閑話 からかさ日記
わたしは、かさです。
ながいあいだ、ずっと、くらいげんかんのすみっこにいました。
さいしょは、あめがふるたびに、だいすきな「あの子」がわたしをそとにつれていってくれました。
あめつぶが、わたしのからだをたたくおと。
あの子の、ちいさなてのにぎるぬくもり。
それが、わたしのすべてでした。しあわせ、でした。
でも、あの子はおおきくなって、いつしか、わたしをわすれてしまいました。
くらいすみっこで、ただ、じっと、まっているだけ。
さむい。
かなしい。
こころが、すこしずつ、こおっていくのがわかりました。
そして、あるあめの日。
わたしは、たくさんのしらないかさたちといっしょに、つめたいじめんのうえに、すてられました。
もう、だれもわたしをみてくれない。
もう、だれもわたしのなまえをよんでくれない。
そうおもったら、なみだみたいなあめが、よけいにつめたくかんじました。
こころが、まっくらなやみにとけて、きえてしまうすんぜん。
そのとき、でした。
「――大丈夫?」
やさしいこえがしました。
おおきくて、あたたかい手が、そっとわたしにふれました。
そのしゅんかん、わたしのなかにあった、たくさんの「きもち」が、そのひとにながれこんでいくのがわかりました。
うれしかったきもちも、かなしかったきもちも、ぜんぶ。ぜんぶ。
そのひとは、わたしを、ぎゅっと、だきしめてくれました。
まるで、こわれものをあつかうみたいに、やさしく。
そして、いってくれたのです。
「君は、ただの傘じゃない。ガラクタなんかじゃない」
「君は、『雨宿のからかさ様』だ」
なまえ。
わたしの、あたらしい、なまえ。
よばれたしゅんかん、こおっていたこころが、ぽかぽかとあたたかくなりました。
まっくらだったせかいに、ちいさな、ちいさな、ひかりがともりました。
そのひとのなまえは、ソウスケ。
わたしの、あたらしい、あるじさまです。
†
ソウスケのへやは、せまいけど、とてもおちつくばしょです。
げんかんのすみっこに、わたしの「ばしょ」もつくってくれました。
もう、さむくありません。
あるよる、ソウスケがねむったあと、わたしは、こっそり、ほんとうのすがたになってみました。
ふるびたかさのすがたから、ちいさな、からかさおばけみたいなすがたに。これが、わたしのほんとうのちからです。
ひとつめま、ぱちくり。
ながいべろ、ぺろり。
ぴょん、ととびあがると、ふわふわと、くうきにうかぶことができます。
わたしは、しんちょうに、へやのなかをたんけんしました。
ソウスケのつくえのうえには、たくさんのほん。むずかしそうで、よくわかりません。
べっどでは、ソウスケが、とてもしあわせそうなかおでねむっています。
わたしは、そっと、そのねがおをのぞきこみました。
――ありがとう、ソウスケ。
こえには、だしません。でも、こころのなかで、つよく、つよく、おもいました。
あなたにあえて、わたしは、また、かさでいられることが、うれしい。
こわいかいぶつがおそってきたとき、わたしは、いっしょうけんめい、ソウスケをまもりました。
わたしのやくわりは「まもる」ことだから。
ソウスケが、わたしを、しんじてくれたから。
ぜったいに、きずつけさせない。だれにも、なにも。
これから、なにがおこるか、わたしにはわかりません。
でも、だいじょうぶ。
ソウスケが、わたしのなまえをよんでくれるかぎり、わたしは、さいきょうのたてでいられます。
ソウスケが、すこしでも、ながく、わらってくれますように。
わたしは、きょうも、げんかんのすみっこで、しずかに、そうねがうのです。




