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『闇と光のあわいで』

湯治宿の廊下を春風が抜けていく。


その風に混じる桜の香りは心地よいのに、胸の奥にわだかまる不安だけは決して消えなかった。


俺は梵天丸。伊達家の嫡男でありながら、この体は六歳の幼子だ。


だが、この頭と心は違う。この戦国乱世を勝ち抜くための知識と覚悟を持っている。生きるための知恵を持ち、父輝宗、家臣たち、そして領民を守るために俺はいる。


そのために、大内定綱と直接対面する覚悟は決めていた。



「殿。」


障子がすっと開き、片倉小十郎が頭を下げながら入ってくる。


若い。だがその目には迷いがない。


「戻ったか。」


「はい。大内定綱殿、戦を望む気迫を見せつつも……梵天丸様にお目通りを願い出ました。」


その声に、湯治場の静かな空気が揺れた。


「大内定綱は本気か?」


「恐らく、戦を避けるための最後の一手として殿を見極めようとしております。」


俺は無言で頷いた。


戦を避けるために武を尽くし、最後に言葉で勝つ。


その戦の終局を、六歳のこの俺が背負うことになる。


「ご不安は、ございませんか?」


小十郎が俺の顔を真っ直ぐに見つめる。


「不安はある。」


俺ははっきりと言った。


「だが、小十郎。お前が戻ってきたことが、その不安を打ち消してくれた。」


小十郎の目が揺れ、表情が緩んだ。


「ありがとうございます。」


「これからはもっと大変だ。戦わずして勝つための最後の舞台になる。」


「はい。」



夜が深くなる頃、湯治宿の裏口で息を殺して影が揺れた。


障子越しの蝋燭の灯が揺れる頃、伊佐と小夜が静かに忍び込んでくる。


「殿。」


黒ギャル肌の二人がいつもの軽口もなく膝をつく。


「どうした?」


「報告があります。」


伊佐の顔がわずかに険しかった。


「鬼庭左月様が……勝手に動いております。」


「……どういうことだ?」


小夜が口を開く。


「左月様は殿が大内殿とお会いになることに反対のようで、もしもの時のために軍を動かしております。討ち取る準備かと。」


(左月の奴……)


あの男らしい。忠義が深すぎて時に目の前しか見えなくなる。


「父上は知っているのか?」


「知ってはおられぬかと。」


二人が顔を見合わせる。


「伊佐、小夜。」


「はい。」


「これ以上左月殿の動きを広げぬよう、黒脛巾組を通じて監視を続けろ。」


「はっ。」


「だが左月殿は敵ではない。あくまで俺を守ろうとしているだけだ。」


「分かっております。」


二人は深く頭を下げて影のように去った。



宿の一室、湯煙の残る室内に一人残った俺は深く息を吐いた。


(六歳の子供の身で大内定綱と対面する。)


本来ならば笑い話だろう。


だが、この戦国の世で生き延びるためには笑い事では済まされない。


俺が生き残り、伊達を守り、民を守るために――戦わずして勝つ。


(左月殿、俺を守ろうとしてくれる気持ちはありがたい。だが戦は避けねばならぬ。)


拳を握る。


(不動明王よ、どうか俺に力を。)


障子の外で風が揺れた。月が雲の切れ間から顔を出し、夜を白く照らす。


遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。


その声が、戦場で響く勝鬨の声に似ていると錯覚した。


(行くぞ、大内定綱。)


(お前がどれほどの策士であろうとも、この俺が、梵天丸が伊達家の未来を切り拓く。)


夜が明けようとしていた。



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