第14話:廃工場のレクイエム
図書館を飛び出した俺と詩織は、並んで夏の終わりの歩道を駆けていた。
時刻は夕刻だというのに、しつこく蝉が鳴いている。まとわりつくような生ぬるい風が、汗ばんだ肌を撫でていった。
――気まずい。めちゃくちゃ気まずい。
隣を走る詩織の横顔を、盗み見る。
学校では「高嶺の花」として完璧な姿しか見せない彼女が今、俺と同じように肩で息をし、必死の形相で走っている。その事実が、どうにも現実感を失わせていた。
彼女は何を考えているのだろうか。時折こちらに視線を向けては、すぐに逸らすのを繰り返している。
会話はない。
ただ、神座が示す方向へと無言で走り続ける。
共通の敵がいる。その事実だけが、俺たちを繋ぐ唯一の細い糸だった。
「――ここだな」
辿り着いたのは、数週間前に俺が『万象工房』と出会った、あの解体予定の工場地帯だった。
巨大な工場のシルエットが、まるで墓標のように立ち並んでいる。人気はなく、聞こえるのは、ようやく鳴き始めたヒグラシの声だけ。
だが、俺には聞こえていた。
この一角から響いてくる、いくつもの、か細い悲鳴のような声を。
『いや……やめて……』
『こないで……』
『いたい……こわい……』
それは、この工場地帯に残された、古い機械や道具に宿った付喪神たちの声だ。
彼らが、何者かに脅かされている。
「……ひどい神気。怨念とも、渇望とも違う……ただ、純粋な『捕食』の意思だけを感じる」
詩織が、眉をひそめて呟く。
彼女もまた、この場所に漂う不穏な空気を感じ取っているようだった。
俺たちは足音を忍ばせて、廃工場の一番大きな建物内へと侵入する。錆びついたシャッターが半分だけ開いており、そこから中を窺った。
がらんとした工場の中心で、一人の青年が、黒いコートを翻していた。
その手には、禍々しいほどの神気を放つ、一本の太刀。
間違いなく、神狩り「黒鉄」。
彼の周囲には、古い旋盤やプレス機といった、巨大な工作機械が転がっている。それらは、本来ただの鉄の塊のはずなのに、まるで生き物のように、怯えて震えているのがわかった。
「――ほう。まだ喰い応えのありそうなのが残ってたか」
黒鉄がターゲットを定めた。
それは、工場の隅でひときわ存在感を放つ、巨大な溶鉱炉だった。長年、この工場の心臓として働いてきたのだろう。工場跡地一帯の『土地神』にまで神格を上げている。他の機械たちとは比べ物にならないほど、強い魂の光を宿している。
黒鉄が、溶鉱炉に向かってゆっくりと太刀を振り上げる。その刀身に、喰われてきた神々の念が、黒い靄のようにまとわりついていた。
『やめろぉぉぉっ!』
土地神が、悲痛な叫びを上げた。
もう、俺の我慢の限界を超えた。
「そこまでだ!」
俺は叫びながら、シャッターの下を潜り抜け、工場内へと飛び出した。
詩織も、無言で俺の後に続く。
突然の闖入者に、黒鉄はゆっくりと振り返った。
そして、俺と詩織の姿を認めると、つまらなそうに眉尻を下げた。
「……神祇庁の犬と、雑魚神使いのガキか。話には聞いてたが、わざわざ出張ってくるとはな。まぁいい、まとめて俺の鬼丸の錆にしてやる」
「ふざけるな! お前がやってることは、ただの殺戮だ!」
「……殺戮? 違うな。これは『救済』だ」
黒鉄は、心底おかしそうに言った。
「忘れられ、誰にも必要とされず、ただ朽ちていくだけの弱い神々。そいつらに、俺の力の一部となるという新たな『役割』を与えてやっているんだ。感謝こそされど、恨まれる覚えはねえな」
彼の歪んだ理屈に、俺は言葉を失った。
橘と同じだ。いや、それ以上に、こいつは自分勝手な正義を振りかざしている。
「問答無用」
隣で詩織が静かに剣を抜いた。
「あなたは、神々の秩序を乱すただの害獣。ここで、私が討滅する」
「上等だ。かかってこいよ、エリート様」
黒鉄は、手に持った太刀を俺たちに向けて構える。
夕暮れの光が、開いた天窓から差し込み、三人の影を、長く床に伸ばしていた。
忘れられた神々の悲鳴が響く廃工場で、俺たちの共同戦線が、今始まろうとしていた。




