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『心を撃ち抜く春雷』

この寺の本堂は、春の日差しが淡く差し込むだけで、なお重苦しい。


庭先の梅が風に揺れている。さっき落ちた大内定綱の髷は、黒脛巾組の伊佐が無言で拾い、ぽん、と懐に入れて戻っていった。師匠の虎哉宗乙は鍋を抱えたまま正座して目を閉じているが、たまに目を開けて俺と定綱を交互に見ているのがわかる。


(……ここからだ)


さっきまで俺は“ひろゆき論破話術”で定綱を言葉で削り、理で封じ込めてきた。だがそれだけではダメだ。相手は戦場で死地を歩いた武士であり、血と土の重みを知る男だ。


論破だけで屈服するほど、甘くない。


(だから――ここからは“心”を撃つ。)



「定綱殿。」


俺は声を低くし、少し体を前に出す。


「あなたは戦を生きてきた男だ。民を守ることを己の矜持としてきたはずだ。」


定綱が目を伏せる。落ちた髷を隠すように手を添えているのがわかる。


「……民のため?」


「あなたは知っているはずだ。戦で何が一番失われるか。」


「……命だ。」


「違う。」


定綱が顔を上げた。驚きと苛立ちが混じった目をしていた。


「命ではない。“希望”だ。」


「希望……?」


「戦で失われるのは、命より先に希望だ。家族を殺され、家を焼かれた者は、生きながら死ぬ。笑わなくなる。夢を見なくなる。」


声が震えた。小さな体の胸の奥から、熱が溢れてくる。


「あなたはそれを知っているから、戦の道を選び続けてきた。それでしか民を守れなかったからだ。」


「……!」


「でも、今は違う。」


(最新心理学で学んだテクニックを思い出す。相手の生き方を肯定し、共感を示したうえで、そこに新しい選択肢を提示する。)


「定綱殿。今この瞬間、あなたが伊達と手を取り合えば、戦わずして民を守れる。」


「……」


「戦わずして勝つことができる者こそ、本物の強者だ。」


定綱の瞳が揺れる。


(ここだ――今、揺れている心に刺す。)


「あなたは強者だ。だから、ここで刀を取らず、私と共に歩んでほしい。」


「私と共に……?」


定綱が息を飲む音が聞こえた。



「……だが、私は伊達に膝を屈するつもりはない。」


(来るか……)


「私は――」


定綱の視線が俺の目を捕らえる。


「伊達の家臣にはならぬ。」


「……」


「私は――梵天丸殿。」


言葉が震えていた。


「お前の家臣となる。」


(……は?)


思わず変な声が出そうになったのを必死で堪える。


(ちょ、マジかよこの人。)


目の前で、三十七歳の智将が、六歳の子供に対し、その瞳に決意を込めて頭を下げようとしている。


「定綱殿……それは――」


「お前が未来を見据え、民を思い、無駄な血を避ける道を選ぼうとしているのを、見てしまった。」


定綱の瞳から一滴、涙が落ちた。


「俺は、そんな“殿”に仕えたい。」


ズシン――と心の奥に重みが落ちる感覚。


「……定綱殿。」


言葉が続かない。


六歳の幼子としての声が、震えそうになるのを必死で押しとどめる。


(いやいや、これ、泣きそうだろ普通に。)


(ああ……これが戦国の世だ。)


(言葉一つで命を懸けてきた男の心が変わる。戦わずして勝つって、こういうことなんだな。)



「不動明王の加護があろうとなかろうと――」


定綱が膝をつき、額を畳につける。


「俺の心は、貴殿に奪われた。」


(ちょ、おっさん重い……!)


思わず視線を外すと、虎哉宗乙師匠が鍋を抱えて泣いていた。


「良き……良きかなぁ……!!」


(ああもう、この人は……)


障子の陰から覗く黒ギャル二人(伊佐と小夜)が「マジ惚れ落ちじゃんw」「やばくねw」と小声で笑っているのも耳に入る。


(お前ら、後で説教な……)



だが――


定綱の額が畳につく音は、確かにこの寺に響いた。


それは剣を振り下ろす音よりも重く、血の匂いよりも濃く、この戦国乱世において何よりも強い勝利の証だった。


(戦わずして勝つ――これだ。)


「立て、定綱殿。」


震えない声で告げる。


「これよりそなたは、伊達家の梵天丸の家臣だ。」


「は――ははっ!」


定綱が顔を上げ、その頬に残る涙の跡を拭いながら、破顔した。


「望むところだ!」



春の風が本堂の障子を揺らした。


外では、梅の花が散り、花びらが舞う。


その花びらの中で、大内定綱は立ち上がり、俺の目を見据えた。


(これでいい――これで伊達の未来はさらに先へ進む。)


(お前の戦はまだ始まったばかりだぞ、梵天丸。)


春雷が遠くで鳴った気がした。



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