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『小手森、影の誓い』

俺は片倉小十郎。


父の片倉景綱(この時はまだ景綱の名を襲ってはいないが、俺自身の誇りとしてここに刻む)から叩き込まれたのは、剣術よりも前に忠義の心だった。


だが今、この胸に宿っているのはただの忠義ではない。


梵天丸様――六歳の幼き殿が描く未来のため、戦わずして勝つための“言葉”という戦を、俺が担わねばならぬという使命だった。



春の匂いが混じる土埃が鼻をついた。


小手森城の城門前、馬から降りた俺は、黒脛巾組の忍びたちが影のように散りつつ見守るのを背に感じながら、深呼吸を一つした。


(大内定綱……知将、癖者、戦場での読みも早く、謀略にも長けている男。)


相馬からの援軍に賭け、大内の独立を守るためなら自ら兵を率いてでも戦う男。


(だが――その未来はもう無い。)


梵天丸様が描いた未来に、相馬の援軍はもう到達しない。あの方の策略で既に霧の中で伏兵に討ち取られ、道は封じられている。


小手森の門が開く。城内に入ると、石垣の間を抜ける春風が冷たい。


案内役の老臣に導かれ、広間へ通されると、黒漆の甲冑を脱ぎ、肩に布をかけた男が座していた。


鋭い眼光、痩せた頬の奥に潜む気迫。


これが大内定綱。


「ほう、伊達の使者というのが貴様か。」


声は低く響き、圧を持っていた。


俺は膝をつき、深く頭を下げる。


「伊達家の家臣、片倉小十郎にございます。」


定綱の眼光が俺を射抜いた。しばしの沈黙が降りる。


「小十郎……その若さで使者とはな。」


「若輩ながら、殿の御意を伝えるため参上いたしました。」


「戦うつもりなど無い。降れと、そう申すか?」


低く笑う声に、周囲の家臣たちが苦笑した。空気が張り詰め、武士たちの手が太刀の柄にかかる音がわずかに響く。


俺は顔を上げ、目を逸らさずに言った。


「大内殿。頼みの綱であった相馬の援軍は、もう来ません。」


「……何?」


「伊達家の若様、梵天丸様の策により、相馬は既に退けられました。」


「戯言を!」


椅子から立ち上がる定綱の影が長く伸びる。


「たかが六歳の童に、相馬が敗れるものか!」


「童、ではございません。」


俺は拳を握り、低く静かに言った。


「梵天丸様には不動明王の加護がございます。自ら出張らずとも、相馬ほどの兵力を退ける知謀と信念をお持ちです。」


「不動明王……」


定綱の目が揺れる。その背後で家臣たちが顔を見合わせる。伊達領内で囁かれる『梵天丸は不動明王の加護を受けている』という噂は既に伝わっているらしい。


定綱の目が俺を睨む。


「それで?降れと言うのか?」


「いえ。」


俺は静かに息を吐く。


「小手森城と領地の安堵。そして伊達家より人質として伊達家当主養女を大内家血筋の者に嫁がせます。それを条件に、伊達家への臣従を求めます。これほどの好条件を持って大内殿には降伏していただき伊達家家臣団に加わっていただきたいと殿・・・・・・いや、若、梵天丸様が仰せです」


定綱が一歩近づいた。その気迫は殺意すら帯びていた。


「臣従……?」


「無駄な血を流さずにすむ、好条件かと存じます。」


しばしの沈黙。


蝋燭の火が揺れる。外で風の唸りがした。


「……貴様は伊達輝宗に言わされたのか?」


「いえ。」


俺は言った。


「これは梵天丸様の意志でございます。」


「……六歳の小童が、か。」


定綱は鼻で笑い、後ろを向く。背中越しに、その肩がわずかに震えているのが見えた。


長い時間が流れた。


「……その梵天丸とやら。」


「は。」


「会わせてはもらえぬか?」


その声に、俺の胸が震えた。


「小手森は守りたい。民も、領地も守りたい。だが血は流したくはない。」


「……承知いたしました。」


俺は深く頭を下げた。


「帰参し次第、梵天丸様へ取り次ぎ、父君輝宗様にもお伝えいたします。」


定綱が振り返る。その顔にあったのは険しさだけではなかった。


「伊達に仕えることが、我らにとって最善かどうか。……それを確かめたい。」


「はい。」


「だが誓え、小十郎。」


「……?」


「梵天丸が、器の小さな子供であったならば、この同盟は破棄する。」


「……わかりました。」


立ち上がり、定綱の眼を見据える。


「ですが、殿は、未来を拓くお方です。」


言い切ったとき、自分の心が燃えるのを感じた。


(俺が信じたあの瞳は、間違っていない。)


春風が小手森の高窓を揺らした。


この風が吹く頃、戦場ではなく、未来のための誓いが結ばれるだろう。


そう信じながら、俺は伊達の本陣へと帰路についた。



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