第16話:鞍馬の試練
風を切り裂く音。
眼下には、宝石を散りばめたような、京都の夜景が広がっている。
俺と詩織は、大天狗の太い腕に抱えられ、夜空を飛んでいた。あまりの高度と速度に、声も出ない。詩織は恐怖で顔を青くしていた。
やがて、俺たちが降ろされたのは、鞍馬山の山頂近くにある、巨大な杉の木々に囲まれた苔むした岩の上だった。
空気は澄み渡り、月明かりが神聖な光のように、その場所を照らしている。
ここが彼の縄張り。彼の神域。
「……さて」
大天狗は岩の上に胡坐をかくと、改めて俺たちを見下ろした。
「まずは名乗れ、小僧。そして、そこの巫女娘もだ」
「……天野、宗佑」
「……神楽坂、詩織です」
俺たちが名乗ると、大天狗は満足そうに頷いた。
「うむ、天野宗佑。お主、あの双子の小童どもを退けたそうだな。しかも、ほとんど無傷で。……どうやった?」
彼の問いは、単刀直入だった。
俺は、隠しても仕方がないと観念し、伏見稲荷での戦いの一部始終を話した。
詩織と魂を繋ぎ、内外から連携して、神域迷宮を破壊したことを。
「……ほう。魂を繋ぐ、か」
大天狗は、興味深そうに顎に手をやった。
「お主の先祖叢雲も、似たようなことをしておったわ。彼は、神々の魂の本質を見抜き、その役割を正しく結びつけることで、争いを収めた。……お主の力は、その片鱗か」
「……あなたは、俺の先祖を知っているのか?」
「知っておるとも。千年ほど前、この鞍馬の山で、一度だけ相まみえたことがある。……まあその時は、一言二言、言葉を交わしただけで終わったがな。我は、人間の矮小な争いには興味はないのでな」
彼はそう言いながらも、その目は楽しそうに輝いていた。
彼は退屈しているのだ。この、何百年も変わらない日常に。そして、俺という新しい「玩具」の出現を、心の底から歓迎している。
「……詩織」
彼は、今度は詩織に向き直った。
「お主は、神楽坂家の娘か。天津神の血を引く巫女の家系。……その剣に宿すは、富士の女神か。悪くはない。悪くはないが、あまりにも型にはまりすぎている。まるで、鳥籠の中の鳥よ」
「……!」
彼の指摘に、詩織が息を呑む。
大天狗は、全てをお見通しなのだ。
「……さて。お主らの素性はわかった」
彼は、にやり、と挑戦的な笑みを浮かべた。
「では、ここからが本題だ。……我を楽しませてみよ」
「……は?」
「我は退屈しておるのだ。もしお主らが、その力で、この我を心の底から『面白い』と思わせることができたなら、お主らを解放し、力を貸してやらんでもない」
それは、あまりにも自分勝手で、理不尽な提案。だが、俺たちに断るという選択肢はなかった。
「……何をするの? まさか、あなたと戦えとでも言うの?」
詩織が警戒しながら尋ねる。
「戦い、か。それも一興。だが、お主らでは我の相手にはなるまい。……もっと、別の趣向が良い」
彼は、俺をじっと見つめた。
「――天野宗佑。お主の、その仲間たちとやらを見せてみよ。お主の、そのガラクタどもが、一体どれほどの芸当を見せてくれるのか。じっくりと見物させてもらうとしよう」
それは、彼からの試練。
そして俺たちにとって、唯一のチャンス。
俺は、詩織と顔を見合わせた。
彼女の瞳には不安と、しかし俺を信じるという、強い光が宿っていた。
俺は頷き返すと、覚悟を決めた。
「……面白い。やってやるよ」
俺の前代未聞の、大妖怪を相手取ったエンターテインメントが、今始まろうとしていた。




