『雪の庭にて──兄弟と母の間に降るもの』
雪は、俺の掌の上ですぐに融けた。
けれど、あいつは笑っていた。俺の弟、竺丸。まだ三歳の、あどけない声で「にいさま、みてみて!」と叫びながら、俺がこさえた雪玉よりもずっといびつな形の雪の塊を掲げて見せる。
「……雪だるまの、つもりか?」
「うんっ! あたま!」
頭、と呼ばれたその雪の塊には、赤い南天の実がふたつ、まるで目のように並べられていた。どうやら、目と口もつけてやれば、雪だるまに仕上がるということらしい。なるほど、弟にしては上出来だ。
俺は笑いを堪えながら、雪の上に膝をつく。
「では、胴体も作らねばな。お竺、雪を集めるぞ」
「おう!」
雪を集めては丸め、転がし、押し付けて形を整える。俺の指先はじんじんと痛むが、それよりも大切なことが今はある。俺と竺丸が、こうして並んで何かを作るのは、はじめてに近い。
竺丸は、俺と違って母に可愛がられている。たしかに俺は、兄としての立場があり、幼くとも家を継ぐ定めがある。だからこそ、俺が弟と戯れるなどと、きっと不敬に映るのだろう。
けれど、そんな理屈はどうでもよかった。
「うはぁ、てが、つめたいぃ……」
「辛ければ、部屋に戻るか?」
「……やだ、もっとやる」
竺丸の手が、真っ赤になっているのを見て、俺は懐の小さな布を広げた。
「手を、貸せ」
「にいさま?」
布で、竺丸の小さな手を包む。じんわりと、雪の冷たさが染みてくるのがわかる。
この子を、守らねばならぬ。
戦が迫っていようと、家中に軋みがあろうと、俺が兄として、この子の盾にならねばならない。
そのときだった。
「──梵天丸! 何をしておられます!」
背後から、鋭い声。
振り返らずとも、誰の声かはわかった。
母、義姫。
雪の中、白い衣の上に紫の羽織をまとった母が、ゆっくりと歩いてくる。
「こんな寒空の下で……お竺が風邪を引くではありませんか」
声の調子は静かであったが、その内には怒気が含まれていた。
「……私が、見ておりました。寒さに耐えかねるほどでは──」
「兄ならば、なおさら弟の健康を思うものです」
ぐっと、言葉が詰まった。
たしかに、そうだ。
けれど──
「……母上は、私が竺丸と遊ぶのが、不満なのですか」
問うた声は、自分でも驚くほど冷えていた。
義姫は眉を寄せ、口元をきゅっと引き結ぶと、ややあってからこう言った。
「いえ……不満ではございません。ただ、あなたは……殿です」
──殿。
母は、俺を名前で呼ばぬ。
梵天丸、とも。
ただの、我が子、としても。
いつも、家督を継ぐ者として、父の代わりとして、殿として、俺を見ていた。
それは、誇らしくもあり、苦しくもあった。
「……私は、兄です。竺丸の、ただの、兄です」
義姫は、それに答えなかった。
凍てつく風が、庭の松を揺らした。
「さ、戻りましょう。竺丸が冷えてしまいます」
そう言って、母はそっと竺丸の手を取った。
俺の手から、弟のぬくもりが奪われていく。
竺丸は、なにも言わず、ただ俺を見た。小さく唇を結んだまま、寂しげに目を伏せた。
──何かが、すこし、遠ざかる音がした。
俺はその場に立ち尽くしたまま、雪の上にぽつりと残された、小さな南天の実を見下ろした。