『春雷、理で征す』
寺の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
(ああ、戦の匂いだ。)
春だというのに、吐息はまだ白く、湿った土の匂いが胸を満たす。寺の庭に据えられた苔むした石灯籠、境内に咲きかけの梅、鐘楼から漏れる微かな鉄の匂い――すべてが静かに、しかし確実にこの場が“戦場”であることを知らせてくる。
俺は梵天丸。伊達家嫡男、六歳児(ただし中身は令和の高校生兼地政学マニア)。
そして今日は、戦国乱世において戦わずして勝つための一番の“口戦”を仕掛ける日だ。
◇
本堂の奥へと通されると、障子越しに見える男の影は驚くほど揺れず、岩のような威圧感を放っていた。
大内定綱。大内家を束ね、知将と謳われ、気性の激しさと胆力を併せ持つ癖者。
(……さて、ひろゆき論破術でどこまで潰せるか。)
後ろでは虎哉宗乙師匠が例の鍋を抱えて座っている。
「鍋は心をほぐす道具じゃ、緊張するでないぞ」
(いや、今そんなこと言われても無理だからな。)
「ようこそ。」
障子が開き、鋭い目の男が姿を現す。大内定綱。痩せた顔に鋭利な刃物のような視線。だが、口元にはわずかな笑み。
「貴殿が伊達の梵天丸殿か。……ほう、本当に童か。」
「失礼な挨拶ですね、それ。」
即答した瞬間、空気がヒュッと引き締まった。
(ファーストカウンター成功。)
「……ふむ。」
定綱が顎を撫でる。
「で、貴殿がわざわざ来たということは、降伏勧告か?」
「違います。」
「違う?」
「戦わずして勝つための“提案”です。」
俺は目を逸らさずに言った。
「相馬はもう貴方の援軍には来ない。梵天丸様の策で退けられたのです」
「フン、小僧の策など――」
「逆に伺いますが、戦って勝てる算段は?」
定綱の眉がピクリと動く。
「こちらが攻めた場合、田村家と伊達家で南北を封じられ、補給路が絶たれる。籠城戦に持ち込めば疲弊するのはこちら。奇襲?伊達領は黒脛巾組が網を張り、貴方の動きは全て筒抜け。」
「……」
「そして万が一、勝ったとしても――民草が疲弊し、残るのは焼け野原。」
「だが、伊達に屈するというのか?」
「屈するんじゃない、利を取るんです。」
(ひろゆき論破モード発動)
「それってあなたの感想ですよね?私の策の方が合理的なんですよ。」
「なに……?」
「貴方が生き残る道は“血縁を結び、領地を安堵し、伊達家の家臣として強固な基盤を築く”ことです。それが今この瞬間、最もローリスクでハイリターンな選択です。」
「だが俺は戦場でしか――」
「今の話を聞いて、まだ戦場で戦うことに価値があると本気で思ってるんですか?」
「……!」
定綱の眉間に皺が寄る。
(うん、追い詰めてきた。)
「私から見て、貴方は有能な知将です。だからこそ、無意味な戦で死ぬべきではない。」
「子供のくせに……」
「大人だからって正しい判断ができるわけじゃないですよ。」
完全に空気が張り詰める。
大内定綱の手が、腰の刀にかかった。
(来るぞ……)
目を逸らさず、定綱の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……!!」
刀が半分抜かれた瞬間――
「ヒュッ」
風を裂く音がした。
「……!!?」
次の瞬間、定綱の髷がスパッと落ち、床に転がった。
部屋中が静まり返る。
障子の陰で、黒ギャル肌の伊佐が笑顔で「えへ♡」と静矢を引く音だけが聞こえた。
「お主……!」
「幼子を斬ろうとするなど――」
声が響く。
「――愚の骨頂じゃ!!!」
虎哉宗乙師匠が鍋を抱えて立ち上がり、定綱の頭をバシン!と扇子で叩いた。
「痛ッ!!」
「自分が何をしたか分かっておるのか!梵天丸殿を斬ろうなど、どれほど愚かしいことか!」
「くっ……!」
髷のなくなった頭を押さえる定綱。武士として最大の恥辱に顔を真っ赤にして震えているが、刀は完全に鞘に収まっていた。
「貴方に残された選択肢は一つ。」
俺は息を整え、言った。
「伊達家に臣従し、民を守り、家を守ることです。」
定綱の目が揺れた。
俺と定綱の間の空気が、微かに温度を帯びて揺れる。
遠くで春風が庭の梅の枝を揺らし、一枚の花びらが風に乗って室内へと舞い込んだ。
(ここからが、本当の勝負だ。)