『不動の誓い──戦国に生きると決めた夜』
風が、雪を攫っていた。
白く降り積もった参道に、小さく、ふたつの影が寄り添って歩く。黒く装った伊佐と小夜だ。ふたりとも、膝下までの裾を結い、雪を蹴立てぬよう足取りは軽い。私はその後ろ姿を追い、静かに歩を進めていた。
年の瀬──。
大晦日の今夜、私は再び、あの寺を訪れていた。
この身を護り給うと、初めて祈った日から、まだ幾月も経っていない。しかしあのときの私は、幼さのうちに手を合わせていただけだった。……だが今夜は違う。
私は、戦うと決めた。
天下を、掴むと誓った。
だからこそ、もう一度、不動明王の前に立たねばならぬのだ。
無言のまま石段を登る。霜を踏む音、鳥居を抜けた風の音が、身を切るように鋭い。月もない。灯りもない。ただ、雪が、静かに降っている。
やがて、堂が見えた。
小さな伽藍だ。だが、あの像は──不動の仏は、今も、そこに在る。
「ここより先は、お一人で……?」
伊佐が問い、小夜がひとつ頷く。ふたりの顔に、いつもの軽口はない。黒ギャルめいた化粧の奥に、まっすぐな眼があった。
「ああ。しばし、待っていてくれ」
私は雪に足を取られぬよう踏み締めながら、堂内に足を踏み入れた。白息をひとつ吐いてから、肩を落とす。静謐な闇に、不動明王の像が浮かんでいた。
──灯明もない。
しかし、その仏は、燃え盛るような気配を纏っていた。左手に羂索。右手に剣。牙を噛みしめ、憤怒の相をもって睨むその目は、夜の闇を穿っていた。
(……やはり、怖い)
心が、言った。
しかし、足は止まらなかった。怖れてなどいられぬ。戦国に生きるとは、命を懸けるということだ。
私はそっと、膝をつく。
凍えた手で、額に触れる。
そして──両の掌を合わせた。
「……不動明王よ。お前様に、再び願いに参ったわけではありませぬ」
声は震えなかった。いや、震えるわけにはいかなかった。
「我が名は、梵天丸──伊達の嫡子。この身はすでに、戦乱に投げ込まれ、父の名を背負うもの。……されど、幼きままに死にたくはない。逃げる気もない。ただ、私は……」
唇を噛む。歯に力を込め、灰のように脆くなりかけた胸の奥に、声を絞り出す。
「……私は、戦国に生きます」
不動明王の沈黙が、私の誓いを照らす。炎もないのに、その像の瞳が、熱を持って私を見据えているような気がした。
「最上を討ち、相馬を挫き、常陸を越え、その先の道を征く。その先にあるものが、何であれ──私は、引かぬ。奪われることを拒み、与えられるだけの命を、拒む」
手が、痛い。冷え切った指の感覚が薄れていく。しかし──心は、熱を増していく。
「父を越え、天下を掴む。……そのために、今日この身を賭す覚悟を、この不動尊の御前にて、誓いまする」
そのときだった。
背後に、風が走った。
堂の外。静かに見守っていたはずの伊佐と小夜の気配が、わずかに揺れた。だが私の集中は解けなかった。もう、戻れぬと知っていたからだ。
戻れば、母の手のぬくもりも、弟の笑顔も、次第に遠ざかる。
戻れば、安らぎも、許される幼さも、いずれ私から去る。
だがそれでいい。
私は、戦国の世を生き抜く。
生き延びるのではない──勝ち抜く。
その決意を、祈りではなく、誓いとして、不動明王に刻んだ。
「……我が願い、聞かれずとも結構。されど我が誓い、揺らぐことなし」
私は、静かに頭を垂れた。
もはや祈るのではない。
この仏前に、己の信を突き立てたのだ。まるで、戦場で槍を立てるように。
堂を出ると、伊佐と小夜が、黙ってそこに立っていた。雪の上に黒装束が映える。ふたりとも、私を一瞬見つめ、そして無言のままうなずいた。
「……帰ろう。年が明ける」
私は、振り返らなかった。
不動明王像が今も背後にあることを、私はもう、疑わなかったからだ。