第8話:黒鉄ハヤトの処遇
『――黒鉄ハヤトの処遇について、橘局長が、何かを画策中。彼の独房の警備レベルが、不自然に引き下げられている。要注意』
詩織が渡してくれたノートの最後の一文。
その走り書きのような文字から、彼女の焦りと、事態の緊急性がひしひしと伝わってくる。
俺は教室の自分の席に戻ると、その一文を、何度も何度も読み返した。
――橘の狙いは、なんだ?
黒鉄ハヤトは、神祇庁にとって危険な神狩りであると同時に、国津神勢力の手がかりを知る唯一の生き証人のはずだ。
その、重要人物が収監されている独房の、警備レベルを下げる。そんな、不可解なことをする理由。
考えられる可能性は、二つ。
一つは、橘が黒鉄を意図的に「逃がそう」としている。
何らかの取引を持ちかけ、彼を再び自分の駒として、外の世界に放とうとしているのかもしれない。
そして、もう一つは……。
『――我が主。より、危険な可能性を提示します』
俺の思考を読み取ったかのように、神座が脳内に警告を発した。
『橘局長は、黒鉄ハヤトを、外部の何者かに「襲撃」させようとしている、という可能性です』
「……なんだって?」
『警備を手薄にし、国津神勢力、あるいは別の第三者が、彼を襲うように仕向けている。目的はおそらく、口封じ。そして、その襲撃の混乱に乗じて、何かを……』
神座の分析に、俺は背筋が凍る思いがした。
そうだ。その方が橘のやり方らしい。
自らの手は汚さず、敵と敵をぶつけ、漁夫の利を得る。
黒鉄を生かしておく価値はないと判断し、彼をエサに国津神勢力をおびき寄せようとしているのだ。
――だとしたら、黒鉄は今、めちゃくちゃ危険な状態なんじゃないか?
独房の中で、なすすべもなく消されるのを待っているだけだとしたら。俺があいつを、あんな場所に押し込めてしまったせいで。
罪悪感が、再び黒い靄のように胸に広がる。
「……どうすればいい……」
俺には何もできない。
東京神祇局は、鉄壁の要塞だ。俺一人が乗り込んでいって、どうにかなる相手じゃない。
詩織に連絡を取ろうか?
いや、彼女をこれ以上、危険な立場に追い込むわけにはいかない。彼女はすでに、俺に情報を流すという大きなリスクを冒してくれている。
――結局、俺は無力だ。
仲間は増えた。詩織という、頼れる戦友もできた。
だが、この巨大な組織と、その裏でうごめく陰謀の前では、俺一人の力などあまりにもちっぽけだ。
橘の、あの予言のような言葉が頭をよぎる。
『君が、我々の庇護を喉から手が出るほど、欲しくなる日が必ず来る』
俺は机に突っ伏し、強く拳を握りしめた。
悔しくて、仕方がなかった。
放課後。
重い足取りでアパートへの道を歩いていると、俺の個人スマホが着信を告げた。
ディスプレイに表示されたのは「非通知」の文字。訝しみながらも、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
『――天野宗佑君、だね?』
聞こえてきたのは、知らない男の声だった。
だが、その声には聞き覚えがあった。
冷たく、感情がなく、しかし、有無を言わせぬ威圧感。
「……橘」
『ご名答。少し君と話がしたくてね。今、一人かい?』
「……だったら、なんだ」
『君が気にしているであろう、黒鉄ハヤト君の件について、良い知らせと、悪い知らせがある』
橘は、楽しむような口調で話を続けた。
『良い知らせは、彼はまだ生きている。悪い知らせは、その命が、今夜尽きるかもしれない、ということだ』
――やはり、俺の、神座の推測は当たっていた。
「どういう意味だ」
『言葉通りの意味だよ。……どうやら、彼の首を狙って、物騒なお客様がこちらに向かっているらしくてね。我々も、万全の警備体制を敷いてはいるがどうなることやら』
白々しいセリフ。
全て、こいつが仕組んだ茶番劇なのだ。
「……それで、俺に何をさせたい」
『話が早くて助かるよ』
橘は、くつくつと喉の奥で笑った。
『君に選択肢を与えよう。一つは、このまま何も知らなかったふりをして、彼の死をただ待つこと。もう一つは……』
彼は、一呼吸置いて言った。
『――今から、私の執務室まで来ることだ。君が、我々の『駒』として働くというのなら、黒鉄ハヤト君の命を助けてやらんこともない』
それは、あまりにも卑劣で、そして、抗いがたい悪魔の囁きだった。
黒鉄の命と、俺自身の自由。
その二つを天秤にかける、残酷な選択。
俺の答えは、もう決まっていた。
第一章 完
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