『風、試される刻』
俺は片倉小十郎。
戦場で血を流すよりも先に、言葉で戦う使命を託された、伊達家の若き使者だ。
だが、あの小手森の間で大内定綱と相対した時、戦場に立つよりも重い“死”の匂いを感じたことを、誰が知ろう。
◇
米沢城へ戻る道中、夜風が冷たかった。
春の香りを含む風が、鎧の隙間から入り込み、背筋を震わせる。だがその寒さは不快ではなかった。俺の中に燃える火を、逆に鎮めてくれるようだった。
(会わせてはもらえぬか、梵天丸とやらに。)
大内定綱が言った言葉が、耳の奥で木霊する。
(梵天丸様……今、貴方の未来が試される。)
◇
夜明け前、米沢城へ戻ると、すぐに輝宗様への拝謁が許された。
廊下を歩くと、蝋燭の灯りが障子に揺れていた。護衛の兵たちが俺の足音に合わせるように歩みを合わせる。
(これが戦だ。)
息を吐くと、白く霧散した。
「小十郎、戻ったか。」
上段に座する輝宗様が、静かに目を細めて俺を見ていた。
その隣には遠藤基信殿、鬼庭左月殿が控えている。重苦しい空気が部屋を満たしていた。
俺は深く膝をつき、頭を下げる。
「戻りました。」
「大内はどう出た?」
俺は顔を上げ、息を整えてから答える。
「大内定綱殿は、戦う姿勢を崩しませんでした。しかし――」
言葉を切る。
あの鋭い目と交わした視線を思い出す。
「伊達家からの好条件提示と、相馬の援軍が来ぬことを告げると、迷いが見えました。そして……」
「そして?」
輝宗様の声が低く響く。
「梵天丸様に会わせて欲しい、と。」
その瞬間、左月殿が勢いよく立ち上がった。
「何を言うか小十郎!大内風情に我が伊達の若様を会わせる必要などない!攻め落とせば良いものを!」
その怒声に、場の空気が震えた。周囲の家臣たちも顔を見合わせ、ざわつきが広がる。
「左月殿。」
静かに声をかけたのは遠藤基信殿だった。
「今は血を流す時ではありません。攻め落とせば良いと言いますが、無駄に兵を失い、民草を巻き込むことになりましょう。」
「だが……!」
左月殿が食い下がる。
「若が、まだ六歳の梵天丸様が、危険に晒されるのだぞ!」
その言葉が胸に刺さった。
(その通りだ。だが――)
「左月殿。」
俺は顔を上げ、目を逸らさずに言った。
「梵天丸様は、我らの想像を超えておられるお方です。不動明王の加護を得ていると、領内でも噂されています。それを信じる者がいるのなら――試す時ではありませんか。」
沈黙が落ちる。
蝋燭の火がまた揺れた。
基信殿が頷く。
「会わせてみる価値はあると存じます。」
左月殿が悔しそうに拳を握るが、それ以上言葉を続けなかった。
そして、輝宗様がゆっくりと目を閉じ、再び開く。
「梵天丸を試す良い機会だな。」
その言葉に場の空気が変わった。
「父としては息子を危険に晒したくはない。」
言葉が重く響く。
「だが、伊達を背負う者としては――この機会を逃すわけにはいかぬ。」
輝宗様の目が俺に向けられる。
「小十郎。」
「はっ。」
「お前は梵天丸の意思を信じるのだな。」
「はい。」
即答だった。
その時、輝宗様の口元がわずかに緩む。
「ならば、梵天丸に伝えよ。大内定綱に会うことを許すと。」
その言葉に胸の奥が熱くなる。
(梵天丸様――これで、あなたの未来がまた一歩前に進む。)
「はっ!」
深く頭を下げると、左月殿が俺を睨んだが、目の奥にあったのは憤怒だけではなかった。
「小十郎。」
「左月殿。」
「若を……頼むぞ。」
声が小さかった。
「心得ております。」
◇
春の風が米沢の城壁を越えて吹き込む。
その風はまだ冷たいが、遠くに香る花の匂いを運んでくる。
廊下を歩きながら、俺は拳を握った。
(俺の戦は、まだ終わらない。)
(梵天丸様。次は、あなたがこの戦場に立つ番です。)
夜明けの光が障子越しに差し込み、伊達の未来を照らしていた。