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『弩声、春を裂いて』

弩の弦を引き絞る音が、俺の胸を打った。


俺は藤次郎。伊達家の嫡男であり、六歳の身体の中に、令和で培った知識と理屈を詰め込み続けた転生者だ。だが、もう過去の記憶だけで生きるのはやめた。


戦国の世に生きるこの体と心で、戦を勝ち抜き、民を守り、伊達家を繁栄させる。


それが、藤次郎の道だ。



「弦の引きがまだ硬い。二度目の射で時間がかかる。」


二の丸館の庭に、組み上げたばかりの連弩を並べ、黒脛巾組の伊佐、小夜、大内定綱、鬼庭左衛門、片倉小十郎が息を詰めて見つめている。


木製の骨組みに竹を削った部品を嵌め込み、弦を滑らかに動かすための油を指先で塗る。木製のクランクを回すと、一度に矢を送り出し、すぐに次の矢が装填される。


「……すげぇ……」


左衛門が思わず声を漏らす。


「これが……連弩……」


小十郎が息を飲む。


大内定綱の目が赤く光った。


「この道具があれば、数十人の兵が数百の矢を放てる。」


「いや、違う。」


俺は小さく首を振った。


「これはただの道具じゃない。“恐怖”を作る武器だ。」


風が吹く。庭の梅の枝が揺れ、白い花弁が地面に落ちる。


「戦は数じゃない。恐怖を相手に植えつけることだ。兵を動けなくする。逃げさせる。それが勝利だ。」


六歳児の口から出る言葉ではないとわかっている。


だけど、それが今の俺の真実だ。


「相馬家の兵が押し寄せる時、谷間にこの連弩を並べる。静矢で威嚇し、連弩で狙撃する。相馬の兵は立ち止まり、恐怖で動けなくなる。」


「恐怖に捕らわれた兵は戦えない。」


小夜が呟く。


「相馬の兵は決して強くない。ただ、家のために死ぬことが美徳だと教えられているだけだ。」


俺は連弩を指で弾いた。


「その信仰を壊す。戦は、信仰と恐怖の勝負だ。」


大内定綱が口を開いた。


「この戦術を実行するには、数が足りぬ。量産できるのか?」


「できる。」


自信をもって答えた。


「近隣の木工師を呼び寄せ、鍛冶と協力させる。設計は俺が出す。部品を分割し、複雑な工程を避けることで大量生産を可能にする。」


黒脛巾組の頭領が膝をついた。


「我らが調達の裏道を使い、鉄と弦の材料を集めましょう。」


「相馬の兵が動く前に、最低二十挺は必要だ。」


小十郎が頷く。


「私が職人たちの監督をいたします。」


「左衛門。」


「はっ。」


「試射場を準備しろ。精度を上げるには調整が必要だ。」


「承知!」


俺は庭を見渡した。


春の風が吹き抜け、梅の花が舞う。


その中で、静かに心の奥に刻む。


(これが“戦の準備”だ。)



夜、二の丸館の奥で火皿の炎を見つめる。


風が障子を揺らし、外の雪解け水が軒先から滴り落ちる音が遠くに聞こえる。


「戦が近い。」


自分に言い聞かせるように呟いた。


「戦が近い……か。」


背後で声がした。


振り返ると、喜多が立っていた。


「また、戦をするのですね。」


「戦はする。だけど、血は流させない。」


「……。」


「連弩はそのための道具だ。」


「血を流さない戦など、あり得ますか?」


「作るんだ、これから。」


目が合った。


喜多の瞳は、いつも冷静で、優しくて、だけど怒ると一番怖い。


「そのために何百挺も作るのですか?」


「そのためだ。」


「そのために、何百人を脅えさせるのですか?」


「……そうだ。」


目をそらさず答える。


喜多はしばらく目を逸らさず、やがて小さく笑った。


「……なら、作りなさい。」


「ありがとう。」


「でも、無茶はしないでくださいね、藤次郎様。」


「わかってる。」


笑いながら答えた。



庭に戻ると、伊佐と小夜が連弩をいじりながら言い争っていた。


「だから、ここをこう押し込むんだってば!」


「伊佐はすぐ力任せにするじゃん。壊れるってば!」


「やんのか小夜!」


「やれるもんならやってみろ!」


笑った。


本当に、笑ってしまった。


この時代に生きるのは苦しいことばかりだ。


でも、この影たちの笑顔を守るために戦うなら、何度だって戦場に立てる。


「伊佐、小夜。」


「ん?」


「なに?」


「ありがとう。」


「はあ?」


「なにいきなり?」


「なんでもない。」


振り返ると、梅の花がまたひらりと落ちた。


その花弁を掌に乗せる。


(これが“戦国”か。)


掌を握りしめる。


(なら、俺が変えてやる。)


俺は、伊達藤次郎だ。


戦国に笑いながら立つ、未来の独眼竜だ。


だからこの連弩で、血を流さず勝つ戦を作り出してみせる。


春の風が、頬を撫でた。

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