第13話:高嶺の花
第三章:神狩りの黒鉄
万象工房が仲間になってから、一ヶ月ほどが過ぎた。
八月も半ばを過ぎ、鳴りを潜めていた蝉の声が、まるで最後の命を燃やすかのように朝からやかましく鳴り響いている。
俺の高校二年の夏休みは、受験勉強に励むクラスメイトたちとは裏腹に、奇妙で、そして案外に賑やかな毎日だった。
午前中は近所のファミレスでバイト。午後は、神座の能力で街に眠る「忘れられた神様」を探して歩く。
そうして、また何柱かの仲間が増えた。
古本屋の片隅で忘れられていた、古い万年筆の付喪神『物語』。
交通公園の隅にうち捨てられていた、壊れた信号機の付喪神『天網』。
彼らは契約と共に、神座が作り出す神域へと迎え入れられ、俺の頼もしい仲間となった。ポケットの中のスマホに意識を向ければ、神社の境内のような清らかな空間で、からかさ様や万象工房たちが楽しそうに過ごしているのが見える。
――ちゃんと、居場所になれてるみたいだな。
そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
神祇局からの干渉は、今のところない。橘の言った通り、俺は「泳がされて」いるのだろう。
あの日、俺を神祇局に連行した巫女装束の少女 、詩織。
別れ際に呟かれた「死なないでくださいね」という言葉だけが、不意に思い出された。
そんなある日の昼下がり。
夏休みの課題を片付けるため、俺は高校の図書室に来ていた。
静かな閲覧室で参考書を広げていると、不意に目の前の席に誰かが座る気配がした。顔を上げると、そこにいた人物に思わず目を見開いた。
――神楽坂、さん……?
神楽坂 詩織。
俺が通う高校の、同学年の有名人だ。
クラスは端と端で校舎の棟も違うため、今までまともに見たのは数回程度。だが、その名前と噂は嫌でも耳に入ってくる。
成績は常にトップクラス。スポーツ万能。近寄りがたいほどの美人で、男子生徒たちが遠巻きに「高嶺の花」と噂している、まさに完璧な優等生。
だが、俺が驚いたのはそれが理由ではなかった。
彼女の横顔。凛とした佇まい。そして、その瞳の奥に宿る強い光。それは、記憶の中のあの巫女装束の少女の姿と、寸分たがわず重なったのだ。
――まさか……。嘘だろ……?
俺が衝撃で固まっていると、彼女も俺に気づいたらしい。彼女の大きな瞳が、信じられないものを見るかのようにさらに大きく見開かれた。
「あなたは……」
彼女の声が、わずかに震えている。
「あの時の……和傘の……」
「……緋色の衣の……」
お互いの口から、途切れ途切れの言葉が漏れる。
沈黙。
周りの利用者たちの存在も忘れ、俺たちはただ互いの顔を見つめ合っていた。
巫女装束を纏い、荒神を睨みつける『神契者』
制服姿の、何処か物憂げな表情の『高嶺の花』
あまりにもかけ離れすぎて、全く気が付かなかった。あの日、命を懸けて共闘した相手の正体が、まさか同じ制服を着た「同級生」だったなんて。
気まずい、という言葉では足りない。
あまりの偶然と世界の狭さに、二人して言葉を失っていた。
その奇妙な沈黙を破ったのは、俺のポケットの中で、ブルリと強く震えた神座だった。
脳内に、緊急警報が響く。
『――警告。我が主。半径1キロ圏内にて、複数の神気が一つの強大な神気に喰われるパターンを検知。これは……「神狩り」です』
俺は、はっと我に返った。
詩織もまた、姫様から声がかかったのだろうか。彼女の表情が、ただの優等生のものから、あの日見た戦う巫女の顔へと一瞬で切り替わった。
「……場所は、わかりますよね?」
彼女の声は、同級生のものではなかった。切迫した戦士の声だ。
「……うん。こっちだ」
俺も、もう彼女を「高嶺の花」として見てはいなかった。
目の前にいるのは、俺と同じ神々と関わる世界の住人。そしておそらく、今の俺にとって唯一の「共闘できる相手」。
俺たちは課題を放り出し、同時に席を立った。
まだ、互いのことを何も知らない。ただ、共通の敵が現れたという事実だけが、奇妙な運命で再会した俺たちを否応なく戦場へと駆り立てていた。




