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『幼き名に刻む決意』

春の風は温いのに、背中を伝う汗は冷たい。


俺は梵天丸。伊達家の嫡男でありながら、この小さな身体の中に令和で地政学と戦国史を叩き込んだ高校生の魂を宿した存在だ。


その俺が今、大内定綱を従えて、伊達輝宗の陣へと帰還する。


寺での論戦で定綱を屈服させ、血を流さず家臣とした勝利を携えて――いや、一人の男の忠誠を勝ち取った戦果を持ち帰る。


(だけど、まだだ。これは始まりでしかない。)



陣幕の奥で、父・伊達輝宗が立っていた。


その目は鋭く、戦国大名のそれでありながら、どこか親の温もりを隠しきれない眼差しで俺を見ていた。


「戻ったか、梵天丸。」


低く響く声が胸に重く沈む。


「父上。」


小さな体で深く頭を下げると、甲冑の金具が微かに鳴った音が耳に残る。


後ろで、大内定綱が十文字槍を背負ったまま膝をつく。


「大内定綱、これより梵天丸様の下に仕え奉ります。」


「なんだと?」


鬼庭左月が眉を吊り上げ、遠藤基信が目を伏せ、伊達実元がわずかに口元を動かす。


「伊達家の家臣ではなく、梵天丸様の家臣となると?」


左月の問いに、定綱は動じなかった。


「はい。私はこの目で見たのです。戦をなくし、民を守る策を生むお方を。不動明王の加護を受けし梵天丸様こそ、我が仕えるべき主であると。」


言葉を失う一同。


それを破ったのは、黒脛巾組の伊佐と小夜だった。


「左月様、私たちも見ました。あの日、相馬を退けた夜、梵天丸様の背に不動明王が立っておられました。」


「この春の戦も、血を流さず勝つ道を示されたのは梵天丸様です。」


笑顔すら浮かべぬ真剣な二人の黒ギャルくノ一の言葉に、陣内の空気が変わる。



父・輝宗がゆっくりと俺の前へと歩み寄った。


「梵天丸。」


目の奥が細くなり、その先でわずかに笑ったように見えた。

「梵天丸。」


その声が胸に響く。


「そなたはよくやった。」


胸が熱くなる。けれど六歳の体で涙を見せるわけにはいかない。


「父上。」


「だが……」


その目が僅かに笑ったように見えた。


「そなたはこの幼名のままでおるには、大きくなりすぎた。」


「……え?」


「そなたは――“藤次郎”と名乗れ。」



(……藤次郎。)


令和の知識を持つ俺には、それがどれほどの意味を持つかがすぐにわかった。


戦国の世で、名を与えられるということ。


それはただの呼び名ではない。


“戦国の梵天丸”ではなく、“伊達家の嫡男・藤次郎”として、これから戦乱の中を生き抜いていくということだ。



「ありがたく頂戴いたします、父上。」


小さな体で深く頭を下げると、鎧の金具がカチャリと音を立てた。


「藤次郎か……」


遠藤基信がその名を口にした。


「相応しい名だ。」


鬼庭左月が深く頭を垂れる。


「我ら、これより藤次郎様にお仕えいたします。」


伊達実元が微笑み、深く頷く。


後ろで大内定綱が地面に額をつけ、言葉を絞り出した。


「この命、これより藤次郎様に捧げます。」



鬼庭左月がゆっくりと膝をつき、頭を垂れた。


「藤次郎様、不動明王の加護を持ち、この戦乱の世を生き抜くお方とお見受けしました。」


遠藤基信も続く。


「藤次郎様こそ、この伊達家の未来を切り拓くお方。」


伊達実元が笑顔で頷く。


「いやはや……血を流さずに敵を屈服させるとは、見事でございます。」


陣幕の外から吹き込む春風が、戦の空気を浄化するように暖かい。



「父上。」


「なんだ?」


「大内定綱は、私の家臣としておいてください。」


「それが望みか?」


「はい。」


「……わかった。」


輝宗の声に重みがあった。


その瞬間、大内定綱が地面に額をつける。


「この命、藤次郎様にお預けいたします。」


(これでいい。これが俺の戦の勝ち方だ。)



陣幕の中が、僅かながら笑いに包まれた。


小夜が小さく笑い、伊佐が「マジぱねぇっす」と呟くのが聞こえた。


鬼庭左月が「お主たち、無礼を慎め」と言いつつ、口元が緩んでいた。


遠藤基信は「これが時代を変える兆しか……」と小さく呟き、伊達実元は「面白くなってきた」と笑った。



だが、俺の中は冷えていた。


(これで磐城、そして常陸へ向けての道が開ける。)


(相馬を討つ準備を進める時だ。)



春の空は高く澄み渡り、空気は湿り気を帯びながらも清廉だった。


俺は小さな体で立ち上がり、その空を見上げた。


(戦国の世に生きる――“梵天丸”として、全てを勝ち取るまで。)


風が吹き、桜の花びらが一枚、俺の肩に落ちた。


俺はその花びらを指で摘み、口元に笑みを浮かべた。

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