第25話:天狗の森、荒神の山
第五章:高尾山決戦
高尾山の麓、ケーブルカーの駅は、すでに神祇局の職員によって固く封鎖されていた。
物々しい雰囲気の中、詩織は職員に身分を示し、俺は詩織の「協力者」という扱いで、封鎖線の内側へと足を踏み入れる。
「――これは……ひどいな」
一歩、山道に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず呟いた。
空気が違う。
澄んでいるはずの霊山の空気が、まるで澱んだ沼の底のように、重く、そして禍々しい気配に満ち満ちていた。
山全体が、一つの巨大な『境界領域』へと変貌を遂げているのだ。
木々は黒々と影を落とし、道端の石仏は、まるで苦悶の表情を浮かべているかのように見える。
「山が、泣いている……」
詩織が、悲痛な声で言った。
彼女の鋭い霊感は、俺以上にこの山の悲鳴を鮮明に感じ取っているのだろう。
「黒鉄は山頂の薬王院にいるはず。急ぐわよ」
「あぁ」
俺たちは、月明かりを頼りに、薄暗い山道を進んでいく。
だが、山はそう易々と俺たちを通すつもりはないようだった。
――ザザッ!
道の両脇の茂みから、複数の影が同時に飛び出してきた。
それは、狼に似た姿をしていたが、その体は黒い靄で覆われ、瞳は憎悪に満ちた赤い光をたたえている。
「山犬……! いえ、もう荒神化している!」
詩織が叫ぶ。
本来ならば、この山を守る眷属であるはずの山犬たちが、黒鉄が放つ霊脈の汚染によって理性を失い、無差別に襲いかかってくるのだ。
「桜華一閃!」
詩織の炎の剣が、一体の山犬を薙ぎ払う。
だが、敵の数は多い。一体を倒しても、次から次へと、木々の間から新たな荒神が現れた。
一つ目の小僧、長い鼻を持つ天狗の眷属、木の幹に人の顔が浮かんだ木霊。
彼らは皆、苦痛に顔を歪めながら、ただ破壊衝動に任せて俺たちに襲いかかってくる。
「キリがない……!」
「宗佑、ここは一旦私が引き受ける! あなたは先に行って!」
「馬鹿言うな! お前一人こんなとこに置いていけるかよ!」
俺は詩織の前に立つと、神座からからかさ様を呼び出し、その盾で荒神たちの牙と爪を受け止める。
ガキン、ガキン、と激しい音が響き渡った。
「でも、このままじゃ消耗するだけよ!」
「消耗しないように戦うんだよ! それが、俺たちのやり方だろ!」
俺は叫びながら、神座に次の指示を出す。
「万象工房、トラップ設置! 天網、足止め! 物語、幻覚で撹乱!」
俺の号令に応じ、仲間たちが一斉に動き出す。
工具ゴーレムたちが、地面に巧妙な落とし穴を掘り、木の蔓を編んで拘束用の罠を仕掛ける。
信号機の天網が、赤と黄色の光を点滅させ、荒神たちの動きを鈍らせ、混乱させる。
万年筆の物語が、森の木々を、より深く、より迷いやすい迷路のような幻覚として、彼らに認識させる。
直接的なダメージは、ほとんど与えられない。
だが、それでいい。俺たちの目的は、彼らを「倒す」ことじゃない。
彼らは、元はこの山を守っていた心優しい神様たちなのだ。
傷つけず、消耗せず、この場を切り抜ける。
そのための、最善の策。
「……すごい……」
背後で、詩織が息を呑むのが聞こえた。
「ガラクタの神様たちの力で、これだけの数の荒神を、完全にコントロールしている……」
「ガラクタじゃない。仲間だ」
俺は、振り返らずに言った。
「行くぞ、詩織! 道は、俺たちが作る!」
俺はからかさ様を構え、仲間たちが作り出した安全なルートを、突き進んでいく。
山の悲鳴が肌を刺すように痛い。
待ってろ、黒鉄。
そして、この山の神様たち。
必ず、お前たちの苦しみを、俺が終わらせてやる。
俺と詩織は、互いの背中を預け合いながら、決戦の地、山頂を目指して駆け上がっていった。




