表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/194

『笑え、戦の前に』

「……なんだ、その顔は。」


米沢城二の丸館の裏庭で、俺は鼻の下を伸ばしていた。


目の前には、鍛錬着姿の伊佐と小夜、そして腰に木剣を差した片倉小十郎。春の日差しの中で柔らかく風が吹き抜けるたび、二人の黒ギャル風くノ一の袖がひらひらと揺れる。


小十郎は真剣な顔で木剣を磨きながら言う。


「藤次郎様、何度も申しますが、女性の肌ばかり見ていると剣の道は遠のきます。」


「いや……違う。これはだな、兵の士気向上の研究だ。」


「言い訳!」


横から喜多の鉄拳が俺の後頭部に落ちた。


「ぎゃふっ!」


六歳児の体に、姉のような侍女の拳は強烈すぎる。地面に転がった俺の耳元で、小夜がクスクス笑い、伊佐が尻尾を振る犬のような笑顔で覗き込む。


「ほらほら藤次郎様、これ食べるっしょ?」


伊佐が差し出してきたのは干し芋だった。芋か……この時代にしては甘くてうまい。


「……ありがとな。」


「喜多、もっと優しくしないと藤次郎様、大きくならないっしょ。」


「あなたが言うな、伊佐。」


「ひどい!」


春風が吹き、庭の梅の香りが甘く漂った。木工職人たちが連弩の部品を運び、城の庭で試射準備を整えている。その横でくノ一たちが干し芋を与え、笑い声をあげ、片倉小十郎が冷や汗をかきながら見守っている。


「笑ってる場合ではないぞ、伊佐。」


「えー、小十郎ってば堅いっしょ!」


「任務中だぞ。」


「戦が始まる前に笑わなきゃ、死ぬとき後悔するっしょ。」


伊佐のその言葉に、小十郎が一瞬だけ口をつぐんだ。


「伊佐の言う通りだな。」


俺が立ち上がり、干し芋を齧りながら空を仰ぐ。青く広がる空に、白い雲がひとつ流れていく。


「戦は近い。だが、その前に笑えるなら、笑っておけ。」


「その覚悟が、すでに大将の器だな。」


片倉小十郎が笑みを浮かべた。


「大将の器とかやめろ、恥ずかしい。」


「恥ずかしいって言えるのが大将の器だと思うけどな〜。」


小夜が茶化すように言い、伊佐がわざとらしく口笛を吹く。



「試射準備完了いたしました!」


黒脛巾組の忍びが庭に頭を下げる。


「よし、行くぞ。」


干し芋を噛み締めながら、俺は庭の中央へ歩み出る。連弩がずらりと並び、弓兵たちが緊張した面持ちで控えていた。


「藤次郎様、お願いします。」


「承知。」


俺は小さな手で弩の引き金に触れる。


「放て。」


――パァン。


矢が空気を裂き、的の中央を撃ち抜く。次の瞬間、弓兵たちが一斉に引き金を引き、連弩が雷鳴のような音を重ねて吐き出した。


的が砕け散り、見物していた兵士たちがどよめく。


「……これが伊達の力か。」


片倉小十郎が呟き、喜多が俺を見て目を細めた。


「怪我をしないようにしてくださいね。」


「わかってる。」


「わかってる、と言いながら無茶するのが藤次郎様です。」


「うるさい。」


でも、悪い気はしなかった。



夜、庭の火皿に火が灯り、職人たちが作業を続けている。弦を張り、部品を削り、油を塗り込む音が静かな夜気を満たす。


「おい、伊佐、小夜。」


「なに?」


「なにっしょ?」


「お前たち、ありがとうな。」


「え?」


「は?」


俺は火皿の火を見つめたまま続けた。


「お前たちが笑ってると、俺は前に進める。」


「なにそれ、きもっ!」


「キモイとか言うな。」


「でもまあ……うれしいっしょ。」


「うれしいわね。」


伊佐と小夜が笑った。


火が揺れ、火花が舞う。焚き火の匂いと春の香りが混ざり、胸の奥が少し熱くなる。


(この笑顔を守るために、俺は戦う。)


(そのために、戦場を作る。)


(戦わず勝つ戦場を。)


火皿の炎が夜空に揺れながら、俺はその決意を改めて刻んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ