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『初暁に立つ──若者に降り注ぐ日ノ本の光』

1573年、正月の朝。


米沢城の大広間は、冷たい空気と凛と張り詰めた沈黙に包まれていた。障子越しに差し込む光が雪の反射で白く、冷たく私の頬を照らしていた。


私は、梵天丸、六歳。だがこの胸の内は、すでに幼子のそれではなかった。


父・輝宗が座す上段の間、その左手に私が控え、前には家臣たちが居並んでいた。片倉小十郎、鬼庭左衛門、黒脛巾組の伊佐と小夜もそこにいる。その全員の視線が、今、この小さな身体の私に向けられていた。


緊張で呼吸が浅くなるのを感じる。だが恐怖はなかった。身体は震えても、心は静かだった。


「梵天丸様、本年もよろしくお願い申し上げます」


鬼庭左衛門が頭を下げる。次に小十郎が続く。その声が広間の空気を振るわせ、私の心臓の鼓動と重なった。


私は立ち上がった。六歳の身体では座った家臣と目線が同じ高さになることもある。それが不思議と、私には好都合だった。


深く息を吸い込む。冷たい空気が肺を満たし、吐く息が白く流れた。


言葉が口をついて出る前に、私は脳裏で思い出していた。不動明王の前で誓ったあの日。血と涙を知ることを決め、戦乱を生き抜くと誓ったあの夜の炎のような決意を。


「……拙い歌を、一つ」


声が静まり返る。障子の外、雪が枝から落ちる音さえ聞こえるほどの静寂の中、私は口を開いた。


「雪白き 峯のかなたに 陽は昇り 道なき道を 我は征かなん」


声は幼い。それは否定しようのない事実だ。だがその言葉の奥には、六歳児とは思えぬ熱と重みが宿っていた。


歌が終わった瞬間、空気が動いた。家臣たちが顔を上げた音、衣擦れの音、静寂を破る鼓動の音が私の耳に伝わる。


小十郎の瞳がわずかに揺れるのが見えた。左衛門がごくりと唾を飲む音がした。伊佐が目を伏せ、小夜がその肩を支えるように小さく息を吐いた。


父・輝宗の目が細められ、その奥で静かに光が灯った。母・義姫は、扇で口元を隠しながらも目だけで私を見つめていた。その目に、かすかな驚愕と……わずかながら誇らしさが滲んでいるのを私は見逃さなかった。


「……道なき道を、征く」


私の胸が熱くなった。この場にいる全員に伝わったのだ。この言葉が、未来への覚悟であることが。


私は、米沢城の雪の匂いを吸い込みながら、小さく笑みを浮かべた。


家臣たちはその和歌の意味を理解しようとするかのように沈黙を続けていた。六歳の子供の声が告げたのは、ただの新年の挨拶ではなく、己の道を切り開く覚悟の言葉だったからだ。


鬼庭左衛門がゆっくりと頭を上げ、目に光を宿して私を見つめた。その瞳には誇りと決意が映っていた。片倉小十郎もまた、小さく息を吐きながら頭を下げ直した。彼らは私の言葉をただの言葉としてではなく、未来の命令として受け止めているのだとわかった。


伊佐と小夜は視線を合わせ、そして私を見つめ、小さく頷いた。幼き主であっても、これから進むべき道を示してくれるのならば、それに従うと告げるように。


父・輝宗は目を細め、笑みを浮かべながらも、その奥の瞳にはわずかな驚愕と喜びが入り混じっていた。母・義姫もまた扇を下ろし、私を見つめて小さく息を吐き、目を閉じてから静かに目を開いた。


大広間には冷たい風が入り込み、障子を揺らした。雪の匂いが再び鼻をくすぐり、私の心を引き締めた。これが私の戦いの始まりなのだ。この覚悟を胸に刻み、この先どれほど困難な道であろうとも歩みを止めないと決めた瞬間だった。


私は目を閉じ、再び深く息を吸い込んだ。そして静かに吐き出しながら目を開け、家臣たち一人一人の目を見つめてゆっくりと頭を下げた。彼らもまた、次々と頭を下げ、年始の儀が終わったことを告げた。だがその沈黙の中には確かに、私への信頼と未来への期待が刻まれていたのだと、私は確信していた。


家臣たちが静かに退場し、大広間には父・輝宗と私、そして母・義姫だけが残った。障子の外では雪が降り続き、屋根に落ちる雪の音だけが響いていた。


父は私を見つめ、目を細めて小さく笑んだ。その微笑みの中には父親としての喜びと、主としての誇りがあった。


「梵天丸、その和歌……よく詠んだな。」


私は父の言葉に頷き、しかしその胸の奥にはまだ緊張が残っていた。父の言葉は温かかったが、それ以上にその瞳に宿る真剣さが私を見抜こうとしているのを感じていた。


「……ありがとうございます。」


それだけを言い、私は深く頭を下げた。


母・義姫は少しだけ目を伏せ、扇を閉じて立ち上がり私の前に近づくと、その目を私に合わせて言った。


「道なき道を征く……それは容易なことではありません。」


私は母の目を見つめ、そして小さく息を吐いた。


「はい。それでも、私は進むと決めました。」


その言葉に母は目を伏せ、そして再び私を見つめると、微かに笑った。その笑みはとても小さく、それでも私には十分な温かさを感じさせてくれた。


「……風邪をひかぬようにな。」


そう言うと母は立ち去り、大広間には父と私だけが残された。父は私を見つめながら、深く息を吐き、小さく頷いた。


「戦の世だ。道なき道を征く覚悟があるならば、その道を歩む支度をせねばならぬ。」


私は父の言葉を胸に刻み、そして強く頷いた。これから先、戦乱の中で何が待ち受けていようとも、この決意を胸に歩むことを誓ったのだった。

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