『お粥と土下座と、美青年家臣』
朝、目を覚ましたときには、すでに空が明るくなっていた。
右目は、やっぱり見えなかった。
でも──不思議と、昨日ほどの痛みはない。
「梵天丸さま……起きておられますか?」
襖の向こうから、柔らかい声。
言うまでもなく、喜多さんだ。
「はい、なんとか……」
声がちゃんと出た。それだけで少しうれしい。
襖が静かに開くと、朝の光を浴びた喜多さんが、
湯気の立つお盆を手にして、そっと中へ入ってきた。
「……今朝は、白粥でございます。少しですが、梅肉も添えました」
そう言って微笑んだ彼女の顔が、朝日を受けてとても眩しかった。
なんだろうな。やっぱり美人は光の角度を味方にするのか?
「はい、どうぞ。……あーん」
「えっ、え、あ、ん?」
俺は反射的に目を逸らした。いや、目は一個しかないけど。
なんでだよ! もっと覚悟してあーんしてくれよ俺!
「ふふ、顔が赤くなられました」
嬉しそうに笑うの、やめて。
看病モードでこれは反則。
心拍数が粥の温度より高くなってる。
それでも、大人しくスプーン(というか漆の匙)を口に運ぶ。
優しい味だった。熱くもなく、ぬるすぎもせず。
絶妙なタイミングで、ほんのりしょっぱい梅肉の香り。
「……うまいです。っていうか、生きてる味がします……」
「まあ、生きてますから」
さらっと返されて、ちょっと笑った。
ふと、喜多さんが視線を横にやった。
「……梵天丸さま、あちらを」
彼女の視線の先──障子の向こうに、庭が見えた。
朝霧に煙る芝生の上。そこに──人影が、ひとつ。
黒髪の青年が、静かに膝をつき、頭を深々と地に伏せている。
無言のまま、微動だにしないその姿は、まるで石像のようだった。
「……あれ、あれって」
喜多が、少し目を伏せたまま答えた。
「弟……片倉小十郎です。
朝から、ずっとあのまま……お詫びを述べることさえ許されぬまま……」
……うわ。ガチ土下座か。
ていうか、庭で。朝露の中で。素足で。
いくら忠義の人っていっても、それやりすぎでは。
いや、でも。目を潰した張本人だしな。
……でも、やっぱり、なんかもう、むしろ可哀想になってきた。
「喜多さん。窓、ちょっと開けてください」
彼女が障子を少しだけ開けてくれた。
朝の冷たい空気が、部屋にすうっと入ってくる。
「──おい、小十郎ーッ!」
叫ぶと、ピクリと彼の肩が震えた。
だけど、顔は上げない。まだ、土下座のままだ。
「頭、上げろーッ。俺、怒ってないから!
ていうか、目は戻らないけど命は戻ったし、
気にしてたら、こっちが恥ずかしくなってくるんだよ!!」
声が裏返りそうになったけど、なんとか言い切った。
「それに、お前さ──将来、俺の筆頭家臣になるんだろ?」
さすがにそこまで言ったら、小十郎がゆっくりと顔を上げた。
朝日を受けたその顔は、まるで美少年が土でスチーム処理されたみたいになっていた。
泥まみれ。露まみれ。赤くなった目。
でも、その顔ははっきりと──泣いていた。
「……梵天丸さま。……恐れながら……僭越ながら……」
「もういいって!」
俺は粥の椀を置いて、無理やり上半身を起こした。
フラつきながらも、左目でしっかりと彼を見据える。
「目は……くり抜かれても、まだひとつあるし、未来も見える。
だから、お前はこれから俺の右目になって、
……ちゃんと支えてくれよ、片倉小十郎」
その瞬間、小十郎の瞳が震えた。
そして、ふたたび頭を下げる。けれどそれは、もう“詫び”ではなかった。
「……この命、全てを賭して、梵天丸さまをお支えいたします」
キラリと、朝日に濡れた露が飛んだ。
……ああ。
たぶん、これが“戦国の絆”ってやつなんだろうな。
ちょっとオーバーだけど、嫌いじゃない。
「喜多さん、粥、もう一口いいっすか」
「……はい。たくさん召し上がって、回復してください」
笑った。
彼女が笑うと、なんだかこっちまで元気になる。
片倉小十郎。美人の姉・喜多。
俺には、すでに大事な味方ができている。
さて──ここから、俺の天下取りが始まる。
右目を失っても、未来はちゃんと見える。
「よーし……次は信長様に会ってみたいな……」
ぽつりと呟いた声は、まだ誰にも聞こえていない。
けど──それはもう、物語の始まりの合図だった。