幕間 巫女はため息をやめた
東京神祇局に併設された職員寮。その一室が、私の日常であり、私の世界の全てだった。
あの日、あの廃工場での戦いの後、私は彼の肩を借りて、ここまで送り届けてもらった。
道中ほとんど会話はなかった。ただ、肩越しに伝わってくる彼の体温だけが、妙に生々しく記憶に残っている。
シャワーを浴び、傷の手当てをする。
鏡の前に立つと、戦闘の熱が引いた、いつもの無表情な私が映っていた。
けれどその内側で、何かが決定的に変わってしまったことを、私自身が一番よくわかっていた。
――私は、彼に守られた。
黒鉄との戦い。そして、暴走した土地神との戦い。どちらの局面でも、私は一人では勝てなかっただろう。
彼の、あの奇妙で、しかし、驚くほど合理的な戦い方。弱い神々の力を組み合わせ、戦況そのものをコントロールする。
それは、私が今まで学んできた戦い方とは、全く対極にあるものだった。
神祇庁では、こう教わる。
強い神と契約し、その強大な力で敵を真正面から叩き潰す。それが正義であり、最も効率的な方法だと。
弱い神々は切り捨てるか、保護するだけの存在。戦力にはなり得ない、と。
――本当に、そうなのでしょうか。
彼が率いていた、あのガラクタ同然の付喪神たち。
子供用の唐傘、ただの工具箱、壊れた信号機、古びた万年筆。
一つ一つは、本当に、取るに足らない力しか持っていない。けれど彼の指揮の下、彼らは一つの軍隊のように機能し、私ですら苦戦した神狩りを追い詰めてみせた。
そして、何よりも。
彼と、彼の神々の間には、絶対的な「信頼」があった。
最後の場面が、脳裏に焼き付いて離れない。
私が黒鉄に止めを刺す、その最高の好機を作り出すため、彼は自らを危険に晒し、彼の神々は、それぞれの役割を完璧にこなして彼を支えた。
それは、私と木花咲耶姫様との関係とは明らかに違うものだった。
私と姫様の間にあるのは、契約に基づく主従関係。もちろん、敬意も感謝もある。
だが、彼らのような、対等で互いの背中を預け合うような「絆」は、そこにはない。
――私は……彼らが、少しだけ羨ましいのかもしれない。
その事実に気づいてしまい、私は自嘲の笑みを浮かべた。
神楽坂家の人間が、エリートである私が、あんな雑魚神使いの、ただの同級生に嫉妬しているなんて。
ふと、彼の言葉を思い出す。
『俺は、忘れられた神様たちが、ちゃんと笑って過ごせる居場所を作りたいんです』
あの時は、青臭い理想論だと心の底から軽蔑した。
でも彼は、それを有言実行している。
彼のポケットの中にある型遅れのスマートフォン。その中に、神様たちが心から笑える「居場所」が確かにあるのだろう。
それに比べて、私はどうだ。
この清潔で、静かで、完璧に管理された部屋は、私の「居場所」なのだろうか。それとも、ただの「鳥籠」なのだろうか。
私は、鏡の中の自分を真っ直ぐに見つめた。
もう、ため息はつかなかった。
代わりに小さな、本当に小さな決意が、心の中に芽生えていた。
――天野宗佑。
あなたの隣で戦うことは、息が詰まるようで、それでいて、ほんの少しだけ心地よかった。
あなたのことを、もっと知りたい。
あなたの戦い方を、あなたの信じる正義を、この目でもっと見てみたい。
それが、神祇局の一員としての監視任務なのか、それとも、一人の少女としての純粋な興味なのか。
その答えは、まだ私にもわからなかった。
ただ一つ確かなのは、次に会う時、私はもう彼を「イレギュラーな素人」だとは思わないだろう、ということだ。
彼は、私の、初めての――「戦友」なのだから。




