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『風、試される刻』

俺は片倉小十郎。


戦場で血を流すよりも先に、言葉で戦う使命を託された、伊達家の若き使者だ。


だが、あの小手森の間で大内定綱と相対した時、戦場に立つよりも重い“死”の匂いを感じたことを、誰が知ろう。



米沢城へ戻る道中、夜風が冷たかった。


春の香りを含む風が、鎧の隙間から入り込み、背筋を震わせる。だがその寒さは不快ではなかった。俺の中に燃える火を、逆に鎮めてくれるようだった。


(会わせてはもらえぬか、梵天丸とやらに。)


大内定綱が言った言葉が、耳の奥で木霊する。


(梵天丸様……今、貴方の未来が試される。)



夜明け前、米沢城へ戻ると、すぐに輝宗様への拝謁が許された。


廊下を歩くと、蝋燭の灯りが障子に揺れていた。護衛の兵たちが俺の足音に合わせるように歩みを合わせる。


(これが戦だ。)


息を吐くと、白く霧散した。


「小十郎、戻ったか。」


上段に座する輝宗様が、静かに目を細めて俺を見ていた。


その隣には遠藤基信殿、鬼庭左月殿が控えている。重苦しい空気が部屋を満たしていた。


俺は深く膝をつき、頭を下げる。


「戻りました。」


「大内はどう出た?」


俺は顔を上げ、息を整えてから答える。


「大内定綱殿は、戦う姿勢を崩しませんでした。しかし――」


言葉を切る。


あの鋭い目と交わした視線を思い出す。


「伊達家からの好条件提示と、相馬の援軍が来ぬことを告げると、迷いが見えました。そして……」


「そして?」


輝宗様の声が低く響く。


「梵天丸様に会わせて欲しい、と。」


その瞬間、左月殿が勢いよく立ち上がった。


「何を言うか小十郎!大内風情に我が伊達の若様を会わせる必要などない!攻め落とせば良いものを!」


その怒声に、場の空気が震えた。周囲の家臣たちも顔を見合わせ、ざわつきが広がる。


「左月殿。」


静かに声をかけたのは遠藤基信殿だった。


「今は血を流す時ではありません。攻め落とせば良いと言いますが、無駄に兵を失い、民草を巻き込むことになりましょう。」


「だが……!」


左月殿が食い下がる。


「若が、まだ六歳の梵天丸様が、危険に晒されるのだぞ!」


その言葉が胸に刺さった。


(その通りだ。だが――)


「左月殿。」


俺は顔を上げ、目を逸らさずに言った。


「梵天丸様は、我らの想像を超えておられるお方です。不動明王の加護を得ていると、領内でも噂されています。それを信じる者がいるのなら――試す時ではありませんか。」


沈黙が落ちる。


蝋燭の火がまた揺れた。


基信殿が頷く。


「会わせてみる価値はあると存じます。」


左月殿が悔しそうに拳を握るが、それ以上言葉を続けなかった。


そして、輝宗様がゆっくりと目を閉じ、再び開く。


「梵天丸を試す良い機会だな。」


その言葉に場の空気が変わった。


「父としては息子を危険に晒したくはない。」


言葉が重く響く。


「だが、伊達を背負う者としては――この機会を逃すわけにはいかぬ。」


輝宗様の目が俺に向けられる。


「小十郎。」


「はっ。」


「お前は梵天丸の意思を信じるのだな。」


「はい。」


即答だった。


その時、輝宗様の口元がわずかに緩む。


「ならば、梵天丸に伝えよ。大内定綱に会うことを許すと。」


その言葉に胸の奥が熱くなる。


(梵天丸様――これで、あなたの未来がまた一歩前に進む。)


「はっ!」


深く頭を下げると、左月殿が俺を睨んだが、目の奥にあったのは憤怒だけではなかった。


「小十郎。」


「左月殿。」


「若を……頼むぞ。」


声が小さかった。


「心得ております。」



春の風が米沢の城壁を越えて吹き込む。


その風はまだ冷たいが、遠くに香る花の匂いを運んでくる。


廊下を歩きながら、俺は拳を握った。


(俺の戦は、まだ終わらない。)


(梵天丸様。次は、あなたがこの戦場に立つ番です。)


夜明けの光が障子越しに差し込み、伊達の未来を照らしていた。

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