『幼き交渉──影に与える地を求めて』
米沢城・本丸の奥、書院造りの広間に、静かな空気が張りつめていた。
畳の目に反射する冬陽が、どこか冷たく、鋭く感じるのは、俺の胸の内が、まるで刀剣のように張り詰めていたせいだろう。
「父上……ひとつ、願いがございます」
六歳児にして、願いを口にするというのは容易なことではない。だが、俺にはそれが“仕事”だった。
この国を守るため。生き残るため。そして、いずれ来る苛烈な未来に備えるために。
「申してみよ、梵天丸」
父──伊達輝宗が、静かに筆を置き、俺の方を見た。
その眼差しは、いつものように穏やかでいて、決して甘やかしではない。父として、そして当主として、俺という子供に真剣に向き合ってくれる――そんな“覚悟”を感じた。
「かねてより進めておりました、新式の弩、名付けて“静矢”──その試作が、ついに完成いたしました」
父はわずかに眉を動かしたが、口元は動かさなかった。無言で続きを促している。
俺は膝に置いていた図面の巻物を、両手で掲げて進み出た。
「構造を簡略にし、持ち運びに優れ、音を抑えた機構を施しました。加えて、連射可能な次世代の連弩も、構想の段階にございます」
「連弩……? それは、あの諸葛孔明が用いたとされる……?」
父がはじめて声を出した。
俺は深く頷き、慎重に言葉を重ねる。
「はっ。いまだ図上の策ではございますが、“影の兵”にこそ相応しき具足と考えております」
「影の兵、とは……?」
「──黒脛巾組にございます」
この瞬間、空気が変わった。障子越しに射す光が、白く乾いた冷気のように、室内の緊張を一層高めた。
「黒脛巾を……家臣としたか?」
父の声は低かった。怒りとも、驚きとも違う。だが、確かに“重さ”が宿っていた。
「いえ、家臣にしていただきました。俺が頭領と直に交渉し、対話の末、彼らが“伊達家の家臣にあらず、梵天丸様を主と仰ぐ”と申しました」
父の瞳が、じっと俺を射抜いた。
「六歳の童子が、忍びの頭と直に話を通したというのか……」
「はっ。彼らの技、忠義、信義、すべてを見て参りました」
父は、ふう、と一度だけ深く息を吐き、筆を置いた。
そのまま、立ち上がると、窓際へ向かい、庭を見下ろす。
俺はそれを追いもせず、ただ静かに正座のまま、背筋を伸ばし続けていた。
「で、梵天丸。その“静矢”の功に対し、そなたは何を望む」
きた。
俺は一瞬、目を閉じた。息を整え、魂を込めて言葉を紡ぐ。
「はっ。願わくば、五百石の領地を、彼ら黒脛巾組に与えていただきたく存じます」
父は、その背を俺に向けたまま、黙していた。
雪を含んだ雲が、庭木の影を揺らす。白梅の枝が風にこすれ、わずかに軋む。
時間が止まったかと思うほどの静けさだった。
やがて、父はゆるりと振り返った。
「──六歳で、領地を求めるか」
「……はい」
「それは、そなたのためか?」
「いいえ。黒脛巾組は、今後、我が伊達家において“戦わぬ戦”を遂行するための要にございます。情報こそ、戦を制す鍵。兵を動かす前に、敵の手を読み、心を制す──そのためには、“影”の者たちが腹を満たし、家族を養う地が必要にございます」
「なるほど……情報の価値を、六歳にして口にするとはな」
父は、ぽつりと呟いた。
「して、どこを与えるべきと考えておる」
「北端、阿賀野川沿いに未開の地がございます。肥沃ではございませんが、川筋を通じて近隣の領と通じ、また、隠密に適した地形にございます」
「ふむ……」
父は再び、図面に目を通した。そこには、“静矢”の設計図の他に、阿賀野川流域の略地図と、想定される敵陣営の通行路も描かれていた。
「おぬしが描いたのか?」
「はっ。三日前に夜分、頭中の記憶より起こしました」
「夜分……ふむ。……そなたは、いったい何者なのだ、梵天丸」
父は思わず、そう呟いた。口元にはわずかな笑みが浮かび、目は試すように細められていた。
「……父上の息子にございます」
この一言に、父の瞳が見開かれた。
だが、すぐにまた穏やかな光を宿し、墨をすずりに落とし、さらさらと筆を走らせる。
やがて、その文書を手ずから巻き、俺の前に差し出した。
「よい。黒脛巾組に五百石を宛がう。名目は“補給伝令衆”──そなたが彼らの才を信じるならば、我もまたそれを信じよう」
俺は静かに手を伸ばし、その文書を両手で受け取る。
「ありがたき幸せにございます」
額を畳にこすりつけるように、深々と頭を下げた。
しばしの静寂ののち、父の声が、柔らかく響いた。
「……家臣に代わり、礼を言うか。おぬしは、底知れぬ息子よ」
俺は、その言葉に何も返さず、ただ頭を垂れたまま、胸中で誓っていた。
この黒脛巾組という影を、伊達の“目”にする。
乱世を生き残るために、剣よりも先に動く“知”と“策”を、この幼き我が手で創り上げるのだと。