『影の命──情報こそ、戦なり』
朝靄がまだ城下を包んでいた時刻、俺は密かに黒脛巾組の一行を呼び出した。人目のない奥庭、風の音と鳥の囀りが交錯する静寂のなか、小夜と伊佐が膝をつき、他の忍びたちも黒衣を揃えて俺の前に並んだ。
この者たちは、俺が信じて任せた影の兵。いかに幼き身といえど、彼らはもはや俺の家臣だ。だからこそ、次の命は心して言葉を選ばねばならぬ。
「……戦は、すでに始まっている」
小夜が微かに眉を動かした。伊佐は息を呑み、他の忍びたちも静かに耳を傾けている。
「刀を交える前に、勝敗は決する。情報──それがすべてを決める」
俺は腰に差した短刀を外し、その鞘を小夜へと差し出した。これは形代。今日、この命を託す象徴だ。
「以後、最上義光の動き、蘆名盛氏の兵の移動、相馬義胤の領国の情勢、佐竹義重の城下の気配、ひとつ残らず、逐一報せよ」
誰も言葉を発しない。ただ、一様に深く頷く。
「……それだけではない」
俺は一歩、近づく。
「京の情勢も掴め。織田信長という男が、東を狙う日が来る。いまはただ尾張の一武将に過ぎぬが……やがてこの戦国の天秤を動かす」
忍びたちの気配が微かに変わった。信長という名は、すでに東北にも届いている。それを俺の口から聞いたことに、彼らは驚きを隠しきれぬのだろう。
「そして──大内定綱」
その名を出したとき、小夜と伊佐が一瞬だけ視線を交わした。
「あの男を我が家に引き入れる。策略を弄せ。手段は問わぬ。だが、礼を失うな。彼ほどの知略を持つ者を、味方にせねば未来はない」
黒脛巾組の長──影頭の男が、一歩進み出て頭を下げた。
「御意。梵天丸様の御命、影として必ず果たしてご覧にいれまする」
まだ俺は六つ。されど、目指すものは定まっている。伊達家を守り抜くためには、今この瞬間から、未来への布石を打たねばならぬ。
「頼むぞ。お前たちは、俺の目であり、耳であり、矢であり、盾だ」
そう告げると、小夜は静かに微笑んだ。幼くとも主たる俺を、一度として侮ることのないその眼差しに、胸の奥が熱くなった。
「……それがしらは、ただ影にて輝きを支えるのみ。梵天丸様が陽の道を歩まれますように」
この一歩が、戦国を変える第一の楔となる。
俺の中で、確かに何かが、また前へと進み始めていた。