を撫でた。
「よく綺麗にされている。エミルもきっと喜んでいるよ」
「あの、エミルって?」
「ここに眠る私の古い友人だ。彼も君と同じように外の世界に憧れて私と共に旅をしたんだ」
ルーガーはそれ以上は話さず、またサフもそれ以上は聞きもしなかったし興味も持たなかった。
何故なら、今のサフにとっては故郷の地にある墓に誰が眠っていることなんかより、自分が故郷の土地を出られるという事実の方がずっと大切だったからだ。
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翌日。
サフは炭鉱街の皆に見送られる形でルーガーと共に旅に出た。
出発の間際に親方が歩み寄って来ると、自分よりも遥かに大きな体で強くサフのことを抱きしめた。
「好きなだけ、気の済むまで旅してこい。だけどな。一つだけ約束しろ」
「うん。必ず戻って来るよ。親方」
「今は親方じゃねえ」
微かに震えている声にサフは小さく息を飲んだ。
考えてみれば彼のこんな姿は初めて見たかもしれない。
「うん。お父さん」
抱きしめる力が一瞬強くなったと思った途端、まるで突き放すようにしち父はサフの体から離れた。
「ほれ、行ってこい」
「そうそう。行ってこい!」
「いつでも帰って来いよ!!」
炭鉱街の男達の張り上げた声が段々と重なっていき、いつの間にやら歌になる。
その光景をどこか懐かしげに見つめるルーガーに伴われサフは村の外へ出た。
「エミルが造り上げたあの街は変わらない」
「えっ?」
村が影も形もなくなった頃、不意にルーガーがサフへ言った。
「うんざりするほどに単純なのに賑やかで小気味が良い」
「そうですか? 泥と大声でまみれてうんざりするって他の旅人が話していましたが……」
「そんな場所だからこそ心地良いんだ」
首を傾げるサフにルーガーは微笑んだ。
「旅を続けていればいずれ故郷が恋しくなるさ」
旅立ちの喜びに沸くサフの心にその言葉が微かに引っかかる。
しかし、それを彼が自覚するのは十年以上が経ち、彼が一端の冒険者となりそれなり以上の成功をした後のことだ。
お読みいただきありがとうございました。
前書きにもありますように『ルーガー卿の気の遠くなる魔王退治』と世界観を共有しております。
あちらの話の前日譚かもしれませんし、後日譚かもしれません。
いつか、連載をしてみたいと思いつつも中々時間が取れず……。
ずっと、下書きにあるのも勿体ないと思い、シリーズ設定をして短編として投稿いたしました。
重ね重ねお読みいただきありがとうございました。