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『雪融けを待つ策──六歳の密議』

雪は、まだ融けぬ。


米沢城の裏手に広がる杉林は、白く、深く、静かだった。空気を切るような冷たさが頬を刺し、吐く息はすぐに白くなり、かき消える。


そんな朝だった。


「梵天丸、参れ。」


呼ばれた声は、冷たくはなかった。むしろ暖かく、しかし張り詰めた芯を孕んでいた。


父・伊達輝宗は、上段の間で座していた。障子越しに差し込む白い光が、その背を金の縁に縫い取っていた。


「は。」


私は膝を折り、畳の上に両手をついた。六歳の身体は小さく、しかし胸の奥の炎は、大人と変わらぬほど熱かった。


父は私を見つめ、その目の奥に静かな光を宿していた。


「この雪が融ける頃、何を成すべきか、考えておるか。」


問われた瞬間、私の背筋は自然と伸びていた。呼吸が浅くなり、心臓が高鳴るのを感じながらも、目を逸らさず父の瞳を見つめた。


「父上、この冬が明け、雪が融け、春風が吹くころ……我ら伊達家が次に討つべきは、小手森の大内定綱かと存じます。」


輝宗の目が細められた。その眼差しは問いかけるようであり、試すようでもあった。


「理由を申せ。」


私は深く息を吸い込んだ。冷たい空気が肺を刺すように入ってくる。だが、その冷たさが私の頭を冴え渡らせる。


「大内定綱は三春の田村家と相馬家の間に立つ小手森城を領しております。この城を討つは、相馬への道を開く要にございます。しかし、正面から討つは損耗が多く、また相馬が定綱に援軍を送る可能性も高うございます。」


言葉を選びながらも、声は震えなかった。父の視線が私の声の奥を見極めるように突き刺さるのを感じる。


「よって、三春の田村家に協力を仰ぎ、定綱を挟撃する体で軍を動かし、その動きの裏で使者を送り、『伊達家に帰順せよ』と説き伏せることが肝要と存じます。」


父の目がわずかに大きくなった。それは幼子の口から発せられるには重すぎる策であったのだろう。


だが、私は言葉を止めなかった。止めてはならなかった。


「加えて、定綱に格段の厚遇を示すべく、伊達家血縁の娘を養女に迎え、定綱へ嫁がせます。これにより、定綱は相馬と袂を分かち、伊達家の家臣となりましょう。」


言い終えたとき、私の呼吸は乱れていた。唇が乾いていたが、目だけは逸らさずに父を見つめ続けた。


沈黙が落ちた。


広間に響くのは、雪が屋根から落ちる音だけ。父は目を閉じ、静かに呼吸し、そして目を開けた。


「梵天丸よ……六歳で、そのようなことを考えておるのか。」


その声は低く、しかし笑みが滲んでいた。


「……父上、戦とは力で勝つだけではございませぬ。情報と交渉を用い、戦わずして勝つことこそ、家を興す道でございます。」


「……戦わずして勝つ、か。」


輝宗は短く笑った。その笑みに、父としての誇らしさと、主としての計算が混じっているのを私は見逃さなかった。


「相馬が援軍を送ってきたときはどうする。」


その問いを待っていた。


「国境の山道に、黒脛巾組の忍びを配し、ボウガン『静矢』を装備させた伏兵を用意いたします。相馬の援軍が道を通ろうとしたとき、一斉に矢を浴びせ、進軍を阻むのです。」


父の目が鋭くなった。鋭く、そして嬉しそうでもあった。


「その兵糧と矢はどうする。」


「冬の間に黒脛巾組に矢の製造を続けさせ、さらに『静矢』の改良型を準備いたします。兵糧は村々に命じて乾飯を備蓄させ、伏兵の食を確保します。」


「ほう……」


父は頬を撫で、目を細めた。厳しい冬の朝、外では雪がまだ降り続いていたが、その視線には確かな熱があった。


「梵天丸よ……お前は何を目指しておるのだ。」


その問いは父親ではなく、伊達家の主から伊達家の後継者へ向けられたものだった。


私は拳を握りしめ、雪の匂いのする空気を胸いっぱいに吸い込み、答えた。


「この乱世を、終わらせるための道を歩みます。伊達家が栄え、民が飢えずに生きられる世を作るため、そのために、私は相馬を討ち、常陸へ抜け、京を目指します。」


言葉が終わったあとも、その余韻が広間に残った。父は長い沈黙のあと、ゆっくりと笑った。


「ならば……歩め、梵天丸。この雪が融けるとき、お前の策が始まる。」


その瞬間、私は知った。


父は私をただの幼子としては見ていない。


戦国を生きる者として、同じ目線で見ているのだと。


雪はまだ降り続いていた。


だが、この雪が融けたとき──


私の戦が始まる。


私の天下への道が、動き出すのだ。


そしてその時が訪れるまで、私は六歳のこの身体で、ただひたすらに準備を重ねるだけだった。


(了)

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