『笑え、戦の前に』
「……なんだ、その顔は。」
米沢城二の丸館の裏庭で、俺は鼻の下を伸ばしていた。
目の前には、鍛錬着姿の伊佐と小夜、そして腰に木剣を差した片倉小十郎。春の日差しの中で柔らかく風が吹き抜けるたび、二人の黒ギャル風くノ一の袖がひらひらと揺れる。
小十郎は真剣な顔で木剣を磨きながら言う。
「藤次郎様、何度も申しますが、女性の肌ばかり見ていると剣の道は遠のきます。」
「いや……違う。これはだな、兵の士気向上の研究だ。」
「言い訳!」
横から喜多の鉄拳が俺の後頭部に落ちた。
「ぎゃふっ!」
六歳児の体に、姉のような侍女の拳は強烈すぎる。地面に転がった俺の耳元で、小夜がクスクス笑い、伊佐が尻尾を振る犬のような笑顔で覗き込む。
「ほらほら藤次郎様、これ食べるっしょ?」
伊佐が差し出してきたのは干し芋だった。芋か……この時代にしては甘くてうまい。
「……ありがとな。」
「喜多、もっと優しくしないと藤次郎様、大きくならないっしょ。」
「あなたが言うな、伊佐。」
「ひどい!」
春風が吹き、庭の梅の香りが甘く漂った。木工職人たちが連弩の部品を運び、城の庭で試射準備を整えている。その横でくノ一たちが干し芋を与え、笑い声をあげ、片倉小十郎が冷や汗をかきながら見守っている。
「笑ってる場合ではないぞ、伊佐。」
「えー、小十郎ってば堅いっしょ!」
「任務中だぞ。」
「戦が始まる前に笑わなきゃ、死ぬとき後悔するっしょ。」
伊佐のその言葉に、小十郎が一瞬だけ口をつぐんだ。
「伊佐の言う通りだな。」
俺が立ち上がり、干し芋を齧りながら空を仰ぐ。青く広がる空に、白い雲がひとつ流れていく。
「戦は近い。だが、その前に笑えるなら、笑っておけ。」
「その覚悟が、すでに大将の器だな。」
片倉小十郎が笑みを浮かべた。
「大将の器とかやめろ、恥ずかしい。」
「恥ずかしいって言えるのが大将の器だと思うけどな〜。」
小夜が茶化すように言い、伊佐がわざとらしく口笛を吹く。
◆
「試射準備完了いたしました!」
黒脛巾組の忍びが庭に頭を下げる。
「よし、行くぞ。」
干し芋を噛み締めながら、俺は庭の中央へ歩み出る。連弩がずらりと並び、弓兵たちが緊張した面持ちで控えていた。
「藤次郎様、お願いします。」
「承知。」
俺は小さな手で弩の引き金に触れる。
「放て。」
――パァン。
矢が空気を裂き、的の中央を撃ち抜く。次の瞬間、弓兵たちが一斉に引き金を引き、連弩が雷鳴のような音を重ねて吐き出した。
的が砕け散り、見物していた兵士たちがどよめく。
「……これが伊達の力か。」
片倉小十郎が呟き、喜多が俺を見て目を細めた。
「怪我をしないようにしてくださいね。」
「わかってる。」
「わかってる、と言いながら無茶するのが藤次郎様です。」
「うるさい。」
でも、悪い気はしなかった。
◆
夜、庭の火皿に火が灯り、職人たちが作業を続けている。弦を張り、部品を削り、油を塗り込む音が静かな夜気を満たす。
「おい、伊佐、小夜。」
「なに?」
「なにっしょ?」
「お前たち、ありがとうな。」
「え?」
「は?」
俺は火皿の火を見つめたまま続けた。
「お前たちが笑ってると、俺は前に進める。」
「なにそれ、きもっ!」
「キモイとか言うな。」
「でもまあ……うれしいっしょ。」
「うれしいわね。」
伊佐と小夜が笑った。
火が揺れ、火花が舞う。焚き火の匂いと春の香りが混ざり、胸の奥が少し熱くなる。
(この笑顔を守るために、俺は戦う。)
(そのために、戦場を作る。)
(戦わず勝つ戦場を。)
火皿の炎が夜空に揺れながら、俺はその決意を改めて刻んだ。