『弩声、春を裂いて』
弩の弦を引き絞る音が、俺の胸を打った。
俺は藤次郎。伊達家の嫡男であり、六歳の身体の中に、令和で培った知識と理屈を詰め込み続けた転生者だ。だが、もう過去の記憶だけで生きるのはやめた。
戦国の世に生きるこの体と心で、戦を勝ち抜き、民を守り、伊達家を繁栄させる。
それが、藤次郎の道だ。
◆
「弦の引きがまだ硬い。二度目の射で時間がかかる。」
二の丸館の庭に、組み上げたばかりの連弩を並べ、黒脛巾組の伊佐、小夜、大内定綱、鬼庭左衛門、片倉小十郎が息を詰めて見つめている。
木製の骨組みに竹を削った部品を嵌め込み、弦を滑らかに動かすための油を指先で塗る。木製のクランクを回すと、一度に矢を送り出し、すぐに次の矢が装填される。
「……すげぇ……」
左衛門が思わず声を漏らす。
「これが……連弩……」
小十郎が息を飲む。
大内定綱の目が赤く光った。
「この道具があれば、数十人の兵が数百の矢を放てる。」
「いや、違う。」
俺は小さく首を振った。
「これはただの道具じゃない。“恐怖”を作る武器だ。」
風が吹く。庭の梅の枝が揺れ、白い花弁が地面に落ちる。
「戦は数じゃない。恐怖を相手に植えつけることだ。兵を動けなくする。逃げさせる。それが勝利だ。」
六歳児の口から出る言葉ではないとわかっている。
だけど、それが今の俺の真実だ。
「相馬家の兵が押し寄せる時、谷間にこの連弩を並べる。静矢で威嚇し、連弩で狙撃する。相馬の兵は立ち止まり、恐怖で動けなくなる。」
「恐怖に捕らわれた兵は戦えない。」
小夜が呟く。
「相馬の兵は決して強くない。ただ、家のために死ぬことが美徳だと教えられているだけだ。」
俺は連弩を指で弾いた。
「その信仰を壊す。戦は、信仰と恐怖の勝負だ。」
大内定綱が口を開いた。
「この戦術を実行するには、数が足りぬ。量産できるのか?」
「できる。」
自信をもって答えた。
「近隣の木工師を呼び寄せ、鍛冶と協力させる。設計は俺が出す。部品を分割し、複雑な工程を避けることで大量生産を可能にする。」
黒脛巾組の頭領が膝をついた。
「我らが調達の裏道を使い、鉄と弦の材料を集めましょう。」
「相馬の兵が動く前に、最低二十挺は必要だ。」
小十郎が頷く。
「私が職人たちの監督をいたします。」
「左衛門。」
「はっ。」
「試射場を準備しろ。精度を上げるには調整が必要だ。」
「承知!」
俺は庭を見渡した。
春の風が吹き抜け、梅の花が舞う。
その中で、静かに心の奥に刻む。
(これが“戦の準備”だ。)
◆
夜、二の丸館の奥で火皿の炎を見つめる。
風が障子を揺らし、外の雪解け水が軒先から滴り落ちる音が遠くに聞こえる。
「戦が近い。」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「戦が近い……か。」
背後で声がした。
振り返ると、喜多が立っていた。
「また、戦をするのですね。」
「戦はする。だけど、血は流させない。」
「……。」
「連弩はそのための道具だ。」
「血を流さない戦など、あり得ますか?」
「作るんだ、これから。」
目が合った。
喜多の瞳は、いつも冷静で、優しくて、だけど怒ると一番怖い。
「そのために何百挺も作るのですか?」
「そのためだ。」
「そのために、何百人を脅えさせるのですか?」
「……そうだ。」
目をそらさず答える。
喜多はしばらく目を逸らさず、やがて小さく笑った。
「……なら、作りなさい。」
「ありがとう。」
「でも、無茶はしないでくださいね、藤次郎様。」
「わかってる。」
笑いながら答えた。
◆
庭に戻ると、伊佐と小夜が連弩をいじりながら言い争っていた。
「だから、ここをこう押し込むんだってば!」
「伊佐はすぐ力任せにするじゃん。壊れるってば!」
「やんのか小夜!」
「やれるもんならやってみろ!」
笑った。
本当に、笑ってしまった。
この時代に生きるのは苦しいことばかりだ。
でも、この影たちの笑顔を守るために戦うなら、何度だって戦場に立てる。
「伊佐、小夜。」
「ん?」
「なに?」
「ありがとう。」
「はあ?」
「なにいきなり?」
「なんでもない。」
振り返ると、梅の花がまたひらりと落ちた。
その花弁を掌に乗せる。
(これが“戦国”か。)
掌を握りしめる。
(なら、俺が変えてやる。)
俺は、伊達藤次郎だ。
戦国に笑いながら立つ、未来の独眼竜だ。
だからこの連弩で、血を流さず勝つ戦を作り出してみせる。
春の風が、頬を撫でた。